『イエスさまには、十二使徒と呼ばれるすぐれたお弟子さんがおられました。そのお弟子たちが、イエスさまが捕らえられたときに、「あんな人は知らない」と師を見捨てるのです。けれども、十字架にかけられて一度命絶えられたイエスさまが復活され、弟子たちの裏切りを知りながらそれを責めない姿に接して、お弟子たちが生まれ変わります。命がけで教えを広めて、イエスさまの教えが今日に伝えられたのです。
イエスさまは、人がどんなに弱いものか知り尽くされて、それを許され、温かく包み込まれる方でした。自分の弱さも過ちもすべて知って、それを許し受け入れてくれる人に出会ったとき、人は、「この人に自分のすべてをおまかせして、なんの悔いもない」と、生き方が百八十度転換してしまうのです。
私たち仏教徒にとって、すべてを受け入れ、抱えてくださるのは仏さまです。その仏さまのみ心を体して、三十三身を現じて救いを求める人のところへ現われ、手を差し伸べてくださるのが観音さまです。そのお慈悲に包まれて、私たちも観音さまのようになりたいと一心に努力していくと、不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)で教えを広めてくださる人が、あとからあとから生まれてきます。』
庭野日敬著『開祖随感』より