花火について五條市のホームページに以下の文が掲載されています。
江戸(隅田川)の花火を発展させた花火屋。中でも鍵屋と玉屋は、人気を二分した花火屋の屋号である。
鍵屋弥兵衛は慶安3年(1650)に大和国(現五條市大塔町)から新町村(現五條市新町)へ移り、黒色火薬の製造所で働いていました。やがて火薬製造の技術を極めていった弥兵衛は、1659年(万治2年)に江戸へ出て、日本橋横山町で「鍵屋」の看板を上げ、初の民間花火業者として活躍しました。
昨年 音和舎さんから連れて行って貰った時、たしか新町通の「cafe ことほぎ」の陶芸展で
花火の尺玉をカメラに収めていたことを思い出しました。
上の小さい画像は、その時に大きいままでアップしていたものですから、クリックして頂くと大きくなります。
現在の鍵屋さんから寄贈された尺玉です。
打ち上げ花火の祖・鍵谷弥兵衛さんが、現在の大塔町から出てきて、この新町で、火薬製造の技術を極めたということが説明されていました。
このところあちこちで夏の花火大会が開催されています。
テレビでの中継も楽しく観ることがあります。
「かぎや! たまや!」
何年振りかでこの町の吉野川河川敷から上げられた花火を、我が家に居ながらにして観ることが出来たのは
遮ることの無い場所からでした。
外の農道には、沢山の人が観ているようで、車椅子の人も押してもらって来ています。
車道は車の通過があって、危ないものですが、この裏道は安全です。
吉野川近辺で見なくても、高く上がる花火は足の不自由な私も、十分楽しむことが出来ました。
そして何よりも得たことは、花火師「鍵屋」のルーツがこの町の人であったことを知るきっかけになったことでした。
有難うございます✌
いましたがその鍵屋の出が奈良・五条市ですか
初めて知ることができました、
ありがとうございました
そんなことをしていたら、呼吸をしてもブレるのですから、いつもブレブレだったのですね。
使わないまま仕舞っていた三脚がこの度の出動でした。
写真をする人の常識が私の非常識だったのでしょうね。
恥ずかしい限りです。
ご覧くださってありがとうございました。
昨年尺玉を見た時、いつかこの町の花火を見た時にアップしようと思っていた願いが叶いました。