カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

折角来たので歩いてみよう 石光寺あたり

2013年12月17日 | ☆ ふるさと・大和

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒牡丹を見た日は、青空がいっぱい広がっていて、なんとなくこのまま帰ってしまうのが惜しいような日だった。

石光寺の駐車場に車を置いたまま、石光寺の長い白壁に沿って、二上山に向かって歩いた。

山がどんどん近づいてくる。のどかな里風景の広がりが美しい。

綺麗に畝の揃った畑が、この土地を愛でる里人が、代々の土地を大切にしているように思う。 

牡丹だけを観て「はいさよなら」をするのは勿体無いくらい、二上山の麓の里は美しく懐かしい。

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石光寺の十月桜

2013年12月16日 | 季節の花

 

 

 石光寺では今、寒牡丹と共に、山茶花十月桜が可憐な花を咲かせて、迎えてくれる。

十月桜について調べてみたら、晩秋から冬にかけて咲く桜で、4月の花に比べて、冬の花は小さくチラホラと咲くが、その様も可憐である。
 一般には、白、薄桃色で八重のものが多いが、色々な品種があるようだ。

 

空をバックに映すと余り花が見えないけれど、このように緑の葉とのコラボではかなり密集して見える。

  

十月桜の枝越しに二上山の頂上が、冬枯れの頭を見せている。

     

十月桜を角度を変えて撮ってみた。

 もう一つ石光寺境内の冬の花の楽しみは、寒アヤメであるが今年はまだ出会えなかった。 

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厳しい冷え込み

2013年12月15日 | ★ 日々の呟き

 

  

ねこじゃらし 穂先の霜の やや重く みな頭垂れ 寒さ凌げる

 

鳥さえも 遊ばぬ霜に 覆われて 枯れ草のまま 冬は深まる 

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葛城山麓に蹄の音

2013年12月14日 | ☆ ふるさと・大和

 

  

訪れたのは少し前のことだった。そう・まだ紅葉が名残の輝きを見せていた日のことだった。

画像を見ていても季節感のないのは、ブログUPした後にも写真のホルダーから削除しないでおいて置くのがある。

この乗馬クラブの写真もその仲間で、所謂私のブログ貯金的なものだ。

 

  

親しい友人の歌仲間の人を紹介してもらった時、「この人乗馬を習ってるのやで。」との言葉に、華奢で控え目そうなその人が馬に乗っている様子を想像することができなかった。

 

  

この乗馬クラブではなくて、御所市の乗馬クラブだとのことだったが、偶然通り合わせた練習場で、その人のことを思い出して暫く練習の様子を見ていた。 余り傍まで行くのは失礼なので、少し離れた所からの見学だったが、土を踏む蹄の音が、乾いた空気の中から響いてくるのは、かっこいい。

 

   

20歳の初め頃、蓼科で馬に乗ったことを思い出した。勿論綱を持って引いてもらっての初乗馬だった。背筋を伸ばしてちょっとかっこよくしたとき、馬が足元の草を食べようとしたので途端に落馬しそうになって恐ろしかったことが、馬の背の感触と共に今でも馬を見ると思い出す。それ以来馬とは無縁である。だから余り年の変わらない(もう少し若い彼女)が乗馬練習をしているのを一度見たいものだと思う。

 

 

葛城山麓の高い位置にあるので、新庄の町が眼下に広がっている。 

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退職者の会・人権学習講演で心に響いた詩

2013年12月13日 | ★ 日々の呟き

 

 

退職者の会の、人権学習会講演の会場は、橿原市で行われた。5階の会場ロビーの大きなガラス窓を通して、紅葉した畝傍山がすぐ目の前にある。この角度からの畝傍山は一番形がよい。

何処から見ても姿の美しいのは耳成山だと、ふとその美しい山容が目に浮かぶ。

 

講師先生が「人権週間の意義」について先ず話し始められた時、「人権文化の花を咲かそう」と開口一番仰ると同時に、何もなかった手の中から、この写真の机の上の右端にある赤い花がサット出現して、拍手と笑いが会場に広がった。

これで学習するほうの硬さもほぐれ、講演内容に集中していった。

生活の中にある人権問題をいくつか話されたが、高齢者問題の現状について、次のような詩を朗読された。私にとって初めての詩ではなくてブログでも感動したことのあった詩なので、この日の一番感動的なこととして、次に記しておくことにした。

 老いた親から子どもたちへー5月11日(月)のNHK総合テレビジョン「生活ホットモーニング」で、昨年秋発表され話題になっている、“年老いた親から子供への手紙”の歌が紹介されました。
原詩はポルトガル語ですが、作詞者不明でスペイン語から角智識氏が訳し、補足詞と作曲はシンガソングライターの樋口了一です。 

手紙―親愛なる子供達へ

年老いた私が ある日 
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私の事を
理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 
靴紐を結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように
見守って欲しい
貴方と話す時 
同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうか 
さえぎらずにうなずいて欲しい。
あなたにせがまれて繰り返し読んだ
絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも 
私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 
消え去っていくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 
私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを嫌がる時には 
思い出して欲しい
あなたを追いまわし何度も着替えさせたり 
様々な理由をつけて
嫌がる貴方とお風呂に入った 
懐かしい日の事を
悲しい事ではないんだ 
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しいい
いずれ歯も弱り 
飲み込む事さえ出来なくなるかもしれない
足も衰えて立ち上がる事すら
出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと 
私に助けを求めたように
よろめく私に 
どうか貴方の手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのは辛い事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを
持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで 
私には勇気が湧いてくるのです
貴方の人生の始まりに
私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに
少しだけ付き添って欲しい
貴方が生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
貴方に対する変わらぬ愛をもって
笑顔で答えたい
私の子供達へ
愛する子供達へ  

そのほか心の琴線に触れる講演内容はもっとあったのだが、この詩の感動をじっくり味わいたくて今回はこれのみにしておきたい。

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