あまりにも暑い日には出かける元気もなく、家で過ごしてしまいます。
PCの前に座り、「Tverで何のドラマを見ようかなぁ」と探していると、私の好きなディーン・フジオカが出演しているドラマがありました。
IQ246~華麗なる事件簿~
ディーン・フジオカは、沙羅駆(織田裕二)の家の執事(賢正)役です。
放送されたのは2016年だそうですが、その頃の私は「IQ246~華麗なる事件簿~」というドラマがあることも知らなかったし、ディーン・フジオカの存在さえも知らなかった。
IQ246~華麗なる事件簿~「第3話」を見ました。
キーワードとして、「ストロベリーフィールド」が出てきました。
※ストロベリーフィールドの花言葉は「変わらぬ愛」
2016年なら、このドラマを見ても、花にそれほど関心がなかった私はストロベリーフィールドには目がとまらなかったでしょうね。
花を植えようと、私は今年初めて千日紅の苗を1本買いました。
それが「ストロベリーフィールド」だったのです。何という偶然でしょう。
今だからこそ、ドラマを見ていて花が目に飛び込んできたのです。
よい時期に「IQ246~華麗なる事件簿~」第3話 を見たなぁと思いました。
千日紅の花が咲いたら、カットして干しています。
玄関には、時々小さな花弁が数枚落ちています。
ドライフラワー
来年は2苗買おうかしら。それとも種を蒔こうかしら。
【祇園祭】まさかのアクシデント発生!鶏鉾 無念のリタイア 祇園祭 山鉾巡行2024
2024年7月17日午前9時ごろ四条室町交差点で辻回しを見せてくれた、あの鶏鉾が、車輪が壊れたため巡行を断念して、引き返した・・・というニュースには驚きました。
鶏鉾の車輪が壊れたのは、午前10時ごろ、四条通での「くじ改め」の直後、
四条通りの柳馬場と富小路の間だったそうな。
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https://www.asahi.com/articles/ASS7K0PNLS7KOXIE01FM.html?iref=pc_photo_gallery_breadcrumbより引用
朝日新聞デジタル
京都・祇園祭の前祭の山鉾巡行 鶏鉾の車輪壊れて立ち往生、一時混乱
西崎啓太朗2024年7月17日 11時37分
日本三大祭りの一つ、祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾(やまほこ)巡行が17日、京都市内であった。「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)が響くなか、「動く美術館」と称される豪華な山鉾23基が都大路をゆっくりと進んだ。
午前10時ごろには9番目を進む鶏(にわとり)鉾の車輪が四条通で壊れるトラブルがあり、後続の山鉾が進めなくなる場面も。月鉾など後ろの山鉾が、立ち往生している鶏鉾の横を追い抜いて進むなど、四条通は一時混乱した。
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https://www.kbs-kyoto.co.jp/news/2024/07/n20240717_135867.htm より引用
祇園祭・前祭巡行でトラブルがありました。17日午前10時ごろ、四条通りの柳馬場と富小路の間で、鶏鉾の直径およそ1メートル80センチの4本ある車輪のうち左側後方の車輪の一部が剥がれ落ちました。
剥がれ落ちたのは、木製の車輪外側部分のおよそ70センチで、巡行途中に突然割れて落ちたということです。この影響で巡行に遅れが生じましたが、鶏鉾の後を巡行していた山や鉾は、鶏鉾を追い越すように先に進み、巡行していきました。
鶏鉾は、車輪をボルトで一時固定し後ろ向きで進み、途中、四条室町交差点では、車輪に縄をかけて向きを変える「辻まわし」を行わず、大きなカーブを描いて、鉾町に戻って行きました。鉾町に帰ったあとは、京都府の文化財保護課の職員が、車輪や車輪の中心部分までヒビが入った様子を写真に撮るなど現状把握につとめました。
鶏鉾保存会によりますと、破損した車輪は10数年使用した比較的新しい車輪で、午後から鉾を解体したあと、あす工務店に引き渡され、破損の原因を調べるとともに、修理するかどうか判断するということです。
剥がれ落ちたのは、木製の車輪外側部分のおよそ70センチで、巡行途中に突然割れて落ちたということです。この影響で巡行に遅れが生じましたが、鶏鉾の後を巡行していた山や鉾は、鶏鉾を追い越すように先に進み、巡行していきました。
鶏鉾は、車輪をボルトで一時固定し後ろ向きで進み、途中、四条室町交差点では、車輪に縄をかけて向きを変える「辻まわし」を行わず、大きなカーブを描いて、鉾町に戻って行きました。鉾町に帰ったあとは、京都府の文化財保護課の職員が、車輪や車輪の中心部分までヒビが入った様子を写真に撮るなど現状把握につとめました。
鶏鉾保存会によりますと、破損した車輪は10数年使用した比較的新しい車輪で、午後から鉾を解体したあと、あす工務店に引き渡され、破損の原因を調べるとともに、修理するかどうか判断するということです。
【鶏鉾保存会理事長の声】
「外からチェックしていても(破損は)分からなかった。無事に戻ってこられ怪我人が出なかったということだけが幸いです」
「外からチェックしていても(破損は)分からなかった。無事に戻ってこられ怪我人が出なかったということだけが幸いです」
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https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASS7K3J6RS7KPLZB01BM.htmlより引用
立ち往生の鶏鉾 他の山鉾が異例の「追い越し」 祇園祭の山鉾巡行
2024/07/17 21:30
祇園祭の山鉾巡行で、車輪が破損した鶏鉾=2024年7月17日午前10時16分、京都市、新井義顕撮影
(朝日新聞)
京都・祇園祭は17日、前祭(さきまつり)の山鉾(やまほこ)巡行を迎えた。猛暑のなか、豪華に飾られた山鉾を約14万人(府警発表)が見守った。ただ、23基の山鉾のうち鶏(にわとり)鉾の車輪の一部が四条通で割れ、町内に引き返す異例の事態になった。
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https://www.sankei.com/article/20240717-XCI4MZS6JRNFRLHYQ3MOZCWFHM/より引用
歴史ある祇園祭で前代未聞? 予期せぬトラブルに見舞われ 鶏鉾が巡行路引き返す
2024/7/17 16:41
京都・祇園祭の前祭(さきまつり)のハイライトとなる山鉾(やまほこ)巡行を迎えた17日、鶏鉾が予期せぬトラブルに見舞われた。出発から約15分後、後ろの車輪の部品が割れて外れ、巡行を断念した。京都市文化財保護課もこうしたトラブルは「記憶にない」としている。
四条通での「くじ改め」の直後、車輪の外周部材の「大羽(おおば)」の1枚が割れて外れた。けが人はなかった。
金属の器具で大羽を仮止めする応急処置を経て、巡行路をゆっくり引き返した。四条通では、後に続く山鉾が鶏鉾を追い抜いていった。
会所に戻る際の交差点では辻回しはせずに、大きなカーブを描くように進み、無事会所に戻った。集まった観客からは大きな拍手が起こった。
鶏鉾保存会の坂本篤史代表理事(56)は「こんな経験は初めてだが、けが人もなく無事に戻ることができてよかった。工務店に車輪を引き渡し原因を調べる」と話した。
鶏鉾は16日、使用していない車輪2輪や部品を、後祭の巡行に参加する鷹山保存会に譲ったばかりだった。(田中幸美)
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https://x.com/niwatorihoko/status/1813474805548716142?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Etweetより引用
鶏鉾保存会
まずは関係者のみなさま、この度は鉾のトラブルにより巡行を遅らせ、ご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。 また観客のみなさま、巡行の中止は苦渋の決断でしたが、安全面を考慮して怪我もなく無事町内に戻ることができましたことをご報告させていただきます。
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20 菊水鉾 がタケの準備を始めました。
9時31分
菊水鉾が室町通(北)から四条通へ向かいます。
一団が私のすぐ横を通って行きます。
菊水鉾の音頭取りが手に持つのは、うちわです。
よく見ると、うちわには「福聚海無量」の文字。
★福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)
仏語。観世音菩薩の福徳が広大無量であることを、海にたとえた語。
扇ではなく、うちわを持つ音頭取りは菊水鉾だけでしょうか。
9時33分 菊水鉾が四条通へ出ました。
これから辻回しが始まります。
浴衣姿の男性たちのミッションは、水の入った手桶を運ぶことのようです。
笛を吹く人は、8人ですね。
きっと鉦も8人、太鼓は2人でしょう。
9時44分 無事辻回しを終え、菊水鉾は四条通を東へ進んでいきました。
浴衣姿の男性(の一人)は、「無事終わった!」という、やり遂げた表情をしていました。
9時47分、次にやって来たのはカマキリさんが載っている蟷螂山
21 蟷螂山(とうろうやま)
振り上げています
巡行16番目が蟷螂山で、17番目が菊水鉾なのに、どうして蟷螂山が菊水鉾の後に…と思いました。
振り上げています
羽が広がっています
蟷螂山は祇園祭の山鉾としては唯一のからくりが施されています。
かまきりだけでなく、御所車の車輪が動くそうな。
御所車の様子をしっかり見ていなかった私は、回っていることに気が付かないままでした。残念。
蟷螂山は、止まっている菊水鉾を追い越していきました。
次に来たのは、
22 木賊山(とくさやま)。
9時50分
木賊山もすいすいと菊水鉾を通り越していきました。
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http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/tokusayama.htmlより引用
謡曲「木賊」に取材し、我が子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわしている。御神体(人形)は腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持つ。
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おなかが空いたなぁと思った私、このタイミングで朝食を食べに行きました。
食べ終わって、また四条通に戻ったら、放下鉾がいました。
「進んでいる」ではなく、「いました」。
23 放下鉾
10時28分頃
前の鉾との適当な距離とかがあるのでしょう。
大きな鉾の、こののんびり感もまた祇園祭の味わいの一部なのだろうと思いました。
祇園祭は十分見たなぁと思って四条駅に向かった私が最後に見たのは、
24 占出山(うらでやま)。
10時33分頃
今回、木賊山(TOKUSA YAMA)と占出山(URADE YAMA)の読みを初めて知りました。
私が撮った「祇園祭前祭巡行」の写真はこれにておしまいです。
1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
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【参考】
https://www.kyobunka.or.jp/library/events/767.php
京都祇園祭の山鉾行事(120分)─日本語版─
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【参考】
山鉾鑑賞をもっと愉しむためのおすすめポイントを紹介!
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【参考】
https://www.city.kyoto.lg.jp/shimogyo/page/0000011341.html
山鉾の魅力細見・山鉾由来記
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【参考】
https://kyoto-design.jp/
このhttps://kyoto-design.jp/special/gionmatsuri/yamahokoは充実したHPです。
祇園祭日程表・神輿渡御・神輿渡御・宵山・駒形提灯ガイド・祇園祭りグッズ(授与品 粽(ちまき)ご朱印・屏風祭がまとめられています。
下に一部引用します。
祇園祭の見ど ころは本当にたくさんあります。
前祭山鉾巡行は、17日午前9時に四条烏丸をスタートして約2時間かけて市中心部を巡行する。先頭の長刀鉾(なぎなたぼこ)の稚児が行う「しめ縄切り」、烏帽子姿の奉行による「くじ改め」、函谷鉾・鶏鉾や各山鉾を飾る色鮮やかな織物、からくり仕掛けの蟷螂山など。また鉾町で釘も使わずに建ち上げ組み立てられる鉾建て(狭い道路での作業になりますのでご迷惑にならないようにお願いします)。
そして私たち京都デザインが一番お勧めしたいのが、祇園祭の信仰の中核を担う神輿の神事。祇園祭は毎年、豪華絢爛に飾られた鉾町の山鉾がクローズアップされていますが17日山鉾巡行が終わる夕刻から始まるもう一つの祇園祭があります。三基で1,500人以上もの神輿の担ぎ手が八坂神社の氏子たちの各町内を別々に練り歩き四条寺町の御旅所まで行く神幸祭。
特にお勧めなのが、祇園石段下に三基の神輿が集結し担ぎ手たちがお神輿を頭上高く差し上げる差し回しなどの技を披露する約30分の熱気と大迫力は必見。
また24日の後祭山鉾巡行・花傘巡行の後に始まる還幸祭は、神幸祭とは逆に四条寺町の御旅所から祇園八坂神社に帰って行かれる時も同様の熱気と大迫力です。
前祭山鉾巡行は、17日午前9時に四条烏丸をスタートして約2時間かけて市中心部を巡行する。先頭の長刀鉾(なぎなたぼこ)の稚児が行う「しめ縄切り」、烏帽子姿の奉行による「くじ改め」、函谷鉾・鶏鉾や各山鉾を飾る色鮮やかな織物、からくり仕掛けの蟷螂山など。また鉾町で釘も使わずに建ち上げ組み立てられる鉾建て(狭い道路での作業になりますのでご迷惑にならないようにお願いします)。
そして私たち京都デザインが一番お勧めしたいのが、祇園祭の信仰の中核を担う神輿の神事。祇園祭は毎年、豪華絢爛に飾られた鉾町の山鉾がクローズアップされていますが17日山鉾巡行が終わる夕刻から始まるもう一つの祇園祭があります。三基で1,500人以上もの神輿の担ぎ手が八坂神社の氏子たちの各町内を別々に練り歩き四条寺町の御旅所まで行く神幸祭。
特にお勧めなのが、祇園石段下に三基の神輿が集結し担ぎ手たちがお神輿を頭上高く差し上げる差し回しなどの技を披露する約30分の熱気と大迫力は必見。
また24日の後祭山鉾巡行・花傘巡行の後に始まる還幸祭は、神幸祭とは逆に四条寺町の御旅所から祇園八坂神社に帰って行かれる時も同様の熱気と大迫力です。
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ここからは2024年07月17日の山鉾巡行の写真です。
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菊水鉾を見た後、室町通を少し南に歩いて四条通へ来ると、ちょうど「鉾一番」の鶏鉾が巡行のため四条通へ出てくるところでした。
16 鶏鉾
9時頃
人の流れの交通整理は本当に大変そうでした。
9時1分
ラッキーなことに歩道に縁石があります!!
この縁石に上ったら、よく見えました。
9時6分
9時10分
辻回しの様子は録画しました。
音頭取りの声や動き。
鉾の転回する様。
セミの声。
動画は写真よりずっと躍動感があります。
9時15分
9時17分
見送りが見える角度まで回りました。
9時20分
みなさんの視線が西へ。
何かが巡行してくるようです。
やって来たのは「鉾2番」の月鉾です。
17 月鉾
9時20分
四条室町を東へ通り過ぎて行きます。
鉾頭を見ても、これが月鉾であることがわかります。
続いて18 太子山が来ました。
9時22分
菊水鉾がタケを運んできました。
9時25分
19 綾傘鉾が通って行きました。
9時30分
次は菊水鉾の巡行です。
1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
四条傘鉾の次は、西洞院通の蟷螂山へ。
13 蟷螂山
8時30分頃
蟷螂山の横をサイレンを鳴らしながら救急車が通って行きました。
残念ながらビニールで覆われていました。
前掛け
タンチョウ
胴掛け
カマキリさんを作り上げようとしているところです。
まだ見送りにもビニールが
1本目の触角取付
2本目の触角取付
御所車に比してとても大きなカマキリです。
でも、どうして御所車の上にカマキリがのっている?
虫が苦手な私は、遠くにいてもキンキラの目が怖いのです。
次は新町通の放下鉾に再度立ち寄りました。
14 放下鉾(ほうかぼこ)(再度)
8時45分
ステキな見送りが取り付けられています。
見送り「バグダッド」
※麻にロウ染されたもの
※イスラム風のモスクや建物を背に、夜闇を羽ばたく二羽 のフクロウ
白いフクロウ
新町通
室町通に来ました。
8時55分
ここにあるはずの山伏山はありません。
巡行に行ったようです。
山伏山は6番目の巡行ですから。
17番目に巡行する菊水鉾はまだ立っていました。
15 菊水鉾
8時56分頃
屋根は唐破風造(からはふづくり)
見送り
胴掛け
「大黒天」の前懸
車輪の中央に金色の菊
巡行の準備完了という感じの菊水鉾です。
2024年7月17日(水)午前9時
私は、室町通を少し南に歩いて四条通へ。
お、「鉾一番」の鶏鉾が四条通に出ようと、南からやってきています。
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http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/kikusuihoko.htmlより引用
町内に古くからあった井戸、菊水井にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の透かし彫の菊花をつけている。真木のなかほどの「天王座」には彭祖像を祀る。
皆川月華作唐獅子図の胴懸、飛鶴図の前懸
山鹿清華作の下水引、皆川泰蔵作の二番水引
晁勢筆の天水引、月華作の下水引、岩澤重夫筆の深山菊水図綴織見送
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https://www.kyoto-hana.net/giyaho103.htmlより引用
菊水鉾の鉾頭 金色の透かし彫りの十六辨菊華(直径50センチ)
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1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
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https://www.kyotodeasobo.com/gion/yamaboko/
山鉾鑑賞をもっと愉しむためのおすすめポイントを紹介!
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四条通を西に向かって歩いて、郭巨山へ行きました。
11 郭巨山(かっきょやま)
郭巨山は人形の設置、飾り付けをしていました。
近くで見ようと思って、四条通を北から南へ横断しました。
四条通(西から東山方面を撮影)
8時10分
郭巨山のTシャツ
鍬と天から授けられた黄金一釜
胴掛け
郭巨山には「日覆い障子」の屋根が あります。
八坂神社の五窠紋と巴紋が朱で大きく描かれています。
人形の顔はまだ白い布で覆われています。
ついに覆っていた布が取り外されました。
山屋台上の御神体 (人形)は、郭巨と童子です。
身長160cm の郭巨は、生活苦と驚き(黄金出現)の混じった表情だそうな。
身長105㎝ の童子(三歳)は、右手に唐団扇、左手に牡丹の大輪を持ち、笑顔を浮かべています。
見送り『昇り龍図染彩』
車輪は小さいです
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http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/kakkyoyama.htmlより引用
中国の史話二十四孝の一人郭巨釜掘りの故事にちなんで造られ「釜掘り山」ともいわれる。
山に飾る御神体(人形)の郭巨と童子は寛政元年(1789)金勝亭九右衛門利恭の作で前懸は天明5年(1785)製の唐美人遊楽図の絽刺、胴懸は石田幽汀(1721~86)の下絵による呉道子描龍図と陳平飼虎図の刺繍で天明5年松屋源兵衛の作、見送は文化12年(1815)製で円山応震(1790~1838)の下絵による山水仙人図であったが、昭和58年から新しく上村松篁原画による秋草図前懸、花の汀図および春雪図胴懸、都の春図見送の綴織を順次新調した。後懸は阿国歌舞伎図綴織と古後懸に天明5年改修の黒ビロード地福禄寿図刺繍がある。この山に限って桐桜菊の欄縁の下に金地彩色宝相華文様の乳隠しが用いられ、また屋根覆いをかけている。
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https://kyotolove.kyoto/I0000629より引用
郭巨山釜堀りの故事は中国二十四孝という親孝行の話のひとつで、後漢の人、郭巨は貧困のため老母と3歳になる男子を養えなくなり、悩んだ郭巨は「子を育てようとすれば老親への孝の妨げとなり、老母を養おうとしても老母はその少ない食物を孫に与えるのでこれも老親への孝の妨げとなる。よって、子を棄て、母を養おう。子は再び得られるが母は再び得られない」と決心し、子を棄てることにする。
穴を掘ろうとしたら、地中から「天賜孝子郭巨 官不得奪 人不得取=天が孝子郭巨に与える。官が奪ってはいけない。人も取ってはいけない」の1札とともに黄金1釜(約6斗升)が出て、老母に孝養を尽くせたという。
穴を掘ろうとしたら、地中から「天賜孝子郭巨 官不得奪 人不得取=天が孝子郭巨に与える。官が奪ってはいけない。人も取ってはいけない」の1札とともに黄金1釜(約6斗升)が出て、老母に孝養を尽くせたという。
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https://kakkyo-yama.org/
https://kakkyo-yama.org/gionmatsuri/photo
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四条通を少し西へ歩きました。
12 四条傘鉾
8時25分頃
子どもたちとその親たちがたくさんいます。
どうやら子どもたちが主役の傘鉾のようです。
四条傘鉾の垂りは、染色作家鈴鹿雄次郎が製作した絹織物『麗光鳳舞之図』。
魔除けといわれる七色の雲を背景に、鳥が飛ぶ姿を表したものだそうな。
傘の上には赤い御幣と若松が飾られています。
「
組ごとに写真を撮っていました。
一組が棒振り・鉦・太鼓・ササラの8人。
二組計16人の小学生で構成されているそうです。
棒振りを担当する踊子は、頭に赤熊(しゃぐま)をかぶり、振袖袴姿です。
このブログをまとめるまで、棒振り踊りというものがあることさえ知らなかった私。
見逃したのは残念ですが、また次の機会の楽しみにします。
8時半頃の四条通
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http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/shijokasahoko.htmlより引用
四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つ
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https://kyoto-k.sakura.ne.jp/gion125.htmlより引用
四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱(一四六七~一四七七)以前に起源をもち、傘の上には赤幣(あかへい)と花瓶、若松を飾る。
大火焼失、復興を繰返していた四条傘鉾も、明治四年まで巡行に加わって以降途絶えていたが、昭和六十年、町内の人々の努力が実り傘鉾の本体が再興され、昭和六十三年から巡行に欠かせない踊りとはやしが復元され、三十二番目の山鉾として巡行することになった。実に百十七年ぶりのことであった。
なお、踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊(ふりゅうおどり)で、今も滋賀県の瀧樹(たぎ)神社に伝わる「ケンケト踊」を参考に復元したものである。
大火焼失、復興を繰返していた四条傘鉾も、明治四年まで巡行に加わって以降途絶えていたが、昭和六十年、町内の人々の努力が実り傘鉾の本体が再興され、昭和六十三年から巡行に欠かせない踊りとはやしが復元され、三十二番目の山鉾として巡行することになった。実に百十七年ぶりのことであった。
なお、踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊(ふりゅうおどり)で、今も滋賀県の瀧樹(たぎ)神社に伝わる「ケンケト踊」を参考に復元したものである。
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https://www.city.kyoto.lg.jp/shimogyo/page/0000011951.htmlより引用
山鉾の魅力細見 -四条傘鉾-
棒振りの子供が舞う昭和最後に復興した傘鉾
古く応仁の乱以前に起源を持っていますが、明治4年以降途絶えていた傘鉾です。昭和60年に本体が再興され、路上に飾るだけの「居祭(いまつり)」を続けていましたが、3年後に踊りと囃子が再現され完全復興しました。棒振り踊の構成は、棒振り2人と鉦(かね)・太鼓・ササラ各2人の計8人の子供からなります。囃子に合わせて踊る様子は、綾傘鉾のそれとは印象が違っていて、実に味わい深いものです。
古く応仁の乱以前に起源を持っていますが、明治4年以降途絶えていた傘鉾です。昭和60年に本体が再興され、路上に飾るだけの「居祭(いまつり)」を続けていましたが、3年後に踊りと囃子が再現され完全復興しました。棒振り踊の構成は、棒振り2人と鉦(かね)・太鼓・ササラ各2人の計8人の子供からなります。囃子に合わせて踊る様子は、綾傘鉾のそれとは印象が違っていて、実に味わい深いものです。
四条傘鉾の由来は、山鉾の魅力細見・山鉾由来記のページをご覧ください。
明治4年の巡行に加わって以降途絶えていたこの傘鉾も、昭和60年にはこのような路上に飾るだけの「居祭」の形ながら114年ぶりに祇園祭に参加した
奏でられるお囃子は、新たに作られたもので、ゆったりとした特徴を持つもの
『洛中洛外図屏風』や古い文献を参考に作られ山上に赤幣と若松を飾る
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https://www.city.kyoto.lg.jp/shimogyo/page/0000011341.htmlより引用
綾傘鉾と同じく鉾の最も古い形態を残す傘鉾である。しかし以前は台車は付いておらず、人が持って巡行していた。傘鉾というのは、儀杖(ぎじょう)用の矛(ほこ)に傘を付けたもので、神事では神様の仮のお姿として祀られたという。
四条傘鉾も傘鉾と棒振り囃子の行列で巡行に参加するが、これは素戔鳴尊(すさのおのみこと)が大蛇(おろち)を退治したとき、鬼たちが主人を捨てて尊に従って北天竺まで送ったさまを表したものだといわれている。
https://www.city.kyoto.lg.jp/shimogyo/page/0000011341.htmlより引用
綾傘鉾と同じく鉾の最も古い形態を残す傘鉾である。しかし以前は台車は付いておらず、人が持って巡行していた。傘鉾というのは、儀杖(ぎじょう)用の矛(ほこ)に傘を付けたもので、神事では神様の仮のお姿として祀られたという。
四条傘鉾も傘鉾と棒振り囃子の行列で巡行に参加するが、これは素戔鳴尊(すさのおのみこと)が大蛇(おろち)を退治したとき、鬼たちが主人を捨てて尊に従って北天竺まで送ったさまを表したものだといわれている。
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1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
綾傘鉾を見た後、また新町通の船鉾へ戻ってみました。
どんな風に作業が進んでいるか見たくて。
9 船鉾(再度)
7時50分
車輪の調整中でした
ビニールの取り外しが始まりました。
曳き手は傘を被っています。
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船鉾の「見送り」について調べていたら、こんな論文がありました。
file:///C:/Users/katak/Downloads/IPSJ-S-CH2011017.pdf
超高精細分光撮影による祇園祭・山鉾懸装品のデジタルアーカイブ(第二報)
※京都・祇園祭の山鉾の装飾品(懸装品など)を対象に行った 6 バンド,約 25 億画素のマルチバンド撮影作業とその結果についての論文です。
横 131cm×縦 171cm の「見送 雲龍図 綴織」の撮影実験をしています。
横 131cm×縦 171cm の「見送 雲龍図 綴織」の撮影実験をしています。
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新町通をまっすぐ北へ歩きました。
10 放下鉾(ほうかほこ)
8時頃
引き綱が、なが~く地面に伸ばされていました。
これで鉾を曳くのですね。
前掛けの上の青海波の上に取り付けています。
※三番水引 青海波におしどり図綴織
更にその上に取り付けます。
しっかり結んでいます。
金色の車輪がステキなTシャツ
ここに見送り(フクロウが描かれたローケツ染 「バグダッド」)が取り付けられるのですね。
鉾頭(ほこがしら) 日・月・星の三光が下界を照らす形
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放下鉾
http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/hokahoko.htmlより引用
鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。
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放下鉾
https://www.kyoto-hana.net/giyaho106.html#gihokaを見ると、鉾頭、稚児人形「三光丸」、 天王人形、懸装品等 の写真があって、参考になります。
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1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
室町通で白楽天山を見た後、北へ進みました。
南の方を振り返って白楽天山を見たところ
室町通にも提灯が飾られています。
7 鶏鉾(にわとりほこ)
北には鶏鉾が建っています。
7時35分頃
車輪の調整中です
見送り
胴掛け
鉾頭
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8 綾傘鉾(あやかさほこ)
綾傘鉾は2基で構成されています。
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https://ayakasahoko.or.jp/about/より一部引用します。
綾傘鉾には、二基の鉾が存在します。傘部は直径2.6mの緋綾の天蓋となっており、頂には一基に御神体とする木彫りの金鶏象(右足に鶏卵をつかんでいる金鶏)と、二基には松の木がそれぞれ飾られます。次はそれぞれに着けられる「垂り(さがり)」について紹介します。綾傘鉾には、2基の鉾が存在します。傘部は直径2.6mの緋綾の天蓋となっており、頂には1基に御神体とする木彫りの鶏と2基には松の木がそれぞれ飾られます。
7時45分頃
1 傘の上には、木彫漆箔鶏(右足で鶏卵をつかんでいる金鶏)
懸装品「垂り」は、綴織「飛天の図」
飛天の図の元は、「ひのやくし」の通称で知られる法界寺の阿弥陀堂内陣壁画の飛天だそうな。
木彫漆箔鶏(御神体)
2 傘の上には、松の木
懸装品「垂り」は、人間国宝の染色家・森口華弘さん寄贈の友禅染「四季の花」
町衆
大原神社
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家に帰って、Youtubeを見ていたら、https://www.youtube.com/watch?v=bhIRjO_7D0g【祇園祭2023】前祭・綾傘鉾「棒振り囃子」(2023年7月17日)
というのがありました。
【祇園祭2023】前祭・綾傘鉾「棒振り囃子」(2023年7月17日)
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綾傘鉾の棒振り囃子は見たかったなぁと思いました。
見逃したものがあると、また行こう!という動機づけになりますから、悪いことではありません。
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https://ayakasahoko.or.jp/kesohin/より一部引用
綾傘鉾の懸装品
木彫漆箔鶏(御神体)
1727年(享保12)年に制作された、傘鉾の鉾頭として使用されている雄鶏像である。巡行の際に傘の先端に取り付けられるが、宵山期間中は大原神社の社務所飾りとして、展示され訪れる人々の衆目を集めている。京都市指定文化財。
垂り
四季の花 「単彩の友禅染」
飛天の図 綴織の垂りと呼ばれる傘飾り幕
胴懸 黒緋羅紗継ぎ合せ縞に窠紋刺繍(前掛幕)
窠紋とは、瓜の断面のような文様のことを指し、有職文様の一つ。八坂神社の神紋「五瓜に唐花」にならったものであると考えられる。
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1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
か‐もん【窠紋】
有職文様の一。数個の円弧形をつなぎ合わせた中に、唐花や花菱などを入れたもの。木瓜もっこうともいわれ、家紋として用いる。→木瓜
しだり【垂り】
たれ下がること。しだれ。
たれ下がること。しだれ。
しずり【垂り】
木の枝などに降り積もった雪が滑り落ちること。また、その雪。しずり雪。しずれ。《季 冬》
木の枝などに降り積もった雪が滑り落ちること。また、その雪。しずり雪。しずれ。《季 冬》
2024年7月17日の山鉾巡行の日に私が見たものを順番にアップしていきたいと思います。
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船鉾を見た後、新町通を更に南へ進みました。
5 岩戸山(いわとやま)
7時20分頃
岩戸山も巡行順の「くじ取らず」の鉾で、22番目に巡行します。
岩戸「山」ですが、鉾と同じ車をつけた曳山です。
力強い縄です
埒は撤去されていました。
屋根の上には太刀をはき天瓊矛をつき出した伊弉諾尊を安置されるようですが、
ビニールや覆い屋根はまだ撤去されていません。
22番目の巡行だからそう急がないのでしょう。
令和6年度 祇園祭岩戸山 祭礼日程および役割表
新町通の岩戸山
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祇園祭は7月1日から一ヶ月にわたる悠長なお祭り。
それぞれの各町内が趣向をこらし、見栄と誇りを競い、神遊びにかこつけて、熱中する町衆が積み重ねて完成したのが山鉾。現在は山と鉾を合わせて33基。
それぞれの各町内が趣向をこらし、見栄と誇りを競い、神遊びにかこつけて、熱中する町衆が積み重ねて完成したのが山鉾。現在は山と鉾を合わせて33基。
そのひとつの岩戸山は「山」でありながら「鉾」のかたちをした「曳山」。
鉾柱のかわりに山の象徴である「松」をたてている。
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下の岩戸山のYoutube(2022年7月17日 山鉾巡行 祇園祭 前祭)は、楽しめます。
活気があり、内容の濃い、6分程度の動画です。
辻回しの様子もよくわかります。
是非ご覧ください。
2022年7月17日 山鉾巡行 祇園祭 前祭
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室町通に建つ白楽天山へ行きます。
6 白楽天山(はくらくてんやま)
白楽天山は、曳山ではなく、舁山(かきやま)です。
「舁山」という字と言葉を初めて知りました。
7時30分頃
見送り
人形は、唐の詩人白楽天と道林禅師
胴掛け
フランスから購入した17世紀製作のタペストリーだそうな。
かなり傷んでいます。
前掛け
中心のタペストリーは 16世紀ベルギー製
「イーリアス」の中のトロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図
昨年(2023年)、復元新調されたようです。
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https://kyoto-design.jp/special/gionmatsuri/yamahokoより引用
唐の詩人 白楽天が、道林禅師に仏法の大意を問うところを表している。
唐冠を付けた人形が白楽天で、帽子をかぶった僧の人形が道林禅師。
真松は山の中で一番高い。
唐冠を付けた人形が白楽天で、帽子をかぶった僧の人形が道林禅師。
真松は山の中で一番高い。
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http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/hakurakutenyama.htmlより引用
唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うところである。道林禅師は、緞子地の紫衣を着け、藍色羅紗の帽子をかぶり手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣裳に唐冠をかぶり笏を持って立っている。
前懸 中心のタペストリーは 16世紀ベルギー製で「イーリアス」の中のトロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図
胴懸、水引及び見送 フランスから購入した17世紀製作のタペストリー
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https://hakurakutenyama.jp/より引用
祇園祭は八坂神社の神様・素戔嗚尊が家族とともに三基の神輿に乗って、年に一回、氏子の街に渡御されるお祭りです。世界で一番長く、1100年以上続いています。祇園祭は八坂神社が行う神事「神輿渡御」と下京の町衆が行う「山鉾巡行」の二つの行事があります。7月1日の各山鉾町の切符入りに始まり、17日の前祭の巡行で神様をお迎えし、24日の後祭で神様をお送りします。前祭と後祭の前日三日間には宵山があり、各山鉾の提 灯に明かりが灯り、祇園囃子が流れます。31日に疫神社(八坂神社内)にて夏越祭が行われ、祇園祭は終了します。
祇園祭を豪華絢爛に彩る山鉾は、鉾、山、傘鉾に大別されます。鉾は疫病の依代となる真木を中心に屋形を組み、それに車をつけて曳く形態です。傘鉾は大きな傘の上に作り物や松を飾った風流傘です。山は「曳山」と「舁山」に分けられます。曳山は鉾の真木が真松に変わるだけで、ほかは鉾と同じです。舁山は、神話や故事、伝説などの一場面を表現した、言わば移動する演劇舞台です。白楽天山は舁山ですが、白楽天の真松は、祇園祭の山の中で最も高く、地上からの高さは7メートル以上あります。
山鉾を飾る世界の貴重な染織 品の多くは懸装品と呼ばれ、今から数百年前の江戸時代に海外から日本に入ってきたもので、豪華絢爛な一級の美術 品です。そのため、祇園祭には「動く美術館」という別名もあります。白楽天山を飾る前懸の中心のタペストリーは16世紀ベルギー製で「イーリアス」の中のトロイア陥落の1場面を表しています。胴懸、水引及び見送はフランスから購入したタペストリーです。
山鉾を飾る世界の貴重な染織 品の多くは懸装品と呼ばれ、今から数百年前の江戸時代に海外から日本に入ってきたもので、豪華絢爛な一級の美術 品です。そのため、祇園祭には「動く美術館」という別名もあります。白楽天山を飾る前懸の中心のタペストリーは16世紀ベルギー製で「イーリアス」の中のトロイア陥落の1場面を表しています。胴懸、水引及び見送はフランスから購入したタペストリーです。
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https://www.kawashimaselkon.co.jp/info/news/20230525-01/
祇園祭「白楽天山」の前懸と水引を製作しました 2023.05.25
京都の祇園祭の山鉾のひとつ「白楽天山」。
舁山(かきやま)を飾る前懸と水引が復元新調され、2023年5月9日に京都文化博物館でお披露目されました。
舁山(かきやま)を飾る前懸と水引が復元新調され、2023年5月9日に京都文化博物館でお披露目されました。
川島織物セルコン
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1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
1 長刀鉾 2 函谷鉾の続きです。
3 月鉾
函谷鉾から西へ少し行くと月鉾が建っています。
7時頃
鉾頭は18金製の 新月型(みかづき)
ここに音頭取りの人が立つのですね。
車輪の調整です
前掛け 17世紀インドムガール王朝時代の「メダリオン緞通」
見送り 皆川月華作「湖畔黎明図 」
胴掛け インドやトルコの絨毯
北面 中東蓮花葉文様
南面 幾何菱文様
天水引 天保6年(1835)円山応震の下絵「霊獣図刺繍」
下水引 皆川月華作「花鳥図」
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https://www.tsukihoko.com/より一部引用
月鉾は、山鉾33基の中でも最も大きく重い鉾です。そして、鉾を飾る装飾も細部に至るまで素晴らしく、動く美術館と讃えられています。
前掛けは、17世紀インドムガール王朝時代の「メダリオン緞通」、見送りは皆川月華作“黎明図”、また天水引には、円山応震下絵の“霊獣図刺繍”等々、見ごたえのある装飾品で飾られています。
令和六年度 月鉾行事次第
七月十七日 | 午前 六時半 午前 八時半 | 鉾 巡 行 準 備 鉾 巡 行 出 発 |
令和六年 祇園祭 山鉾巡行順番
七月十七日祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が七月二日に行われました。
今年の巡行順は次の通り。
【前祭】=十七日
1.くじ取らず 長刀鉾
2.山一番 油天神山
3.山二番 伯牙山
4.山三番 白楽天山
5.くじ取らず 函谷鉾
6.山四番 山伏山
7.傘一番 綾傘鉾
8.山五番 保昌山
9.鉾一番 鶏鉾
10.山六番 霰天神山
11.山七番 芦刈山
12.山八番 孟宗山
13. 鉾二番 月鉾
14.山九番 太子山
15.傘二番 四条傘鉾
16.山十番 蟷螂山
17.鉾三番 菊水鉾
18.山十一番 木賊山
19.山十二番 郭巨山
20.山十三番 占出山
21・くじ取らず 放下鉾
22・くじ取らず 岩戸山
23・くじ取らず 船鉾
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四条通から北側の新町通
放下鉾(ほうかほこ)が見えます。
4 船鉾
四条通から新町通を南へ歩きました。
7時10分頃
船の形をした「船鉾」です。
船鉾は巡行順の「くじ取らず」の鉾で、23番目(最後)の巡行です。
木にシールが貼ってあります。
適切なお知らせだと思いました。
知らないと誰もがつい座ってしまいそうな気がします。
埒は既に撤去されていました。
屋根の取り外し作業
まだ船鉾全体がビニールで覆われています。
車輛通行止めの立札
1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
2024年7月17日の山鉾巡行の日に私が見たものを順番にアップしていきたいと思います。
1 長刀鉾(なぎなたほこ)
四条駅に着いたのは6時半頃。
早朝の四条通
四条通の北側に建つ長刀鉾
鉾はまだ埒で囲まれています。
ビニールも付いています。
活気があります
東側から撮影
紙垂(しで)と榊
鉾頭(ほこがしら)の長刀
再び西側から撮影
6時50分頃、見送りが垂らされました。
6時50分頃の四条通
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http://naginatahoko.jp/より引用
「くじ取らず」の鉾として、常に山鉾巡行の先頭を進みます。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、鉾先に大長刀をつけているのでこの名で呼ばれます。山鉾の中で唯一生稚児が乗ります。
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2 函谷鉾(かんこぼこ)
四条通を西進
6時50分頃
函谷鉾が建っていました
函谷鉾も巡行順の「くじ取らず」の鉾で、5番目の巡行です。
函谷鉾の鉾頭は、山稜を表わす三角形 と三日月。
作業が始まっています。長い木材が撤去されます。
「モン・サン・ミッシェル」前掛け
「エジプト天空図」見送り
大きな車輪です
胴掛け
一「梅に虎文」 二「赤地花唐草文」 三「玉取り獅子文」
埒の撤去作業はどんどん進んでいきました。
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https://www.kankoboko.jp/より引用
函谷鉾は、四条通室町東入(烏丸西入)函谷鉾町の鉾で応仁の乱(1467~1477)以前に起源を持ち、くじ取らず(五番)の鉾として、長刀鉾に次いで鉾二番に巡行し、鉾櫓、屋根の規模で最大級の鉾の一つです。
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https://www.kankoboko.jp/about/hoko.phpは、とても充実してます。
https://www.kankoboko.jp/about/hoko_kesouhin.phpの前掛け、見送り、胴掛け等々の写真がきれいです。
説明文を読んでいると、いろいろ勉強になります。
※「懸装品」は「けそうひん」と読むのですね。
https://www.kankoboko.jp/about/hoko_kesouhin.php
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https://www.kankoboko.jp/about/hoko.phpより引用
地上から鉾頭まで約24メートル、重量約12トンあり、巡行時には囃子方最大約70名、屋根方4~5名、音頭取り2名(辻回し時は4名)が乗る「函谷鉾」。
前掛け
●重要文化財 ゴブラン織り
函谷鉾の至宝で、国の重要文化財にも指定されている16世紀にベルギーで製作された毛綴織の前掛けです。
旧約聖書創世記第二十四章の「イサクの嫁選び」の場面が描かれており、函谷鉾では18世紀の初頭から函谷鉾の前掛として使われてます。
平成17年(2005)に復元新調。祭り期間中は会所2階に新旧を並べて展示します。
見送、前掛
●「エジプト天空図」見送
皆川泰蔵作 昭和五十五年(一九八〇)新調
三百八十センチメートル×二百三十センチメートルでスカラベやタカの造形飾り金具が最上部に大きな見送房一対とともに四つ、最下部に見送裾房とともに十コ付けられています。
●「モン・サン・ミッシェル」前掛
平成十年(一九九八)に皆川泰蔵氏より寄贈を受け、前掛用に仕立て直した。フランス、ノルマンディーの海岸に浮かぶ世界遺産の聖堂をメインに飛行船と気球を描いたもの。
●「エジプト天空図」見送
皆川泰蔵作 昭和五十五年(一九八〇)新調
三百八十センチメートル×二百三十センチメートルでスカラベやタカの造形飾り金具が最上部に大きな見送房一対とともに四つ、最下部に見送裾房とともに十コ付けられています。
●「モン・サン・ミッシェル」前掛
平成十年(一九九八)に皆川泰蔵氏より寄贈を受け、前掛用に仕立て直した。フランス、ノルマンディーの海岸に浮かぶ世界遺産の聖堂をメインに飛行船と気球を描いたもの。
胴掛(三種類)
函谷鉾の胴掛は「北流れ(左側=笛方側)」と「南流れ(右側=鉦方側)」にそれぞれ三種類、同じものが前(進行方向)から順に掛けられている。進行方向から順に
一.「梅に虎文」
十七世紀、李朝の朝鮮段通。
斜目の格子額の中に太い幹の梅樹と大虎が織り出されたもの。
百十一センチメートル×百七十五センチメートル。現在は平成三年に復元新調されたものを使用している。
二.「赤地花唐草文」
十七世紀から使用している華文唐草模様のペルシャ絨毯。
百四十八センチメートル×百八十二センチメートル。現在は平成二年に復元新調されたものを使用している。
三.「玉取り獅子文」
十七世紀から使用しているアラビア文字額の中に〝玉取り獅子〟の中国段通。
〝玉取り獅子〟の図柄は雌雄の獅子がじゃれ合うとその毛玉から立派な獅子が生まれるという吉祥模様である。
百八センチメートル×百七十一センチメートル。現在は平成三年に復元新調されたものを使用している。
稚児人形
天明八年(一七八八)の大火で消失した函谷鉾は天保十年(一八三九)に復興を果たしました。このとき、他町に先駆けて左大臣一条忠香卿の御令息実良君(さねよしぎみ=明治天皇の后、昭憲皇太后の実兄)をモデルに稚児人形を製作、「嘉多丸(かたまる)」と命名していただきました。
鉾建て
七月十日から十二日まで三日間、延べ百八十人の手によって鉾が建てられ、絢爛な姿を現します。
作事方
鉾には専門の技術集団があり、鉾屋根を組み立て大工仕事などをする大工方、鉾の櫓を組み立てる手伝い方、車輪を取り付け鉾の動きを操作する車方を一般に作事三役といい、函谷鉾では古くから「三役」と呼んでいる。三役は天保の再興時より今日まで毎年七月一日の吉符入りでは町内に誓約書を差し入れ、祭礼に際し万全の心構えを示す、重い責任と高い誇りを持ったプロの技術者集団である。
三役によって組み立てられ、動かし操られた鉾は巡行を終えると即座に解体(鉾に集まった疫神が滞らないようにするため)され、蔵の中でまた一年の眠りにつく。
大工方
鉾屋根と囃子台を組み立て、修理などの大工仕事をするのが大工方。巡行時には屋根に上がり、狭い新町通では転落の危険を顧みず、すさまた棒を用い電線や電柱の障害物を押し退け、安全な巡行の役割をはたす「屋根方」である。
手伝い方
鉾の櫓(胴組)を組み立てて縄絡みを施すのが手伝い方。櫓を寝かせて真木を差し込み起こす作業は圧巻である。巡行時は「音頭取り」として交替で二人が鉾の前面に立ち、扇子と音頭で鉾の巡行を促す。辻回しの折は四人に増やして曳き子との調和を図り、勇壮な辻回しを行う。
車方
車輪を取り付け、かぶらてこ、おいてこ、かけや、ささらなどの道具を使って、鉾の進路の調整や停止、辻回しの作業を行う。狭い新町通では細心の注意を払い、電柱、電線、看板などの障害物を微妙な手さばきで鉾の巡行に努める。
囃子方
巡行中囃される祇園囃子は少年期の鉦、その後の笛、太鼓で構成され、各鉾、曳き山でそれぞれ二十~七十名おり、函谷鉾では小学生から八十歳程度の年輩まで約七十名が鉾に乗り込む。七月一日から八日までの「二階囃子」、十二日の曳き初めから十六日までの宵宮囃子(鉾囃子)、そして十七日の巡行を迎える。宵山(十六日)の夜には四条寺町の八坂神社御旅所まで翌日の巡行の安全を願う「日和神楽」が行われる。函谷鉾の囃子曲は四十数曲あり、鉾が進行中は必ず祇園囃子が囃される。かつて巡行中に鉾の上から投げられていたチマキは、事故により自粛され、現在は上から投げることは無く、保存会役員が関係者に手渡ししている。
囃子の道具
祇園囃子は「コンチキチン」の鉦の音色が特徴的であるが、リズムを刻む鉦、メロディーを奏でる笛、テンポを司る太鼓の三楽器で構成される。
鉦
鉦は直径二十センチメートル側面六センチメートルの青銅合金製で、銅と錫の割り合いや分厚さの兼ね合いもあり各鉾それぞれに音色が違う。鉦の凹面の底を打つといわゆる「コン」である。凹面の下縁を振り下ろして打ち、そのまま振り上げ凹面の上縁を打って上方へ振り抜き、続いて凹面の下縁を振り下ろして「チキチン」である。鉦を打つバチは「鉦すり」と呼ばれ、柄は長さ約三十三センチメートル、厚さ五ミリメートルの鯨のひげ製であったが、近年、「鯨のひげ」の入手不足から樹脂製の柄を使用している。「鉦すり」の頭は三十三ミリメートル厚さ十七ミリメートルの鹿の角製であるが、固さと大きさの具合から角の根の部分を使用するため、近年はエゾシカの角を使用している。個人持ちであるが七千円~一万円と高価であり、力強く連打することもあって柄の折損、頭の割れなど破損しやすく、二~三本づつ予備を持つのが普通である。
笛
唯一の旋律楽器の笛は七つ穴の能管で二十万円から三十万円のものが多く使われているが個人持ちである。 昭和初期まで笛方は笛専門の奏者が日当を得て囃子に参加していたが第二次大戦前後からは鉦方からの希望者を養成している。
太鼓
太鼓は能や歌舞伎で使われる締太鼓で胴の直径二十六センチメートル、高さ十四センチメートル、皮の直径三十五センチメートルで牛の皮と欅の胴を朱橙に染めた麻紐(調べという)で締め上げる。檜の二本のバチで打ち、函谷鉾では打つ側の皮の中心に皮の保護と音の調整のため直径六センチメートルの鹿皮を貼っている。締め上げるのに力が要り、担当する若手の手のひらにはマメが絶えない。
四条通での囃子
七月十七日午前八時三十分ごろ、おもむろに鉾は町会所から離れ、静寂の中、車輪の音を軋ませながら四条通を西に室町まで曳かれ町内出発のときを待つ。 稚児人形嘉多丸君の日除け幕が外され、ビルの谷間に太鼓の音が響くと囃子方の低く重い掛け声と音頭取りの掛け声が重なり、笛、鉦が最初の音を出すと鉾が進み出し拍手が沸きあがる。曳き子の力強さと囃子方の厳粛さが鉾全体に漲る。「地囃子―出わか」を奏でながら鉾宿の前を過ぎるとき、一際大きな拍手と「行ってらっしゃい」の声がかかる。
午前九時、長刀鉾が出発、山が三つ入ると間髪置かず函谷鉾は改めて曳き出しの地囃子を囃し町内を後にする。東洞院~高倉で「出鶴」、堺町の「くじ改め」で「出函谷」を囃す。寺町の御旅所で再び「出函谷」を囃すため、間に「出わか」を入れる。本社遥拝の後、長刀鉾の「辻回し」待ちで小休止。 進発後、四条河原町交差点進入前に「小松」に入り、「神楽―唐子―白山―「戻り囃子(地囃子)」と繋がり、この間囃子の短縮はできないので「小松」に入るタイミングが微妙であり、河原町西入の呉服店あたりを基準に経験で「小松」に入るタイミングを決めている。
水引
水引は屋根の回りの梁から四本の化粧柱を囲み、欄縁に座る囃子方の頭上を囲むように掛けられる上(天)水引と、欄縁のすぐ下に掛けられ、胴掛、前掛などの上部を飾る下水引がある。
裾幕
鉾の左右側面の胴掛の下部にあり、縄絡みや辻回し時に車輪に敷く竹ささらを巡行中に隠すように覆うのが裾幕で、下幕とも縄隠しともいわれる。
鉾の左右側面の胴掛の下部にあり、縄絡みや辻回し時に車輪に敷く竹ささらを巡行中に隠すように覆うのが裾幕で、下幕とも縄隠しともいわれる。
真木
梅雨空の曇った天に雨模様とともに見上げる真木、あるいはその合間の真っ青な中空に向かってそそり建つ真木。鉾の真木には上から順に、鉾頭(ほこがしら)、大幡(おおはた)、天王人形(小屋根、岩=台、含む)、関、角幡(かくはた)、榊、しゃぐま(飾り結び)、しゃぐま垂れ、網隠し(あみかくし)などの真木飾りがある。
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https://doncho.suminoe.jp/product/kesouhin/index.html
祇園祭(京都)函谷鉾の「前掛幕」、「後掛幕」、「胴掛幕」は当社が復元しました。
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1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
2024年7月17日、祇園祭前祭(さきまつり)山鉾巡行の日の早朝、京都へ行きました。
山鉾巡行そのものではなく、巡行の準備をする様子を見たいと思ったのです。
17日は午前9時から山鉾巡行が行われます。
その前にゆっくりと見たかったので、頑張って早起きして、6時半頃、四条駅に到着しました。
雨の降りそうな気配はないし、曇っているし、見て回るにはベストな日といえます。
祇園祭の山鉾は、34基あります。
そのうちの23基が前祭で、11基が後祭で巡行します。
つまり、17日の早朝、京都の町には23基が建っているのです。
https://www.kbs-kyoto.co.jp/gion/06junko/index.htmの一部 「山鉾マップ
前祭山鉾巡行」を前夜プリントしました。
前祭山鉾巡行」を前夜プリントしました。
それを頼りに、さぁ見学開始です。
烏丸通の東の東洞院通に保晶山が、
烏丸通の東側に長刀鉾が、西側に孟宗山が、
烏丸通から西へ順番に室町通、新町通、西洞院通、油小路通があり、20基が建っています。
(この地図1枚はとても役に立ちました。)
適当に歩きながら、山鉾を取り囲んでいるものや屋根やビニール等を取り外す作業、人形を設置する作業、垂りや見送りを取り付ける作業、動くための車輪の調整の様子などを楽しく拝見しました。
山鉾を有している氏子さんたちの熱気や伝統を誇らしく思っている雰囲気が伝わってきて、羨ましく思いました。
お祭りは当事者たちのものであり、見学者は楽しませていただきますが、あくまでもアウトサイダーだといつも感じます。
6時半頃からあちらこちらの山鉾を見て、写真を撮って、歩き回っていたら、あっという間に時間が経ちました。
晴れてきて、なんだか暑くなってきました。
巡行は9時から始まります。
※前祭の山鉾巡行コースは、四条通を東進して河原町へ、河原町通を京都市役所辺りまで北上して、御池通を西進し、それぞれの鉾町へ帰って行きます。
●2024年の山鉾巡行(前祭)の順番は、
1-長刀鉾、2-油天神山、3-伯牙山、4-白楽天山、5-函谷鉾、6-山伏山、
7-綾傘鉾、8-保昌山、9-鶏鉾、10-霰天神山、11-芦刈山、12-孟宗山、
13-月鉾、14-太子山、15-四条傘鉾、16-蟷螂山、17-菊水鉾、18-木賊山、
19-郭巨山、20-占出山、21-放下鉾、22-岩戸山、23-船鉾
(※駅でもらってきたパンフレットを家で見て知ったことです。)
が、巡行にはあまり関心がない私は、9時を過ぎてもなんとなく室町通を歩いていました。
四条通に着くと、ちょうど鶏鉾が南から四条通に出ようとしていました。
辻回しが見られるなんて、ラッキーなタイミング!
祇園祭の最大の見せ場は、交差点で90度転換する「辻回し」だとよく聞きます。
じっくりと鶏鉾の辻回しを目の前で見せてもらいました。
※ちなみに前祭の辻回しは、8つの山鉾が行うようです。
長刀鉾(なぎなたほこ)・函谷鉾(かんこぼこ)・鶏鉾(にわとりほこ)・菊水鉾(きくすいほこ)・月鉾(つきほこ)・放下鉾(ほうかほこ)・岩戸山(いわとやま)・船鉾(ふねほこ)
詳細はhttps://kyototravel.info/sakitsujimawashi#4をご覧ください。
長い割竹を山鉾の下から取り出し、進行方向の地面に敷き、その上に水をかけ、曳き手たちが力いっぱい引っ張ると、方向転換ができます。
一気に90度の回転は無理で、少しずつ少しずつ方向を変えていって、(3回目か4回目で)方向転換成功!!
90度転換するのにはかなりの時間がかかるのだと知りましたよい
おっとりとした、力強い祭りです。
船鉾・大船鉾を除いた各鉾の大体の大きさは、
重量 約12トン(約3,200貫)
高さ 地上から鉾頭(ほこがしら)まで約25m 地上から屋根まで約8m
車輪 直径約1.9m前後
高さ 地上から鉾頭(ほこがしら)まで約25m 地上から屋根まで約8m
車輪 直径約1.9m前後
だそうな。(https://ja.kyoto.travel/event/major/gion/understand.phpより)
重いですねぇ。
それを支える車輪も大きいですねぇ。
地上から25mの高さにある鉾頭はとても小さく見えました。
祇園囃子(ぎおんばやし:楽器は鉦・笛・太鼓)のコンチキチンと共にセミの鳴く声も聞こえてきました。
この暑さは夏です!!
(この後、鶏鉾の車輪が壊れて、巡行途中で引き返したとニュースで聴きました。なんともお気の毒なことでした。)
その後、菊水鉾が四条通に出て行くところの辻回し、蟷螂鉾のてっぺんのカマキリさんの元気な手や羽の動きも楽しく見ました。
カマキリさんの動き、4人の人間が中に入っていて動かしているそうな。
狭いだろうし、暑いからたいへんだろうなぁ。
(この後、カマキリさんの左手が途中で落下するハプニングが起こったともニュースで聞きました。飛んで行った左手は、誰かに当たらなかったでしょうか?)
アクシデントは起こるものですねぇ。
これだけ見て、巡行見学はもう満足だわ!!と思った私は、休憩できるお店を探しました。
10時頃、四条の少し北、室町通で朝定食を提供しているお店を発見!!
めし さんど
朝定食が(500円+税)だそうです。
私は鮭を選びました
ご飯は小サイズなので、495円(450円+税)
美味しい焼き鮭でした。ごちそうさまでした。
ご飯を食べ終わったのは10時半頃でしょうか。
また四条通に戻り、更に少しだけ巡行を見た私は「もう十分見たし、暑いし、しんどいから帰ろう」と思って、地下鉄四条駅へ向かいました。
函谷鉾(かんこぼこ)のところで「ちまき」が目に入りました。
「ちまき」は、魔物が嫌う笹の葉でつくられた疫病・災難除けのお守りで、「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」の護符がつけられています。
私にも邪悪なものを祓う力(ちまき)は必要なのですけれど、残念ながら家の門口にちまきを掛けておくところがなくて・・・。
17日、巡行が終わった後、午後4時からは神幸祭 (神輿渡御)が行われるそうです。(八坂神社~四条御旅所)
それにも興味はありましたが、体力がない私は11時頃に地下鉄に乗って、涼しい環境に避難しました。
京都駅で見た提灯
家に帰ってこの提灯の写真を見ていると、上の二段が前祭(さきまつり)、一番下の段が後祭(あとまつり)の山鉾だということがわかりました。
今回、祇園祭に行って、今まで知らなかったことをたくさん知り得ました。
一度ゆっくりと見たかった山鉾。
とても楽しめた半日でした。
思い切って出かけてよかった!!
(最近は出かけるのがちょっと億劫に思うことがよくありますが、行ってみたらいつも満足して帰ってくるのです。)
家に帰って、撮った写真を見ると、23基のうち、私がじっくり見たのは13基でした。
長刀鉾、函谷鉾、月鉾、船鉾、岩戸山、白楽天山、鶏鉾、綾傘鉾、船鉾(再度)、放下鉾、郭巨山、四条傘鉾、蟷螂山、放下鉾(再度)、菊水鉾
同じ鉾を再度見ると作業の進行具合がわかって、楽しい見方だと思いました。
以上が私の祇園祭(前祭)見学の概要です。
私が見たものの写真は、これからアップしていきたいと思っています。
見た順番に、多分こんな感じでアップすると思います。
1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾
巡行の様子
16 鶏鉾
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山
23 放下鉾
24 占出山
実際に行ったことで興味が湧き、祇園祭についていろいろ調べて学ぶことができました。
京都で暮らす人の思いも想像できたし、本当に行ってよかった!!
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http://www.gionmatsuri.or.jp/about/yoriより、私の興味のある部分を引用しました
祇園祭の歴史
貞観5年 (863) 疫病が流行したために、勅命により神泉苑において御霊会がおこなわれる。(三代実録)
貞観11年 (869) 悪疫を鎮めるために全国の国数66本の矛を神泉苑に立て祇園社から神輿を送る。これを祇園御霊会の始まりとする。(祇園社本縁録)
応仁元年 (1467) 応仁の乱により祇園祭が中止となる。
明応9年 (1500) 祇園祭が33年ぶりに復興し、山鉾36基が出るに際して鬮を取る。(後法興院記)
明応9年 (1500) 祇園祭が33年ぶりに復興し、山鉾36基が出るに際して鬮を取る。(後法興院記)
昭和18年 (1943) 太平洋戦争のために以後4年間山鉾の巡行が中止される。
昭和22年 (1947) 戦後初めて長刀鉾と月鉾が建てられ長刀鉾のみ四条寺町まで巡行する。
昭和22年 (1947) 戦後初めて長刀鉾と月鉾が建てられ長刀鉾のみ四条寺町まで巡行する。
昭和31年 (1956) 17日の巡行コースが寺町を北行して御池通りを西進するコースに変更され、御池通りに有料観覧席が設置される。
昭和36年 (1961) 17日の巡行コースを寺町通りから河原町通りを北行するコースに変更する。
昭和41年 (1966) 24日の後祭が17日の前祭に合同される。
平成26年 (2014) 後祭巡行が復活する。
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「山鉾について」は、http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/
に詳しく書いてあります。
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「祇園祭行事日程」については、http://www.gionmatsuri.or.jp/schedule/
に詳しく書いてあります。
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https://ja.kyoto.travel/event/major/gion/understand.phpでも、祇園祭について詳しく書かれています。
https://ja.kyoto.travel/event/major/gion/understand.phpより一部引用します。
くじ取り(くじとり)
巡行順をくじで決める式で、現在は7月2日に京都市役所の議会場で、市長の立ち合いのもと行われます。なお、「くじ取らず」という順番が定まった山鉾があります(前祭では長刀鉾・凾谷鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾。後祭では橋弁慶山・北観音山・南観音山・鷹山・大船鉾)。
注目されるのは「山一番」。先頭の長刀鉾(後祭では北観音山もしくは南観音山<年により異なる>)の次に巡行する栄えある順番です。
祇園囃子(ぎおんばやし)
「コン・チキ・チン」の囃子で、各山鉾が演奏する音楽のこと。室町時代前後より始まり、江戸時代後期に現在の「鉦・太鼓・笛」で奏でられるようになったといわれています。交代要員を含めて約40人の奏者が乗り込み、曲目は前半と後半や各山鉾によって異なります。
「コン・チキ・チン」の囃子で、各山鉾が演奏する音楽のこと。室町時代前後より始まり、江戸時代後期に現在の「鉦・太鼓・笛」で奏でられるようになったといわれています。交代要員を含めて約40人の奏者が乗り込み、曲目は前半と後半や各山鉾によって異なります。
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https://www.kyototuu.jp/Sightseeing/MatsuriGionTsujiMawashi.html
にも参考になる説明があります。
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ある日の会話です。
彼は畑(家の奥の小さな菜園)へ行ってきたようです。
彼「ミニトマト、赤くなっていたので採ってきたよ」
私「それはよかった! で、他の野菜はどうだった?」
彼「見てへんわ」
彼「ミニトマト、赤くなっていたので採ってきたよ」
私「それはよかった! で、他の野菜はどうだった?」
彼「見てへんわ」
台所仕事をしながら私は言いました。
「他のはどうなってるやろ。見てきてほしいわ」
しばらくして、彼は台所へ戻ってきました。
彼「採ってきたで」
私「ありがとう」
彼「採ってきたで」
私「ありがとう」
振り返って小さなバケツを見ると、その中に入っていたのは、
食べごろの三度豆
数日後に収穫するとちょうどよさそうなきゅうりと万願寺とうがらし
余りにも小さなパプリカたち
余りにも小さなパプリカたち
私「三度豆はちょうどいいけど、他の野菜はなんで採ってきたん?」
更に言いました。
私「何としても今日食べたいというのなら小さいのを収穫するのはわかるで。
私「何としても今日食べたいというのなら小さいのを収穫するのはわかるで。
でもきゅうりとパプリカは、今、冷蔵庫にあるやん。
なんで『頃合い』ということを考えへんのん?
ありえへんわ!」
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比 較
この日彼が採ってきたパプリカと、先日収穫して冷蔵庫にあったパプリカ
この日彼が採ってきたキュウリと、午前中に彼がスーパーで買ってきたキュウリ
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こういう時、私は非常にイラつくのです。
尤もそんな言われ方をした彼もまた気分はよくなかったでしょうけれど・・・。
大阪公立大学附属植物園 の最寄り駅は京阪電車の私市(きさいち)駅です。
私市駅へ向かいました。
市名の入っていないマンホールは珍しいように思います。
暑い中を6分ほど歩いて駅に到着。
かわいい駅舎です
ホーム
椅子に腰かけて写真を撮りました。
それぞれの正面へ移動して撮ろうという意欲は全くなくて、遠い方は斜めからの写真です。
トーマスの電車がやってきました。
車内
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https://www.keihan.co.jp/traffic/thomas2024/より引用
交野線
13000系きかんしゃトーマス号
13000系きかんしゃトーマス号
「きかんしゃトーマスとなかまたち」のキャラクターを描いたラッピング電車「13000系きかんしゃトーマス号」を運行。
運行期間 2024年4月27日(土)〜2025年秋頃[予定]
運行区間 交野線(枚方市〜私市駅間)
使用車両 13000系車両 1編成(13003-④-13053)
運行期間 2024年4月27日(土)〜2025年秋頃[予定]
運行区間 交野線(枚方市〜私市駅間)
使用車両 13000系車両 1編成(13003-④-13053)
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京阪本線
きかんしゃトーマスとなかまたち
3000系車両をラッピングした「きかんしゃトーマスとなかまたちPRトレイン」を運行。
運行期間 2024年3月23日(土)〜2025年秋頃[予定]
運行区間 淀屋橋・中之島〜出町柳駅間
使用車両 3000系車両 1編成(3003-⑧-3053)
きかんしゃトーマスとなかまたち
3000系車両をラッピングした「きかんしゃトーマスとなかまたちPRトレイン」を運行。
運行期間 2024年3月23日(土)〜2025年秋頃[予定]
運行区間 淀屋橋・中之島〜出町柳駅間
使用車両 3000系車両 1編成(3003-⑧-3053)
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■プラレール「S-59 京阪電車13000系きかんしゃトーマス号」先行販売実施
発売元 株式会社タカラトミー
発売額 2,860円(税込)
株式会社タカラトミーより2024年7月27日(土)からの全国発売に先駆け、プラレール「S-59 京阪電車13000系きかんしゃトーマス号」の先行販売を行います。
発売元 株式会社タカラトミー
発売額 2,860円(税込)
株式会社タカラトミーより2024年7月27日(土)からの全国発売に先駆け、プラレール「S-59 京阪電車13000系きかんしゃトーマス号」の先行販売を行います。
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スラッシュマツ
大きなマツボックリが落ちていました。
ユリノキ広場
何もない、広々としたよい空間です。
ムクゲ
広いエリアにたくさんのムクゲの苗が植えられています。
これからの生長が楽しみです。
メタセコイア
メタセコイアが色づいた頃に訪れたいと思いました。
池にスイレン
サイコクヒメコウホネ
亜熱帯・熱帯の植物
パラグアイオニバス(スイレン目スイレン科オオオニバス属)
ノジトラノオ(ツツジ目サクラソウ科オカトラノオ属)
ガガブタ
昼咲きスイレン
・黄色 昼咲き セントルイス・ゴール(スイレン目スイレン科スイレン属)
・紫色 昼咲き ディレクターG.T.ムーア(スイレン目スイレン科スイレン属)
・白色 昼咲き アズレア(スイレン目スイレン科スイレン属)
「性質は強い」とはおもしろい表現です。
「性質は強い」とはおもしろい表現です。
園内の滞在時間は約3時間。
暑くなければもっと歩き回りたかったのですが、これ以上の滞在は体に悪いと判断しての退園でした。
きれいな花(チューリップやバラやダリア)がいっぱい咲いている植物園はもちろん楽しいところですが、里山の景色や植物、ガガブタやタヌキモ、コウホネ、睡蓮などの水生植物が豊かな、大阪公立大学附属植物園 のような植物園が私は好きなんだなぁと思ったことでした。
気候のよい時にまた来て、ゆっくりと歩きたいと思える植物園だということがわかりましたので、大満足で帰りました。
家に帰って、受付でもらったチラシ「今週の見ごろ」「開花情報」を落ち着いて見返すと、
ニンジンボク
スズカケソウ
ヘビウリ
サンゴシトウ
を見逃してしまったと知りました。残念でした。
水生植物観察会も7月13日(13時半~15時)にあるようです。
が、この暑さの中、私は行くのは無理だなぁ。