親の恩はよく分かっているつもりでいても、自分で子どもを持ってその大変さに音を上げて、初めて親の恩に気づくというのが大方ではないでしょうか。
目の前にいる親でさえそうなのですから、ましてや、仏さまが「みんな私の子どもなのですよ。私が守ってあげているのですよ」とおっしゃられても、その思いの深さを本当に知るのは大変なことなのです。
日蓮聖人は、その仏さまのお言葉を、しっかり自分の耳に聞き取られたのです。
「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり……
我一人のみ 能く救護(くご)を為す」と、仏さまが自分に向かっておっしゃってくださるのを、はっきりと聞かれたのだと思うのです。
「法華経を人が読むとしても、口だけで読んだり、言葉だけで読んでいるだけで、心に読んでいない。心では読んでも体で読んでいない」と言われ、自分が受けた大難も風の前の塵のようなものだとして、すべての人を仏さまのみ手に導く柱となり、眼目となり、大船となろうと誓願を立てられたのでした。
親の恩を本当に思い知ることが、仏さまの大恩を知ることにつながり、それが法華経実践の出発点になるのです。
庭野日敬著『開祖随感』より
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