これも押し入れから出てきたもの。
裏を見ると、「山を登る男」とあります。
小学生の頃の作品でしょうか。
その頃のことを思い出していると、全てが懐かしいです。
みんなのおかげで私は楽しい時間を過ごせました。
本当にありがたい環境でした。
押し入れは思い出の宝庫です。
これも押し入れから出てきたもの。
裏を見ると、「山を登る男」とあります。
小学生の頃の作品でしょうか。
その頃のことを思い出していると、全てが懐かしいです。
みんなのおかげで私は楽しい時間を過ごせました。
本当にありがたい環境でした。
押し入れは思い出の宝庫です。
茶箱を開けると、帯が入っていました。
小学生の頃、秋の祭りの日に、着物を着せてもらって、この帯を締めてもらって、神社へお参りに行きました。
「特別な日」の気持ちになったあの頃が懐かしい!!
この帯は、中学生の夏に締めていたものでしょうか。
姉と一つずつ。
その日の気分で、2人でどちらも使っていたような気がします。
こんな帯が似合っていた頃が懐かしい!!
いつの間にやらはるか遠くのことになってしまいました。
今朝のラジオ放送で、「バイエル」のピアノ演奏を聴きました。
小原孝のやすらぎクラシック [ラジオ第1] 2021年03月28日 午前8:05 ~ 午前8:25 (20分)
懐かしいなぁと思いました。
新鮮な気持ちでまた弾いてみたくなりました。
といっても、教本はずっと前に手放しています。
今更買うのも・・・。
「ピアノ🎹名曲フォーユー」バイエルメドレー 練習曲8番・60番・61番・78番・99番 ピアノ演奏&arrange:小原孝 #バイエル#ピアノ名曲フォーユー #やすらぎクラシック
私の家にオルガンがやってきたのは幼稚園児の頃でしょうか。
上田先生のおうちに通って習いました。
小学生の頃は、順番が来るまで、週刊「マーガレット」を読むのが楽しみでした。
上田先生のおうちは途中で建て替わりました。
最初は1階が教室、そのうちに2階が教室になりました。
それに伴って、アップライトのピアノが、グランドピアノに替わりました。
「バイエル」が終わり、次は「ツェルニー」とか「ブルグミュラー」とかを練習しました。
「バイエル」が終わった頃でしょうか。
「更に続けるなら、ピアノを買ってあげる」と、母に言われました。
姉は「ピアノはやめる」と言いました。
私も自分に才能がないことは幼いながらもわかっていましたし、「もういいかな」と思いました。
が、ピアノを家に迎えるのが母の夢だと理解していた私は、「続ける」と答るしかありませんでした。
母が子どもの頃、母親に「オルガンを買ってほしい」と言ったものの、「こんな田舎でオルガンなんて」と言われ、買ってもらえなかった思い出話を私は何度も聞いていましたから。
姉のあっさりした性格が羨ましく思いました。もし姉が続けていたら、私はさっさとやめていたと思います。
そして、実力も根気もないまま、私は中学卒業までダラダラと習い続けたのです。
でもそのおかげで弾きたい曲が弾けるわけで、今は両親に感謝しています。
これは、私が子どもだった頃、家で飾っていたおひなさまの写真です。
母と姉と一緒に、毎年飾っていたあの頃を懐かしく思い出します。
子どもの頃の方が、季節感豊かに、しっかりと生きていたなぁと、今、思います。
おばあちゃんのお膝の上で
木製の段々は今はもうないけれど、あと一度だけ平面で飾ってみようかなぁ。
何に関しても、懐かしさと共に思うのは「あと一度だけ!」です。
この冬は新型コロナウィルス感染が怖くて、2021年初詣には行かないかもしれません。
お正月に初詣に行かない年は、今までになかったように思います。
自分の事情に依り、また社会の状況に依り、何事も変わりうるということですね。
子どもの頃のアルバムの写真をomoidoriでスキャンしていると、いろんなことを懐かしく思い出します。
子どもの頃の私は、家族4人で毎年初詣に行っていました。
これは3歳の頃の初詣の写真。
京都
私は、姉が着ている、このオーバーコートが好きでした。
これが5歳の頃の初詣の写真。
奈良
姉が着ていたオーバーコートがお下がりとして私のものになり、大いに嬉しかったのを覚えています。
この姉の紺色のオーバーコートも数年後に私が着られる!と思って楽しみにしていたことを思い出します。
私が持っている丸いバッグは二人お揃いのものです。
黄色いのが私のバッグで、姉のは水色でした。
この日、姉は持って行かなかったようですね。
姉が手にしているのは三脚でしょう。
帽子もいつも二人お揃いです。
3歳の頃の帽子の記憶はありませんが、5歳の時の帽子は覚えています。
確か色違いで、私のが黒色で、姉のが紺色だったような。
子どもの頃に着ていたお洋服は、ほとんど母の手作りで、どれも二人お揃いでした。
色違いということもよくありました。
母が作ってくれる服は、どれも皆、私は大いに気に入っていました。
ワンピース、スカート、夏の簡単な服、母のコートをリメイクして作ってくれたジャンパースカートのことも思い出します。
母は、私の数倍器用な人です。
母が使っていたシンガーの足踏みミシン、今も実家にあります。
まだ動くと思います。
押し入れの中から更に出てきたのはこれ
何が入っているのかなぁと思って箱を開けると
セロテープで2個がくっついています。
これはきっとオセロの駒です。
キリンラガーの方が好みだったようで、キリンの赤が黒マジックで彩色されています。
丁寧に塗ってあるものも、ラフな塗り方のものもあります。
よくできています。
たくさんの木切れがありました
これは私の字です
並べてみました
裏返してみました
将棋の駒については、2016年03月12日 にも記事があります。
我が家には手作り駒が2セットもあるのですねぇ。
2016年ごろ、私は消しゴムはんこが趣味でした。たくさんのスタンプを作りました。
いつの間にやらその熱も冷めて…。
でも、文具屋さんや雑貨屋さんに行くと、今もハンココーナーに足が向きます。
押し入れを掃除していたら、ヘビが出てきました。
20余年前に私が作ったヘビです。
いろんなサイズのかまぼこ板、16枚
あの頃、私はトールペインティング教室に通っていたので、家に絵具があったのですね。
つないでみたら…
こんなヘビでした。
あまりかわいくないけれど…。
なぜだか急に、子どもの頃「ジュニアライフ」という雑誌を読んでいたことを思い出しました。
読み始めて、ほどなく廃刊になったような記憶があります。
今一度読んでみたいと思います。
国立国会図書館へ行けば読めるのかしら。
楽しみができました!!
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2014年03月08日の記事にも同じようなことを書いています。
あのころも、今も、何の脈絡もない時に急に思い出すのですよね。
何の脈絡もない時に急に思い出す……。
これが、私の想像する、今よりもっと何もすることがなくなった(できなくなった)時の、時間の楽しい使い方なんだと、今は思っています。
何もすることがなくなった(できなくなった)時に思い出せることがたくさんあるようにと思って、今を生きています。
子どもの頃、私は冬も夏もよく帽子をかぶっていました。
帽子を買うお店は、商店街の角を曲がった、あのお店でした。
道路から南向きに入る帽子屋さん。
今はそのお店はないと思います。
冬用の黒い帽子の飾りがこれ
50有余年前のものということになります。
黒と赤がきれいなのです。安全ピンがついています。
私はいつまでこれを取っておくつもりなのでしょう。
昔のアルバムの中に貼ってあった写真です。
今から五十数年前です
姉と一緒に、ランドセルを背負っているこの写真には溢れる「希望」が見えます。
姉のランドセルは赤色でした。
私は「ピンク色のランドセルがほしい」と言いました。
私が買ってもらったランドセルは、期待したほど鮮やかな色ではなく、落ち着いた色でしたが、ピンク色であることに大いに満足して、六年間大切に使いました。
今はカラフルなランドセルがたくさんありますが、五十数年前、ピンク色のランドセルを持っている子は少なかった(或いは、いなかった)と思います。
「人と同じでないといやだ」とは全く思わない子どもでした。
人のことがそれほど気にならない、比較することもない、嫉妬することもない、卑下することもない…、私は、子どものころから、そう変わっていないような…。
実家の台所を整理していたら、吊戸棚から出てきたのがこれ。
製氷器
子どもの頃は、これにオレンジジュースを入れ、凍らせて、よく食べました。
冷凍庫のない時代でしたから、アイスクリームが食べたくなった時は、10円玉を握りしめて、近所のIさんの店へ買いに行きました。
棒アイスです。バニラ味かチョコ味か、その日の気分で選びました。
Iさんのお店と言えば、きつねうどんを思い出します。
子どもの頃、母が外出していて、姉と留守番している日、「出前をとってね」という指示があれば、「きつねうどん」が食べられました。
Iさんの店のきつねうどんのおだしは美味しかったなぁ。
隣のKA子ちゃんちへ遊びに行っていたら、Iさんの店の出前が届きました。
おうちに人が注文したのは、「すそば」。
「へぇ。そばのお汁に酢が入っているのかぁ」と驚いたのを昨日のことのように思い出します。
「酢」ではなく、「素」だと気が付いたのは、随分大きくなってからです。
私は子どもの頃、母の手作りのおやつを食べていました。
クッキー、バタークリームのケーキ、ドーナツ、シュークリーム。
朝食のロールパンも手作りでした。
母の作るものはどれもどれもおいしかった!!
私が、母と一緒によく作ったのはクッキーです。
型抜きをして、卵液を刷毛で塗って、チェリーやレーズンを載せて…。
今も子どものころのことを鮮やかに思い出します。
そういえば、私が小学生の頃、ご近所のSさんちのおばちゃんが、たこ焼き屋さんを始めました。
何十円か忘れましたが、小銭を握りしめて、3個とか5個とか買いに行ったなぁ。
焼きたてで、おいしかったなぁ。
Sさんちのようこちゃんやきょうこちゃんはどうしているだろう…。
実家のタンスの抽斗を開けたら、こんなブレスレットが入っていました。
姉と私の分です。
私がまだ子供だった頃、父からの外国旅行のお土産だと思います。
ピンク色の方が私のだった。
色があまり褪せていないことに驚きました。