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京都へ行った日、帰りに京都駅にあるデパート伊勢丹に立ち寄りました。
たくさんある京銘菓の中から、私は「豆政」の「すはまだんご」を買い求めました。
母が好きだったお菓子です。
母は昔からこのお菓子をよく食べたのだと思います。
早速、翌日母に届けました。
母は喜んでくれたでしょうか?
面会ができないので、母の反応がわからないのが残念です。
亡父の浴衣があります。
いい色です。
いい柄です。
きれいにたたんであります。
糊もしっかりきいていて、パリッとしています。
すぐにでも着られます。
でも、「着たい!」と言ってくれる人は一人も見つかりません。
燃えるゴミで処分するしかないなぁと思いました。
処分する日の朝、やっぱり捨てきれない!!
「今日、これで何かを作ろう」と、心を決めました。
はさみと針と糸とひもを納戸から持って来て、製作準備を調えました。
今回は「らくらく糸通し」が大活躍!!
買ったままでずっと裁縫箱に入っていた糸通し器が、やっと日の目を見ました。
デスクスレダー 糸通し器 | 商品紹介 | クロバー株式会社
先ずはテーブルクロスを一つ。
これで、ちょっとくたびれたリビングのテーブルを覆います。
更に小さな敷物を2枚。 ※これは玄関に飾っている物の下に敷きます。
小袋(青い紐)を一つ。
更に小袋(赤い紐)をもう一つ。
ちょっと大きめのコースターを2つ。
袂の一つはそのまま、文箱の下に敷きました。
襟の部分は丈夫なので、そのまま、体操の時のタオル(ひも)代わりに使うことにしました。
結構気に入るものができあがりました。
残ったのは、片方の袂だけ。
ほぼ使い切れて、心が軽くなりました。
懐かしいメトロノームをピアノの上に置こうと思って、一年ぶりに箱の中から取り出しました。
メトロノームの奥にあるのは、インドで買い求めたティポットのカバーです。
ちょうどメトロノームを入れておくのによいサイズ!!
この中にメトロノームを置き、埃から守ろうと思いました。
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッの音を何年かぶりに聴こうと思って、透明カバーを取り外し、動かしてみました。
ゼンマイも巻いてあるのですが、今までのように動かず、自然と止まりました。
カチッ、カチッ、カチッの小気味よい音も鳴りません。
壊れています。
一年前に作動を確認していないので、箱に入れて動かしている間に壊れたのか、それともそれ以前に壊れていたのかわかりませんが、とてもがっかりしました。
昭和45年ということは1970年だから、50年以上前のものです。
明日は燃やせないゴミの収集日。
私は静かにゴミ袋に入れて、お別れしました。
私は中高生の頃、東京の女の子と文通をしていました。
そのことは、2014年03月08日 のブログに書きました。
古い手帳をめくっていると、その方の住所が書いてありました。
東京都大田区 … 番地。
2014年には詳細な記憶がなく、ネットで検索してみようとはしなかったのですが、2022年の今日、ネットで検索してみました。
どうやら今も、その方の名前の建物があることがわかりました。
今度東京へ行ったら、そのあたりに足を運びたいと思います。
これは、古い手帳に挟んであったものです。
私が初めて行ったコンサートは、サンケイホールの井上陽水コンサートでした。
高校生の私は井上陽水の声が大好きでした。
ちょうど文化祭の頃だったなぁ。
実家の片付けをしていたら、提灯が出てきました。
私が子どもの頃、お祭りの日にはこの提灯が軒下に吊り下げられ、夜にはロウソクが灯っていました。
その「特別の日」感が好きでした。
一部が破れています。
中をのぞくと
「今も祭りの日には提灯を軒下に吊るのかしら。吊るなら修理をしなくては!!」
そう思う私はご近所さんに聞いてみました。
すると、
「どこの家も提灯は吊っていないわよ。私も数年前に処分したの」との返事。
そういう時代になっているのですね。
寂しい思いはありますが、名字入りのこの提灯は処分することにします。
今日は押し入れからこれが出てきました。
いつ、どこで買い求めたものでしょう。
水族館かなぁ…。その記憶ははっきりしていません。
砂時計のようなもので、砂の代わりに水と油が入っています。
昔はもっとコロコロした青い粒が落ちていたように思いますが、今はドヨーンとした青いものが落ちます。
下に落ち切るまで、1分30秒ほど。
我が家の紅茶は3分抽出しますので、2回落ちたら抽出が終わったということです。
今日は何回もひっくり返して眺めてしまいました。
こんな時間の使い方もあるんだなぁとか思いながら。
小さな音が聞こえてきます。
車輪の動きが一定ではありません。
私は、いつも時間を測るのにはアレクサかキッチンタイマーを使っていますが、たまにはこれもいいかも…。
東京ディズニーランドでこれを買い求めたのは20年ほど前のことです。
ずっと押し入れにありました。
小学生だった子どもたちは、ちょっと早めに春休みを取って、3組の母子で出かけた東京ディズニーランド。
今も時折懐かしく思い出します。
私がディズニーランドへ行ったのはあの時1回だけ。
ありがたい機会でした。
よいメンバーに恵まれて、幸せだったなぁ。
人生が楽しいと思えるかどうかは、波長の合う人とのめぐり逢いが大きな要素だと思います。
辛い環境に長くいると、哀しいことに自分の性格が歪んできます。
が、一緒にいて安らぐ人が傍にいてくれたら、笑顔にもなれるし、少しは自分を取り戻せます。
人あってこその人生です。
35年ほど前、友人の大浦天主堂での結婚式に招かれ、長崎へ行ったことがあります。
教会での結婚式に参列するのは初めてでした。
友人の幸せそうな表情もかわいかったなぁ。
その帰りに私は、ひとり、五島列島福江島へ向かいました。
島での観光にはレンタカーが便利だということで、迷わずレンタカーを借りました。
車種はジェミニ。
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のよると、
ジェミニ(Gemini、GEMINI)は、1974年から2000年までいすゞ自動車で製造(3代目まで)・販売されていた小型乗用車である。1993年からはOEM供給による販売となっていた。
車名の「ジェミニ」は英語で「ふたご座」の意味。
初代 PF50/PF60/PFD60型(1974年 - 1988年)
1974年11月登場。形式名は1974年に登場した1.6 Lガソリン車がPF50型、1977年に登場した1.8 Lガソリン車がPF60型。そして1979年に登場した1.8 Lディーゼル車がPFD60型となっている。
2代目 JT150/190/600型(1985年 - 1990年)
2代目は1985年5月、「FFジェミニ」(以下この項にて「FF」)[注釈 2]として発売された。型式名は1985年に登場した1.5 Lガソリン車がJT150型、1988年に登場した1.6 L DOHCガソリン車がJT190型。そして1.5 Lディーゼルと1.5 Lディーゼルターボ車はJT600型。燃費は10モードで13.8 - 16.0 km/L。
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を読むと、私の借りたジェミニは、初代 PF50の1.6 Lガソリン車だったのでしょう。
運転免許取り立てでしたが、若さゆえ怖いもの知らずの私は若葉マークを付けて快適に島を走りました。
ところが、坂で止まったとき、どうしても上手に坂道発進ができません。
車は、オートマではなくミッション。
私は、ミッション車しか運転したことがなかったので、それなりに馴れてはいたのですけれど、サイドブレーキを下ろすタイミングとアクセルを踏み込むタイミングがどうしてもうまくいかないのです。
困っている私を見て、島の人が平坦なところまで動かしてくれました。
とても助かりました。
それが、福江島の一番の思い出です。
海の青さよりも人情の厚さ…。
レンタカー会社からもらったキーホルダーがこのバラモン凧です。
これを手にすると、35年前を懐かしく思い出します。
大事にしたい思い出はもちろん心にしっかり刻まれています。
物を減らしてスッキリと暮らしたいとも思います。
が、目にして心が喜ぶものまで断捨離する必要はないようにも思います。
「居住空間を奪い過ぎない、それで躓かない」は断捨離しないことの前提条件ですが、物は人生そのもの、物にはいろんな思いが宿っていると思うのです。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
福江市(ふくえし)は長崎県五島列島の福江島東部にあった市。
2004年(平成16年)8月1日に南松浦郡富江町、玉之浦町、三井楽町、岐宿町、奈留町と合併し五島市となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%B1%9F%E5%B8%82
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とあります。
この「福江市」と印字されたバラモン凧は、今となっては貴重ですね。
押し入れから出てきた刺繍です。
中学生の私が作ったものだと思います。
未熟な出来ですが、サテンは今も下手で、スッキリと作れません。
さて、私はこれをどうしようとしていたのでしょう。
その思いは記憶の彼方です。
この刺繍とともに出てきたのがこの黒い布。
よくわからない作品たちです。