緑の大きな葉っぱに守られるように咲く清廉な花を、昨日と同じ舞台に立って、私はあなたを見つめて、何度も蓮池の周りを散策した。
私の持論は、同じ場所に咲く花であっても、あなたは去年のあなたでないこと。
泥田の中からこんなに美しい花を咲かせるあなたの優しさに今年も触れられたことはなんと嬉しいことだろう。
こうして毎年毎年あなたを待ち、あなたに癒される時間を持てることは、生きていてこそ望めることであり、当然とは決して思わない。
蓮の花はだいたい4日間開花しては夕方花を閉じ、明日また音もなく静かに開花する。
その営みを繰り返して、美しさを見てくれる人にまるでアッピールするかのように、ひとひらまたひとひらと池の面に或いは大きな葉っぱに落として、次世代への命を繋ぐ種を日光に十分晒し乍ら、その一生を閉ざす。
だから私はどの花もみんな愛おしい。
直感的にシャッターを切って、あなたとの出会いの記録とする 。
美人であろうがなかろうが、出会えたあなたとハグするような気持ちであなたをみつめる。
そんな出会いをカメラに残したのを、「今」を大切に生きる私の生の証として、藤原宮跡の睡蓮の花たちを、今年も
順次ここに残して置きたい。
花の隙間にこんな空間を見つけた。これから何日かかかって、美しく開花する準備を彼女は、池の鏡に自分を映しているのだ。
真っ直ぐな細い茎が、水面に映っていたはずだったのに、水面を移動した小さい魚に水面の輪でもって歪んでしまったけれど、
そんなのは平気、あなたが水面の上で伸びやかに開花の日を待つ。