Remembrance 2006/09/06-2020/06/08  2020/07/01-

   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

高砂の神社

2010年05月30日 | 
初めて高砂へ行ったので、「にくてん」だけではなく、高砂の観光もしようということになりました。

①先ず荒井神社に参拝することにしました。荒井神社の境内は、とても静かでした。

荒井神社  

②その後、生石(おうしこ)神社に参拝しました。

日本三奇石乃寶殿、鎮の石室(いわや)で有名なところです。

鎮の石室(通称:浮石)は、三方岸壁に囲まれた、池中に浮く巨岩です。

※ちなみに日本三奇とは、石乃寶殿(石)、東北の塩竈神社の塩竈(鉄)、九州の霧島神社の天乃逆鉾(銅)をいうようです。

拝殿の横には、「霊岩」という大きな岩があり、これを力一杯押すと願いが叶うとのことでした。

霊岩  

岩盤を上っていくと、見晴らしのよい広い場所がありました。

マクドナルドのテイクアウトを食べている母子達や、荒井駅からずっと歩いてきたという親子連れと会いました。

    

眼下に広がる高砂市街  


③「ミナミ」で「にくてん」を食べた後は、高砂神社に参拝しました。

高砂神社は、謡曲「高砂」、相生の松で有名な神社です。

謡曲“高砂”

  高砂や この浦舟に 帆を上げて

  この浦舟に帆を上げて

  月もろともに 出汐(いでしお)の

  波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて

  はやすみのえに 着きにけり

  はやすみのえに 着きにけり

  四海(しかい)波静かにて 国も治まる時つ風

  枝を鳴らさぬ 御代なれや

  逢ひに相生の松こそ めでたかりけれ

  げにや仰ぎても ことも愚かや

  かかる世に住める 民とて豊かなる

  君の恵みぞ ありがたき

  君の恵みぞ ありがたき

(高砂市のホームページ http://www.city.takasago.hyogo.jp/index.cfm/7,1950,85,htmlより引用)

高砂神社の門  

三代目の相生の松が納められている建物

     

三代目の相生の松  

今の相生の松は、五代目  

神社の周りには大きな木があって、芳香が漂っています。
小さな花がたくさん咲いていたのですが、ご近所の方にそれが「センダン」の花であることを教えていただきました。

      

            

④十輪寺にも参拝しました。サクラの木に紅い実がなっていました。
この寺も、静かな、よい空間でした。

十輪寺の山門  

愚痴よりも感謝の言葉を‥‥ですよね。わかってはおりますが‥‥。

  

山門に貼ってあるカレンダー 

帰路の麦秋の風景  

ナビゲーションは、すべての所へちゃんと案内してくれましたので、迷うことなく、順調なドライブでした。

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高砂へ「にくてん」を食べに!

2010年05月29日 | グルメ
先日の朝日新聞で取り上げられていた、高砂の「にくてん」が食べてみたくなりました。

「今日、行こう!!」という気になり、出かけることにしました。

高砂へ行くのは初めてでしたが、車にはナビゲーションが付いているので、地図も持たず、その新聞記事だけを持って出かけました。

1時間ほどで高砂に着きましたが、まだお腹が空いていなかったので、二つの神社に参拝した後、新聞記事に載っていたお店「ミナミ」に向かいました。

  

お昼時は過ぎていたので、店内はそんなに混んではいませんでした。





「広島風お好み焼き(890円)」と「にくてん(400円)」を注文しました。
(「広島風お好み焼き」は各自1枚ずつ、「にくてん」は2人で1枚です。)



高砂の「にくてん」  

「昼間からいいのかしら‥」と言いながら、私は生ビールを美味しく飲みました。
「にくてん」とビールとの相性はバッチリです。

(ちなみに、行きは私が運転して、帰りは彼が運転しました。これだと食事の時にビールが飲めるので、私はラッキーです。) 

食後に出てきたのは、サッパリとした味のシャーベット  

店内にはこのような週めくりがありました。

    

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(ささやきの小径~)東大寺法華堂~奈良町

2010年05月26日 | 旅(奈良)
ささやきの小径を春日大社方面へ歩いて行きました。

春日大社は前日に参拝しているので素通りし、若草山のふもとを歩き、手向山八幡宮を通って、東大寺法華堂(三月堂)へ。

東大寺法華堂  

東大寺法華堂は天平仏の宝庫で、本尊・不空羂索(ふくうけんじゃく)観音像や金剛力士像、四天王像などの乾漆像(漆などを使った像)、日光・月光両菩薩像などの塑像(粘土の像)が安置されています。
16体のうち12体が天平美術を代表する国宝、4体は重文指定を受けています。


 
8月1日からは内陣に入堂できないため、礼堂からの拝観になるとのこと。
また、堂内に残られる尊像は弁才天、日光菩薩・月光菩薩、帝釋天、梵天、地蔵菩薩、不動明王の7体(予定)で、日光・月光菩薩、弁才天、吉祥天の塑像群は、現在建築中の東大寺総合文化センターに安置になるとのこと。

須弥壇(しゅみだん)上に16体の群像が林立する現在の姿が、5月17日で見納めと知り、数十年ぶりに法華堂にお参りしました。


須弥壇の下には多数のジャッキを入れて補強している状態でした。

修理計画が発表された2月下旬以降は拝観者が増加し、例年と比べ5割増とのこと(産経新聞・5月15日付)。

でも、ゆっくりゆったり不空羂索観音等の尊像を拝することができました。

 




東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされる。752(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には「羂索堂(けんさくどう)」とあり、不空羂索観音を本尊として祀るためのお堂である。旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになった。
もとは寄棟(よせむね)造りの正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)が軒を接して建つ配置であったが、鎌倉時代、礼堂を入母屋(いりもや)造りに改築して2棟をつないだ。正堂は天平初期の建築だが、礼堂は大仏様(だいぶつよう)の特色が見られる鎌倉時代の建築。時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和の取れた美しい姿を見せる。

1. 堂内での撮影・スケッチ・懐中電灯の使用はご遠慮下さい。
2. 一度に団体のご参拝が重なった場合は、外で待機していただくことがありますので、ご了承下さい。

1. 停止期間:平成22年5月18日~7月31日
2. 法華堂内陣の須弥壇と諸尊像の状態を確認するため、文化庁の指導の下、さまざまな調査が行われてきました。
その結果、国庫補助事業として修復作業が3年計画の予定で実施されることになり、須弥壇上から全ての仏像を別の場所に移動する必要が出て参りました。
安置されている須弥壇そのものが危険な状態でもあるので、移動距離を最小限に抑え、かつ修復作業の安全確保が最重要課題になります。
そこで、修復に伴う足場やステージを設置するため、急遽入堂拝観を停止せざるを得なくなりました。
仏像の修復は①法華堂内、②奈良国立博物館内国宝修理所、③奈良国立博物館の3ヶ所に分かれて作業が行われていく予定です。
3. 8月1日から入堂拝観を再開しますが、内陣には入堂できないため、礼堂からの拝観になり堂内に残られる尊像は弁才天、日光菩薩・月光菩薩、帝釋天、梵天、地蔵菩薩、不動明王の7体(予定)になります。
4. 団体入堂の予約は出来ませんので、拝観が重なった場合、しばらくお待ちいただく場合があります。入堂料は従来通り。あらかじめご了承下さい。
5. 執金剛神秘仏開扉(12/16)は入堂制限での拝観になります。来年は未定。
6. 平成23年10月以降には日光・月光菩薩、弁才天、吉祥天の塑像群は、現在建築中の東大寺総合文化センターに安置されます。
法華堂須弥壇・諸尊像修復のため、上記趣旨をご理解賜りご協力下さいますようお願い申し上げます。

(http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance5.htmlより引用)




法華堂の後、東大寺四月堂(三昧堂)、二月堂(観音堂)に詣で、更に猿沢の池、奈良町を散策しました。

東大寺二月堂から続く土塀  

東大寺大仏殿の北側は、いつも静かです。

      

正倉院「正倉」の外構を友人に見せてあげようと思いましたが、公開されていない日でした。残念。  

       

興福寺五重塔近く  
    
                     鹿の角には、うぶ毛があります

奈良町散策    

     

この前、津山で見た町屋の戸と同じ仕組みです  

中庭の向こうにも部屋があります  

やはり、私は、こういう家がほっとして、落ち着けます。

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ささやきの小径(下の禰宜道/しものねぎみち)

2010年05月25日 | 旅(奈良)
春日大社(下の地図の赤い「A」)へ向かう道は、3本あります。
東側から順に「上の禰宜道」、「中の禰宜道」、「下の禰宜道」。



      「L」が下の禰宜道(しものねぎみち)です

志賀直哉旧居から、下の禰宜道を通って春日大社二の鳥居の方へ歩きました。
(「L」の道を歩いて「K」に向かいました。)


「鹿に気をつけましょう」の看板    
       
                      奈良公園の鹿には、時に驚かされることもあります!  

  木々の中を鹿が静かに歩いています



  
       人も少なく、奈良時代の神官に出会えそうな雰囲気でした

絵を描いていらっしゃる方も    


下の禰宜道は500mほどでしょうか。木々に囲まれた静かな道です。



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(頭塔~)志賀直哉旧居(~ささやきの小径~東大寺)

2010年05月24日 | 旅(奈良)
「頭塔」を見た後、「志賀直哉旧居」に向かいました。



  奈良公園に近いので、道には鹿のフンがありました。

白樺派の文豪志賀直哉が昭和4年から9年間住んだ旧居(敷地435坪、建物134坪)です。
昭和3年に志賀直哉自身が自ら設計し、数寄屋造りで有名な京都の大工に建築させ、翌年4月奈良市幸町の寓居から移ってきました。
ここで「暗夜行路」を完結させたのですが、書斎、茶室、サンルーム、食堂などがある、とてもおしゃれな建物です。

現在は奈良学園のセミナーハウスになっています。

  

食堂    食堂の右手にサンルームがあります 

サンルーム  


ハイカラで、しかも落ち着いた、よい建物です。
部屋数の多さに驚きました。
春から秋は快適でしょうが、冬はきっと寒いでしょうねぇ。

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頭塔(~志賀直哉旧居~ささやきの小径~東大寺)

2010年05月22日 | 旅(奈良)
市内循環バスの「破石町(わりいしちょう)」で下車すると、バス停の脇のホテルの駐車場から「頭塔」が西側に見えます。

   

急ぐ旅でもないので、南側に回り、仲村表具店(※現地管理人は仲村表具店で、電話は0742-26-3171)の奥さんに鍵を開けていただき(1人300円)、頭塔の周りを散策することにしました。

   

いただいたパンフレットには以下のような説明がありました。

「頭塔は東大寺南大門の南約950m、新薬師寺から西北西約700mの位置に築かれた方形七段の土塔です。古くから奈良時代の僧玄の頭を埋めた墓との伝説があり、その名の由来とされてきましたが、本来の土塔(どとう)がなまって頭塔(ずとう)となったものと思われます。
神護景雲元年(767)に東大寺の僧実忠が土塔を築いたと古文書の記録にあります。それが頭塔にあたり、その役割は五重塔などと同じように仏舎利を納める仏塔と考えられます。」

   頭塔北面  

  
   

以前見た時は、このような瓦がなかったという気がします。きっと風化を防ぐ目的なのでしょう。 



◆以下は「頭塔の石仏」(上:写真)説明文からの引用

方形基壇の上に方形七層の階段状土壇を築いた頭塔は、第一・三・五・七の奇数段四面に各11基ずつ総数44基の石仏が整然と配置されていた。現在までに44基のうち28基が確認され‥。

頭塔石仏は、数少ない奈良時代の石仏としてきわめて貴重な遺例であるが、諸仏に対する廬舎那仏の優越性を示すその立体曼荼羅的な配置は東大寺廬舎那大仏と並ぶ天平仏教の壮大な理念を示す遺構としてさらに重大な意義がある。

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春日大社の朝拝(癒しのひと時・朝のお参り)

2010年05月21日 | 旅(奈良)
春日大社の朝拝に参加しました。

     春日大社砂ずりの藤 

春日大社の公式ホームページで下記の記事を読み、お参りしようと思い立ったのです。



春日大社では毎日欠かさず、朝のお参りを行なっています。これを朝拝(ちょうはい)と呼び、御本社で「大祓詞」という祝詞を唱え、お参りののち、若宮神社を始めとする各神社を順次お参りしています。
この朝拝は、今まで神職はじめ神社職員のみで行なっていましたが、遷都千三百年を記念して、一般参拝者にもご参加いただけるようになりました。神職の指導もありどなたでも安心してご参加いただけます。より良く生きていくきっかけやヒントをつかむ機会にして頂けたらと思います。お気軽にお出でください。
(http://www.kasugataisha.or.jp/1300nen/000370.htmlより引用)



春日大社参拝所横の直会殿に9時前に集合し、「高天原(たかまのはら)に神留坐(かむづまりま)す 皇(すめら)が親神漏岐(むつかむろぎ)‥」で始まる「大祓詞(おほはらへのことば)」を唱え、お参りしました。
参加者は15人ほどだったでしょうか。

   直会殿 

私が子どもの頃は、毎年春日大社へ初詣に行き、「家内安全」の祈祷をしてもらい、祝詞を唱えてもらっていました。
とても厳粛なひとときだったことと、その時の祝詞も「恐み恐み(かしこみかしこみ)も白(まを)す」で終わっていたことを思い出します。

自分自身が祝詞を唱えるのは、今回が初めてのことでしたが、身や心が浄められたような気がして、いいものでした。

その後、神官の方たちと一緒に、若宮神社・夫婦大国社・佐良気(さらけ)神社等をお参りし、遙拝所から頂上の本宮神社を拝みました。

夫婦大国社では特別に開扉されている期間(5月25日まで)でしたので、扉の中にいらっしゃる御前立神像を拝むことができました。
また、おしゃもじがたくさん納められていたのですが、よく見ると15代片岡仁左衛門・久石 譲・小林幸子等々の名前がありました。 



全国で唯一のご夫婦の大国様をお祀りしている夫婦大国社は、平安時代後期に創建されたと伝えられ、古くから家内安全、良縁成就、夫婦円満の祈願が盛んで、現在も若いカップルの縁結びのお参りで賑わっています。

御祭神であるご夫婦の大国様は御厨子に納められ、現在は御顔を拝することはできませんが、明治4年までは毎年年末に扉を開けてお祀りしていたことが記録に残っております。

平成20年に崇敬者より御前立の御神像がご奉納されたことに伴い、この古儀を復興いたしたく、12年に一度のみ御祭神に縁ある子年に限って御前立の神像を納めた御厨子を開扉することになっておりましたが、平城遷都1300年を記念して特別に期間を定めて開扉いたします。 (http://www.kasugataisha.or.jp/1300nen/000372.htmlより引用)




「最後になりましたが、‥」と、着到殿の横で、若い神官の方が二礼二拍手一礼の正しいやり方を教えてくださいました。

その後南門(なんもん)を入り、御神酒をいただいたところで私たちの朝拝は終わり、奈良国立博物館で催されている「大遣唐使展」へと向かいました。




なお、朝拝のスケジュールは、http://www.kasugataisha.or.jp/chohai/に詳しく載っています。


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薬師寺

2010年05月20日 | 旅(奈良)
平城宮跡で「平城遷都1300年祭」を見終えて、西の京の薬師寺へ参拝しました。

東塔の美しい姿を是非見てみたいという友人の希望です。


    


     東塔 

      タイミングよく、東塔の西面扉が特別に開けられていて、初層内陣天井絵を見ることができました。

     西塔(昭和の白鳳再建) 





国宝東塔が、今秋より本格的に解体修理に入ります。
下記日程にて東塔西面の扉を開扉し、基壇上より初層内陣をご参拝頂ます。

この機会に是非とも薬師寺にご参拝下さい。

期間:平成22年4月8日(木)~平成22年10月31日(日)予定

(http://www.nara-yakushiji.com/data/0003.htmより引用)


薬師寺の金堂には、国宝の薬師三尊像が祀ってあります。


薬師三尊像 【国宝】 白鳳時代 薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、医薬兼備の仏様です。人間にとって死という一番恐ろしいものを招くのが病気です。体が動かなくなるのも病気なら、身の不幸、心の病も病気です。欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これ皆病気です。応病与薬[おうびょうよやく]の法薬で、苦を抜き楽を与えて下さる抜苦与楽[ばっくよらく]の仏様。だから人々に仰がれ、親しまれ、頼られていらっしゃるのです。

 極楽は西にもあれば東にも
    来た[きた](北)道さがせ
      皆身[みなみ](南)にぞある

 西に阿弥陀様の極楽世界、東にお薬師様の浄瑠璃世界[じょうるりせかい]があります。けれども薬師如来は東方浄瑠璃世界だけが願うべき世界ではなく、西方極楽世界[さいほうごくらくせかい]へ往生したいと願う人には、薬師の名号を聞くことによって極楽世界へ導いてあげますよとおっしゃっています。その人その人にふさわしい浄土を願わし引導して下さいます。

 金堂内の白大理石須弥檀[しゅみだん]上に、中央に薬師瑠璃光如来、向かって右に日光菩薩[にっこうぼさつ]、向かって左に月光菩薩[がっこうぼさつ]がお祀りされています。薬師三尊のおわします内陣は長和4年(1015)に撰述された薬師寺縁起で「瑪瑙[めのう]を以て鬘石となし、瑠璃[るり]を以て地となし之を敷く、黄金を以て縄となし、道を堺し蘇芳[すおう]を以て高欄[こうらん]をつくり紫檀[したん]を以て内陣天井障子となす」とあり、まばゆいばかりの様相でした。まさに浄瑠璃浄土の世界です。

(http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_kondo.htmlより引用)



薬師寺東院堂には、国宝の聖観世音菩薩像が祀ってあります。

薬師寺東院堂の聖観世音菩薩像 【国宝】 

白鳳時代 心の目で見ることを「観[かん]」といいます。色なき色を見、音なき音を聴く、これが「観」です。この観の働きをもって私たちの悩みや苦しみや悶えをお救い下さるのが観音菩薩です。聖観世音菩薩は日本屈指のお美しいお姿の観音さまといわれ、薄い衣を召し、その衣の美しい襞の流れの下からおみ足が透けて見える彫刻法は、インドのグプタ王朝の影響を受けたものです。

(http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_toindo.htmlより引用)




ちなみに、この薬師寺の国宝「聖観世音菩薩像」はただ今出張中。
8世紀に唐で作られた日本初公開の「観音菩薩像」(ペンシルバニア大学博物館)と並んで展示されているのを、翌日奈良国立博物館で見ることができました。美しいお姿でした。



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平城遷都1300年祭

2010年05月19日 | 旅(奈良)
平城京に都が遷って、今年は1300年。

先日、奈良が好きだという友人と「平城遷都1300年祭」を楽しみました。



以前こんなことがありました。

近鉄電車で奈良から大阪へ向かうとき、いつも左側の窓から朱雀門が見えます。

ところが、久し振りに電車に乗ったある日、右側の窓から朱雀門が見えました。

「え、何故‥。線路の南側にあるはずの朱雀門が、どうして線路の北にあるの‥。」

数秒間は混乱状態でしたが、「ああ、これが新しくできた大極殿なのね。」と気がつきました。

両方とも朱塗りだから、その瞬間、同じ建物に見えたのでした。

いつか大極殿に行くことがあるかしら…と思っていましたが、奈良好きの友人のお陰で、早い時期に見に行くチャンスをもらいました。




「平城遷都1300年祭」の会場である平城宮跡は、大和西大寺駅から歩いて10分ほどのところです。

平城京歴史館に入るためには整理券がいるというアナウンスが聞こえてきます。
会場に着いてすぐに私たちは整理券をもらいましたが,それは13時20分のものでした(午前の分は既に配布終了でした)。

★先ず行ったのは、「大極殿」。

     



朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。
正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になりました。
当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。    

(http://www.1300.jp/hall/kyuuseki/daikokuden.htmlより引用)




大極殿の中には、高御座(たかみくら)や鴟尾が展示されていました。

朱雀青龍など四神の絵、蓮の天井絵などが美しく描かれていました。

大極殿を復原するための技術の詳しい説明が、よくわかるように書かれていました。



★大極殿の次は、朱雀門を見に行きました。

衛士隊の再現が13時から見られるという情報をゲットしました。

★まほろばパレードも見ました。

     

★昼食は、会場で求めた「めはり寿司」。

★13時からの衛士の交代式を見るために大極殿南門広場へ。

     

このような式が行われていたのだろうなぁ‥と、はるか遠い奈良時代を感じました。

★平城京歴史館へ入館(500円)

     

平城京歴史館には下記のような設備があり、平城京のことや遣唐使のことがとてもよく理解できました。

復原された遣唐使船に乗ると、更に遣唐使が身近に思えました。

     
 


■平城京VRシアター
外国使節団が見た平城京をコンセプトに、往時の壮麗・壮大な都の姿や華やかな文化を最先端のVR技術により再現。 

■遣唐使シアター 
アニメーションなどを駆使して、遣唐使の歴史や渡航の様子をドラマチックに再現。 

■テーマ展示 
中国大陸、朝鮮半島をはじめ大陸との交流により発展した我が国の国づくりの歴史や往時の文化・暮らしに焦点を当てたテーマ展示。ストーリー仕立ての映像展示などで、わかりやすく解説します。
 
■遣唐使船復原展示
全長約30m、マスト高約15m。当時の国際交流の象徴的存在である遣唐使船を原寸大に復原、展示します。進取の精神で渡航した先人たちの気概に触れることができます。

(http://www.1300.jp/event/detail/kyuuseki/keve100327-7.htmlより引用)






★南都銀行のブースでは、せんとくんと一緒に写真撮影ができました。

     


★私たちはチャレンジしなかったのですが、天平衣装も着て、平城宮を歩けるようです。(300円)

     

衣装は日替わりのようで、「本日の衣装は朝服(官位:五位)」とありました。

でも、日替わりにしないで、好きな衣装を選べるようにすると華やかで、広い会場内でいろんな衣装を見ることができていいかも‥と思いました。

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フロントガラスにひびが‥

2010年05月17日 | 
昨夕高速道路を走り始めてまもなく、ピシッという音がして、見ると、フロントガラスの中央少し左に傷が付いています。

1cmほどのひびの線も数本はいっています。

「なぜこんなことになるの‥」と、かなり心に動揺が走りました。

何だかスピードを出すとひびがひどくなるような気がして、流れにのりながらも、走行車線を静かに時速90km前後で走り続けました。



でも、この日は、このゆっくり目のスピードがよかったのかもしれません。

分岐点近くで、私は第1走行車線を走っていたのですが、急に右の追い越し車線から、私の前を、更に左のそのまた左の車線へ走っていく車がありました(つまり本線から出て行く車だったということです)。

追い越して私の車の前に入るのならよいのですが、私の感覚としては、車の前を横切ったという感じでした。
この角度は初めての経験でした。

その車の後ろのドアにあたりそうで、私はブレーキを踏みました。ぶつかっていたら、かなりの惨事になりそうな場面でした。

今思うと、左車線と私の後ろに車がいなかったからよかったようなものの‥。



私は、今まで自分の車を傷つけたことがなくて、修理に持って行くのは初めてのことでした。車を傷つけるということが想像できず、車両保険にも入ったことがありません。

傷の大きさで、フロントガラスをそっくり取り替えるか、リペアで済むのかが決まるようです(500円玉の大きさがボーダーのようです)。

今回、何とかリペアでの対応で様子をみようということになり、支払い金額は21,000円で済みました。

運の悪い人はフロントガラスを取り替えて1週間もしないうちにまたまた石が飛んできて、再度取り替えということがあるようです。

私は、これからは、今以上にひびが走らないことを祈りつつ車に乗ることになります。
ひびがひどくなるようだったら、10万円ほどの出費になるわけで‥。



今朝「私の車が傷ついてしまったのよ~。実は昨夕高速道路を走っていたら石が飛んできて‥‥‥」と話すと、「事故を起こして人を傷つけたわけでもないし、お金で済むことだし、気にすることは何もない。」と彼は言いました。

私も「起こることはすべて運命だ。」といつも言っています。

慰めの言葉を聞き、悟ったようなことを言っているくせに、それでもいつまでも動揺している自分がそこにいました。


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「末木」の読みは?

2010年05月10日 | 言葉・文字
先日届いたDMを読んでいると、いつも木や花について書いてあるコーナーに、「本木にまさる末木なし」とあり、その意味は「最初のが気に入らないと言って何度取り替えてみても結局は最初のものよりすぐれたものはなかったというたとえ。特に夫婦関係について言う。やはり最初の相手が一番よいということ。」とありました。

「本木」には「もとき」、「末木」には「うらき」とルビが振ってあります。

私は「末木」を「うらき」と読むとは知りませんでした。



誰でも知っていることなのかしら‥と思って、ルビの部分を隠して、夫に「これは何と読むの?」と聞いてみました。

すると、なんということでしょう、アッサリと「うらき」と読むではありませんか!!

「えっ、読めるの?!」‥返す言葉がありません。ああ、私って無知‥。


こんな時は、息子にも聞いてみようという気になる私。

私「『本木にまさる末木なし』の『末木』、読める?」とmailしてみました。

息子「活字でも見たことないわ。よって読み方も知らんかった。」




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針に耳あり‥

2010年05月09日 | 言葉・文字
2008年9月に新聞掲載クイズのことを書きましたが、今もクイズ(数独やクロスワード)を解くのは好きです。


数ヶ月前、数独の問題のコピーをとって、息子とどちらが早くできるか競争しました。

私が半分解いたか解かないかのうちに、「答えは13だね。」と息子。
私「えっ、もう解けたの? 早いなぁ。」
息子「えっ、勝てると思っていたの?」

あの頃と比べて、私も数独を解くのが上手になってきたように思いますが、私は息子に「競争しよう!」と言い出す気にはなれません。



先日、クロスワードクイズを解いていました。

ヨコのカギのヒントが「耳のある裁縫道具」とあります。

その答えが「針」であることはわかるのですが、「針に耳がある」というのがわからない私。

広辞苑で「耳」を調べました。
すると、なんと「⑤針のめど。みみず。」とあります。
「めど」を調べると、「針孔」の字で、「針の糸を通す孔。はりのみみ。みず。みみ。」
「みみず」を調べると、「針のめど。みみ。」
「みず」を調べると、「針孔・針眼」の字で、「針の糸を通す孔。めど。みぞ。」
「みぞ」を調べると、「針孔」の字で、「裁縫用の針の、糸を通すあな。みみ。めど。」

まとめると、「針の孔」=「みみ・みず・みみず・めど・みぞ」ということになります。
初めて知りました。

「針眼」という字をあてながら、「みみ」だなんて、面白いなぁと思いました。

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播州清水寺 クリンソウ・カヤラン・普賢象

2010年05月07日 | 自然
チゴユリは咲いているかしら、クリンソウは見頃かしら‥と、連休最終日にまたまた播州清水寺へ参拝しました。

チゴユリ  



根本中堂の前の普賢象(ふげんぞう)と御衣黄(ぎょいこう)  

普賢象    当に今が見頃です

御衣黄   

クリンソウ    見頃を迎えました

トイレで見たポスター
  
       

カヤラン    


チゴユリとクリンソウと普賢象だけでも大満足なのに、ギンリョウソウとカヤランまで見られて、ラッキーでした。

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「鬼まつり」前日の朝光寺

2010年05月06日 | 雑文
5月4日は、兵庫県加東市朝光寺で催される「鬼まつり」前日です。



鐘楼(左)と本堂(右)   

人少なく、静かな境内です  

本堂  


山門  

     

仁王様は、足の指にも力強さがあります

           


つくばねの滝  

「鬼まつり(鬼追踊)」の準備が始まりました 





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(院庄~)津山

2010年05月05日 | 
作楽神社参拝の後、衆楽園(しゅうらくえん)へ行きました。

森家三代長継公が1657年、京都から作庭師を招いて築造した、回遊式の池の大きな庭園です。
当時は現在の3倍の広さがあったそうです。

   

                

衆楽園の次は、サクラで有名な津山城へ向かいました。

その途中で見かけたホルモンうどんのお店  

    どんなものか食べてみたい気はしましたが、私はホルモンがちょっと苦手で‥ 

津山城のサクラは、4月8日頃が最高だそうです。

  八重桜はまだ残っていました    

津山城は、森家が四代、松平家が九代続いたそうですが、石垣が立派です。

      

津山市街が見下ろせます  

天守閣はないのですが、復元された備中櫓がすてきでした。

備中櫓の中で、津山城や備中櫓復元の説明ビデオを見ました  

すべての床がフローリングではなく、畳敷きだというところに最も驚きました。

    

  職人さんの技     

藤の花が咲き始めていて、甘い香りが漂ってきました。

  備中櫓横の藤棚  

  白い藤  

津山城の動物園には、鳥類とアライグマとイノシシがいました  



津山城の後、城東界隈を散策しました。

    

         

作州城東屋敷    入館は16時30分まで

私は16時30分までには到着したつもりだったのですが、残念ながら目の前で戸が閉められてしまいました。
(私の時計が少々遅れていたのかもしれません‥。)

作州城東屋敷の横の碑には、”とらさん最終作ロケ地”と刻んでありました。



幕末活躍した洋学者”箕作阮甫の旧宅”も閉まっていました。
閉館時間が16時だからこちらは諦めていました。



この町家では、”三人展”が催されていました  

       



”城東むかし町家(旧梶村邸)”も入館が16時30分までなので諦めていましたが、係の方が「いいですよ。入って見ていってください。」と言ってくださったおかげで、江戸時代に建てられた母屋から昭和初期の蔵まで、各時代の生活様式に対応した造りの家を見ることができました。



  ”城東むかし町家”の玄関の板戸は上下に移動します 

  NHK連続テレビ小説”あぐり”のロケで使われたそうな 

  板戸が特徴的でした 

  蔵が二つ並んでいました  



  

              

”ごんごバス”に乗りました   

                      ※ ”ごんご”とはカッパのことだそうです。



夕食は東津山駅近くの”くいしん坊”にて広島風お好み焼き  




今回津山で買ったものは「ホルモンうどん風味スナック」と「ホルモンうどん煎餅(正しい名称は忘れました)」と「高瀬舟羊羹」。

我が家にやってきた友人のお子さん達(小学生)は、「ホルモンうどん煎餅」(ちょっとかたいものかしらと思っていましたが、見た感じではこれもスナック菓子のようでした)がとても気に入って、「これが最後。」「これを最後にする。」と言いながらもつい手が出るらしく、何度「最後」があったことか‥。

残りを持って帰ってもらいましたので、私はどんな味かわからないままですが、美味しいということは実証されました。

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