枝垂れ桜は、ソメイヨシノよりも早く咲きます。
だから、この町の桜を見に行く順をメモしながら、新町に行くことにして
いました。
生家がこの近くでしたので、この辺りは幼い頃の遊び場でした。
でもその頃には、このような枝垂れ桜も、柳も、新町通りの表からは見ることができなかったのです。
今はまちなみ伝承館になっている場所は、子供の頃は、多分お医者さんの医院だったと思います。
この町の隣の村に、B29が爆弾を落とした日、(この町の大川橋の傍にも爆弾をおとされました。)
和歌山線の列車も戦禍に見舞われたのが同じ日でした。
その時怪我をした多くの人が、担架でここに運ばれてきました。
父の知人が多く入院しましたので、私は父に言われて、家にある文学全集を、何度もここに持っていきました。
それは夏の間続きました。
悲しい思い出のある場所が、今はまちなみ伝承館として、その頃の事を知る人も少なくなっています。
枝垂れ桜の幹の太さを見ても、戦争前からあったのでしょうが、病院に行っていた頃には、
花を愛でるゆとり所の時期でゆとりなどなかった時節でした。
平和であればこそ、美しいものに惹かれ、それを愛でる心を誰でも持つことができるのでしょう。
堤防の上から見た新町通りは、甍の並びが綺麗です。
足が達者だったころには、堤防の上のウォーキングロードを、歩きによく行きました。
裏から見る通りの家には、生活の香りがしるようです。
桜と、柳をアップして何か書くつもりだったのですが、「奈良にも爆弾が落ちた。」悲しい思い出、
それも、ごく小さい頃のあやふやな、恐ろしかった部分だけの、思い出綴りになってしまいました。
遠くの桜を見に行く元気もなくなりましたので、先ずこの町の観桜をしたいと今思っています。