例年には 遅れても尚 群れて咲く 稲田に赤い 帯を忘れず
山麓線を走っていて、気まぐれに一言主神社への道路へ、右折してはいりました。下の道路に下りた途端、道端に駐車している車の数に驚いてしまいました。もう帰ろうかしら・・・。でも車を回す場所まで行かないと、戻ることさえできないので、神社の方にゆっくりと進むと、なんとラッキーなことに、駐車場の空きが見つかりました、こういう時は軽自動車が便利です。 うまく隙間を縫って先ずは駐車しました。
車が多いはずです。ずいぶん多くのカメラマンが神社の下の、田圃の畦道にそれぞれお気に入りのアングルを、探したり三脚を立てたりして、緑を縁取るように咲いている、真っ赤な彼岸花を見つめています。
それにしても見事に咲いた彼岸花です。 来るまでの道路端の彼岸花も、美しく咲いて秋を謳歌しているようだと、我が家の裏の田圃の貧相な彼岸花を見てきた目には、それはそれは綺麗に見えて、ここで駐車可能なら、撮りたい願望を辛抱しながら、走ってきました。 こんなにボリュームのある花の群れが待っていてくれると知っていたら、ひたすらここへと思ったに違いありません。
まるで田圃の土手を被い尽くすような、びっしりの彼岸花です。立派なカメラを持った人たちの、グループ撮影会の場所に選ばれるはずだと、ブログ用のコンデジの私は、身軽に気軽に、好きなところを、パチパチしてきました。
頭を垂れた稲穂の実りと、満開の彼岸花とが、待ちに待った秋の深まりを、まるで語り合い喜び合っているように見えます。
彼岸花の咲く様子はまるで「せえの・はい」と合図するかのように、ある日突然満開を迎えます。裏の田圃は放置田なので、畦刈りを丁寧にしていなかったら、今年は彼岸花が何本か数えるほどしか見かけなかったのです。
この一言主神社の下の田の畦刈りは、何処もとても丁寧にしてありました。きっとこのように美しい彼岸花の季節を、多くの人たちのカメラにより美しく残せるように、地区の人たちの温かい計らいがあるのでしょう。そのためにも写す人もカメラマンとしてのエチケットを守って、決して畦道以外の田畑に入ったり、作物を踏みつけたりしないように、留意しなければと、この美しい里に立って思いました。
赤、緑、黄色
この三色が織りなす田園風景に見とれます。
どこにいっても、今、これが見られ、癒されます。彼岸花も改めてみると、
まるで蘭の花のようです。
これが野生でなければ随分と高い花でしょうね。
暑い夏をすごしてきた体も気持ちもここで、ほっとするのだと思います。
一つの花を見つめていますと、いろんな想像をしますね。
東京のベランダでも咲いているのでしょうか。
この時期になりますと若鮎さんのおねえさんを思い出します。
カメラを持っての訪問が多いので、
土地の人も頑張って育てているのでしょうね。
奇麗な写真を見せてもらったので来年にします
お花の時期って、タイミングが合えば、先ずラッキーなのですね。