久米寺宝塔(重要文化財、江戸時代初期、とち葺、高さ 14.5m)
久米寺の紫陽花の花を観賞し、明日で終わりにしますと、書いてから再びパソコンに
向かうまで、自然災害の恐ろしさに、打ちひしがれたような気持ちで 過ごしました。
今日で最後の多宝塔と紫陽花と題して、写真を見ながら、当時のことを思い出しつつ
綴っていこうと思います。
多宝塔は、境内から見える正面だけは、いつでもお詣りの時に、見ることができますが、
多宝塔の回りを、間近にお参りできるのは、紫陽花の季節だけだそうです。
塔域に入ってまず目に付くのは、大きな木の周りにいらっしゃる、七福神の石像です。
それぞれの位置で、塔を御守りしているのでしょうかしら。
あじさい園を一回りして、池に架かる赤い橋を渡ってから、塔の横から入る時、このような
綺麗な紫陽花の花が大きな石の瓶に浮かしてありました。
「養老2年(718)インド摩伽佗国の王善無畏三蔵という人が来朝、
約2年間のあいだに高さ10.909m四方の塔を建立し、
3粒の仏舎利並びに大日経を塔内に納めた」
奈良の塔と言うところに記されていました。
多宝塔は、慶安年中(1648~1652)に焼失し、
その後、嘉永初期に仁和寺の旧塔を移築したのが、現在の多宝塔です。
塔の周りをまわりながら、四方それぞれの紫陽花と塔を何とか入れようとしながら、
写していきました。
紫陽花は、まるでお供えのように、大きな花を咲かせていました。