阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)は今夏、開場100年を迎えました。
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https://www.jhbf.or.jp/topics/info/240724_1.htmlより引用
1924(大正13)年8月1日、「甲子園大運動場」として誕生した当初から、観客5万人以上を収容する能力があり、内野席の大半を覆う「大鉄傘(だいてっさん)」も備えていました。
1913(大正2)年、大阪・豊中に本格的な総合グラウンド(東西150m、南北140m)が、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)によって造られます。ここで2年後の1915(大正4)年、朝日新聞社が主催しての全国中等学校優勝野球大会(選手権大会)が始まりました。多数の観客がやって来て豊中では受け入れ切れなくなると、1917(大正6)年の第3回大会から、阪神電鉄が用意していた西宮の鳴尾球場に移ります。
鳴尾球場が会場として使われたのは、1923(大正12)年、第9回大会までの7年間。
3月16日に起工され、5カ月足らずの突貫工事で完成にこぎ着けました。
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1915年~ 第1回・第2回「豊中」
1917年~ 第3回から第9回「鳴尾」
1924年~ 第10回から「甲子園」
ということですね。
開業100周年という記念すべき年である今年、甲子園に行こう!!と思い立って、8月16日のチケットをネットで購入して、高校野球を見に行ってきました。
直射日光には当たりたくないので、シートは大鉄傘の下!!
思い立つのが遅かったので、(大鉄傘がある中段辺りがいいなぁと思っていたのですが)かなり高いところのシートしかゲットできず。
でも16日、球場外では「当日券はありません」とアナウンスしていましたので、ネット予約して買えただけでもラッキーだったと思いました。
8月16日は大会10日目、第3回戦4試合が行われました。
球場入場券売場には「当日券なし」という表示があります。
ここから入ります
私は、第1試合の東海大相模×広陵の試合が8対1で東海大相模高校勝利で終わった頃にスタンドに入りました。
3本のポールに旗が上っています。
1塁側明徳義塾
燃えろ明徳 黒潮打線
3塁側 関東第一
必勝関東第一高
左右のポールに両校の校旗が上りました。
グランド整備
3塁側アルプス席に挨拶
1塁側アルプス席に挨拶
甲子園名物「かちわり」
第2試合の関東第一×明徳義塾は午前10時59分試合開始。
観衆は36000人。私はその一人。
こんなきれいなグランドでプレーできるなんて、選手たちは最高の気分でしょうね~!!
3塁側 関東第一のアルプス応援団
1塁側 明徳義塾のアルプス応援団
焼きそばを食する人
関東一 1
明徳義塾 2
関東一 2
明徳義塾 2
焼鳥串 1本500円
6回表
8回終了時、両校の校旗が降りていることに気が付きました。
「燃えろ明徳 黒潮打線」の幕が無くなりました。
3対2で、東東京代表の関東第一が勝ちました。
校旗掲揚
左端のポールに旗が上って行きます。
関東第一の校旗
両校がそれぞれのアルプス席の応援団に御礼を言いに行きます。
3塁側関東第一
3塁側は次の試合の石橋高校が入ってきました。
1塁側は次の試合の青森山田高校が入ってきました。
関東第一の選手たち
明徳義塾の選手たち
退場する両校選手たち
一つのドラマが終わりました。