無鄰庵を囲む板塀
明治大正時代の政治家山縣有朋の別荘
南禅寺界隈は当時の政財界人や会社の別荘が多数ある場所ですが、現在公開されているのは、無鄰菴だけということを後で知りました。
当時の記事をそのままコピーしています。
南禅寺辺りを散策しているうちに、「公開しています」という無鄰庵の前を通りかかった。
無鄰庵については何の知識も持たずに門をくぐった。
静かなたたずまいが気に入ったからというほかはなかった。
貰った説明書を見て、これはいい所に辿り付いたものだと、ゆっくり庭園を散策した。
広大な敷地の殆どが庭園である。
簡素な2階建ての母屋と茶室、重厚な洋室から、その庭園を眺めて、こよなく愛したという、明治、大正の元老山県有朋の別荘がこの無鄰庵なのだ。
無鄰庵HP
入口だけ最後の1枚写真に撮って来たが、この洋館の2階で明治36年4月21日に、元老 山形有朋、政友会 伊藤博文、総理大臣 桂太郎、外務大臣 小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国の外交方針を決める会議が開かれている。いわゆる「無鄰庵会議」である。
庭園は7代目小川治兵衛の作庭で、近代日本庭園の傑作。
昭和26年国の名勝に指定されています。