お墓参りは彼岸の入りの翌日に済ませていた。
今日にしていたら、街中の3つお墓はすぐ傍まで車で行けるので、そう困ることはないが、川向こうの小高いところにある、ご先祖さんのお墓へのお参りは大変だったと思いながら、その日の画像を見ている。
すっかり葉を落としてまだ新芽さえ見えないクヌギの大木の、梢の細い枝が蜘蛛の巣のようになっている、その後ろにその日は、春めいた金剛山と向き合う場所に、義父一族の、戒名でしか知らない人達がねむっている。
里山の裾を縫うように京奈和自動車道が白い線となって見える。
すぐ手前の寺院の屋根に見えるのは、弁天宗の御廟だ。
桜の頃になると、御廟の辺りは、我が家からでも、白い桜の一群れとなって見えるので、かなり沢山の桜の木が植えてあって、花見の人が訪れる場所である。
「おひがんさん」このような呼び方は関西特有だと思う。
「粥」を「おかいさん」。
何気なく使っている言葉なので、違和感がないが、きっと他の地方の人にとっては、おかしく聞こえるのだろうなぁと「おひがんの中日さん」にふと思った。