Remembrance 2006/09/06-2020/06/08  2020/07/01-

   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

スヌード

2011年12月31日 | いただきもの
図書館で雑誌を見ていたら、スヌードが載っていました。

珍しく「あ、これほしいなぁ!!」と思った私は、友人のお母さんにご指導をお願いしよう…と思いました。

毎年干支の編みぐるみを作ってプレゼントしてくださる方ですので、腕は確かです!!


ネットで注文した毛糸と編み図の載っている雑誌を持って、友人宅へ行きました。

すると、なんとラッキーなことに、友人のお母さんが「編んであげるわ~。」と言ってくださったのです。


それからしばらくして、「できあがったわよ~。」というメールが友人から届きました。

その数日後、友人がスヌードを持ってきてくれました。



とてもきれいに編んでくださっていました。

私のために作ってあげようと言ってくださった友人のお母さんの気持ちがありがたく、一目一目を丁寧に編んでくださったことにおおいに感動しました。いただいた優しさが、心に染み入り、とても幸せな気分になりました。



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ブログの学習会

2011年12月29日 | 雑文
先日、「ブログの作り方を教えて欲しい」と、友人がやってきました。

文字入力は、かなりスムーズにされていたし、写真の縮小はいつもされているようだったし、かなり理解していただけそうだったので、休憩なしで、どんどん進めていきました。

新規投稿、記事一覧、画像のトリミング、取り込みと貼りつけ、リンクの方法、設定、テンプレートの編集、ブログパーツの貼りつけ等、私がいつもやっている方法を教えて差し上げました。

これだけの内容を一通り練習するのに、1時間半程かかったでしょうか。


友人は1月からブログを作りたいそうです。

スムーズに作れることを祈っています。




私の周りの友人の何人かは、「パソコン教えて欲しいわぁ。」とおっしゃいます。

(教えるほどできる私ではありませんし、何が教えて欲しいのかわかりませんけれど。)

でも、どなたも我が家のドアをノックされません。

先日のこの友人が、私にとっては初めての、記念すべき生徒さんでした。


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夫は普段「一太郎」を使っているので、「word」は初心者並み。
しかも2007や2010の「word」はほとんどわからない様子。

先日「word」を使う機会があったのですが、素直に聞けば、私の知っていることは何でも教えてあげるのですが…。彼はなかなかいい生徒にはなれないようです。


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ぽぽちゃん&メルちゃん

2011年12月28日 | 遊び・おもちゃ
先日、友人が3歳の男の子と1歳の女の子を連れて遊びに来てくれました。


3歳の男の子がしっかり手に持っていたのが「ぽぽちゃん」。
(妹のお人形ですが、お兄ちゃんがすっかり気に入ったようで…。)

足や手に触ると柔らかくて、ほっとする感じのお人形でした。

  ← 「ぽぽちゃん」です。  

「ぽぽちゃん お人形 やわらかお肌の女の子だもんぽぽちゃん〈デニムのジャンパースカート〉」は、 Amazonで見ると、¥4,599→¥3,053。


友人の話では、今の流行は、「ぽぽちゃん」と「メルちゃん」とのこと。


  ← これが、「メルちゃん」。

「メルちゃんお人形セット はじめてのメルちゃん」は、Amazonで見ると、¥2,604→¥1,745でした。

久しぶりにお人形を見ると、なんともかわいいものですね。



私がお人形で遊んだのは45年以上も前のこと。

次回帰省したら、納屋の奥を探してみたいと思っています。

昔遊んだお人形「チェリーちゃん」が今も待ってくれているような気がするのです。




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和の心 仏像コレクション4

2011年12月25日 | 遊び・おもちゃ
奈良で、またまた仏像のフィギュアのガチャガチャ「和の心 仏像コレクション4」に300円を投資しました。

6個目です。

今回やって来たのは「増長天」でした。

  槍を携えて立つ増長天


東大寺戒壇院戒壇堂の塑造四天王立像の「増長天」のようです。

  
写真は、http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/136/より引用させていただきました

 

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第876回 春日若宮おん祭 「遷幸の儀」「暁祭」

2011年12月23日 | 旅(奈良)
奈良の「春日若宮おん祭」は、五穀豊穣と万民安楽を祈るお祭りで、今年は第876回でした。



春日若宮おん祭は、12月17日午後0時に奈良県庁前広場を出発する「お渡式(おわたりしき)」が有名で、子どもの頃何度も見に行きました。

(私たちは「お渡り」と呼んでいたように思います。)



今年は、17日午前0時からの「遷幸の儀(せんこうのぎ)」と1時からの「暁祭」を見に行こうと思いました。

毎年、真夜中の寒さに耐える気力がなくて、ずっと諦めていたのですが、今年は12月上旬が暖かかったからでしょうか、何だか行く気になったのです。




12月16日(金)の夜22時半頃、三条通の一角で集合した私たち7人は、春日大社を目指して歩き始めました。

たくさんの人が東へ向かって歩いていました。みんなの目的は「遷幸の儀」。

暗い中、一の鳥居を過ぎると、砂利ではなく砂を踏みしめている感覚です。
馬が走るために砂がびっしりと敷き詰められていました。

御旅所の前を通ります。人は誰もいないので、しーんとしていました。午前1時からは、ここで「暁祭」が行われます。

 16日23時頃の御旅所




23時頃、二の鳥居の手前、人の列が西方向に延びています。その最後尾に私たちも並びました。

以前来たことのある人は、「前は二の鳥居の向こうの方で並んだのに…。今年は人が多いということだね。」と言っていました。

17日が土曜日といういことと、「おん祭」がNHKのテレビで放送されたことが、例年よりも観光客が多い要因かもしれません。

参道の両端に一列に並んで、お喋りをしながら「遷幸の儀」を待ちます。

星がきらきら煌めいています。

マイクを持った係員が、「若宮様をお旅所へお遷し申しあげる行事は撮影禁止です。灯りはすべて消してください。懐中電灯も使わないでください。」「携帯電話の電源は切るかマナーモードに…。」「トイレは23時30分になったら、消灯しますので、早めに…。」と注意事項を言いながら、歩きます。

それでも23時45分ごろに「トイレに行きたいのですが…。」という見物人がいました。

係の人から「トイレは真っ暗ですよ。」と言われても、トイレに向かったのでしょう、ほどなく、参道脇の溝に足を踏み入れたのでしょうか、バシャッという水を連想させる音が響きました。



0時に若宮さまが若宮本殿からお遷りになられますが、笛の音が若宮本殿の方から聞えてからずい分経って、私たちの前をお通りになりました。


道を清める松明の細かく赤い火が参道の両側に点々と落ちています。これが唯一の明りです。
その後ろを、たくさんの神官が榊の枝で若宮さまを囲って、お遷しします。
口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発しています。厳かなというか、不思議な音と雰囲気です。
その後ろに巫女さんや楽人がお供をします。楽人たちが奏でるのは、道楽(みちがく)の慶雲楽(きょううんらく)。


若宮さま一行と私たちよりも早くから並んでいた人たちが通り過ぎた後を、暗闇の中、御旅所へ向かって歩いて行きます。

人混みで足下が全く見えません。流れに任せて歩いている感じです。
参道だから段差がないので、こける心配はそれほどありませんが、すごい人混みですので、高齢者にはちょっと無理かもしれません。

数日前、皆既月食を見た時は凍えるような寒さの中だったのですが、ほとんど寒さを感じることなくて、余裕をもって輝く氷輪を仰ぎ見ることができました。

人の波の中しばらく歩くと、御旅所の前辺りに着きました。

もしかしたら中へ入れないかもしれない…と思うほど、たくさんの人が並んでいます。

が、「右はいっぱいになってきたから、今度は左に入ってもらおう。」という係の人の声があり、私たちから左側へ誘導され、ラッキーなことに、若宮様の御殿の正面で午前1時からの 「暁祭」を見ることができました。



大きな2個の太鼓が打ち鳴らされます。この太鼓の音を聞くのは私は初めてでした。野外で聴くのにちょうどいい音です。

太鼓を眺めていると、それぞれ三つ巴と二つ巴、龍と鳳凰の彫り物で、全く同じ太鼓ではないと知りました。


オレンジ色の照明とかがり火の中、神官たちが、リレーのバトンのように手渡しで海川山野の品々を献じます。

御殿前で奉じる宮司の祝詞が、かすかに聞えてきます。

巫女さんたちが優雅に舞を奉じ、笛や琴の音が春日野に静かに鳴りわたり、これぞ幽玄の世界。

その後、神官たちが、リレーのバトンのように手渡しで海川山野の品々を下げ、「暁祭」は午前2時頃に終わりました。

最初は全く寒さを感じなかったのですが、途中からは足の指先がジンジンと冷えてきました。
でも、余裕の寒さでした。



17日はこれだけですっかり疲れてしまい、他は何も見ずに過ごしてしまいました。






以下はhttp://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/より引用させていただきました。
 
※春日大社公式HP



若宮神社とおん祭

 春日大社の摂社である若宮の御祭神は、大宮(本社)の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神であり、その御名を天押雲根命と申し上げます。平安時代の中頃、長保五年(1003年)旧暦三月三日、第四殿に神秘な御姿で御出現になり、当初は母神の御殿内に、その後は暫らく第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られ、水徳の神と仰がれていました。
 長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まりです。
 御霊験はあらたかで長雨洪水も治まり晴天の続いたので、以後五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ、八百七十有余年にわたり途切れることなく、今日に至ります。

12月15日

午後1時 大宿所詣(おおしゅくしょもうで)

午後2時半・午後4時半・午後6時 御湯立(みゆたて)

午後5時 大宿所祭(おおしゅくしょさい)


12月16日

午後2時半頃 大和士宵宮詣(やまとざむらいよいみやもうで)

午後3時頃 田楽座宵宮詣(でんがくざよいみやもうで)

午後4時 宵宮祭(よいみやさい)
 宵宮祭は、翌17日に行われる遷幸の儀(せんこうのぎ)に先立って、若宮神前に“御戸開(みとびらき)の神饌”を奉り、祭典の無事執行を祈る行事で、この後若宮本殿は白の、御幌(とばり)で覆われる。
 これに先立って午後2時からは大和士が流鏑馬児(やぶさめのちご)と共に神事参勤の無事を祈って若宮社前へ御幣を奉り拝礼を行う宵宮詣の事がある。続いて午後3時からは田楽座も本社と若宮で田楽を奉納する。
本来の素合御供の復興
 明治維新以前まで、お旅所の神楽所に献じられたのが故実で、紅白の紙を貼った四角い台に檜葉を差込み、餅と蜜柑を交互に差し立てたものである。平成15年より復興された。


12月17日

午前0時 遷幸の儀(せんこうのぎ)●若宮本殿よりお旅所へ

若宮様をお旅所へお遷し申しあげる神秘の行事。写真撮影は禁止です。
 若宮神を本殿よりお旅所の行宮(あんぐう)へと深夜お遷しする行事であり、古来より神秘とされている。現在も参道は皆灯火を滅して謹慎し、参列する者も写真はもちろん、懐中電灯を点すことすら許されない。これらはすべて浄闇の中で執り行われることとなっている。神霊をお遷しするには、当祭においては大変古式の作法が伝えられ、榊の枝を以て神霊を十重二十重にお囲みして、お遷しするという他に例を見ないものである。全員が口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発する。又、楽人たちが道楽(みちがく)の慶雲楽(きょううんらく)を奏で、お供をする。


午前1時~午前2時 暁祭(あかつきさい)●於 春日野お旅所

お旅所へお遷りの若宮様に朝の御饌をお供えし神楽を奉納する
 満天の星空のもと寒気が一入身にしみる午前1時、庭燎に火が入って暁祭がおごそかに執行される。 遷幸の儀の際、行宮の前には神を迎えた事を示す植松(うえまつ)が立てられ、ご殿の中央には瓜灯籠が幽かな光を投げかけているその神前には、海川山野の品々が献じられる。続いて旧祢宜大宮家より古式による「素合の御供(すごのごく)」が奉られ、そして、宮司の祝詞に続いて社伝神楽が奏せられる。清らかな歌声と鼓や笛の音が春日野に静かに鳴りわたっていく。
本来の宵之御供の復興
 現在宵宮祭で献じられる神饌は丸物神饌で、本来のものは勅祭「春日祭」の御戸開ノ儀で献じられる高杯4本立の「八種神饌」であった。平成15年より復興された。

午前9時 本殿祭(ほんでんさい)●於 春日大社本社若宮

若宮おん祭の無事斎行を祈る祭典
 古くは「御留守事(おるすごと)」と申し上げ春日大宮若宮へ「御留守事の神供」を奉る行事で相嘗祭(あいなめさい)に相当する。

午後0時〔奈良県庁前広場出発〕 お渡式(おわたりしき)


午後0時50分頃〔於興福寺南大門跡〕 南大門交名の儀(なんだいもんきょうみょうのぎ)

 古来お渡り式は興福寺内を出発して一の鳥居迄を下の渡り、一の鳥居よりお旅所迄を上の渡りと称している。下の渡りの中心的な行事がこの交名である。祭礼の主催権を持つ興福寺への敬意を表し、またお渡り式に遺漏が無いかを改めるこの式は現在、旧南大門跡に衆徒の出仕をみて執行されている。
 特に興福寺より出仕した役柄は名乗りの事があり、競馬は「○○法印(又は法眼)御馬候」などと名乗り、馬長児(ばちょうのちご)は僧位僧官を名乗る。これらはいずれも大童子(だいどうじ)が行う。また大和士(やまとざむらい)は御師役が懐中している交名を声高らかに読み上げるなど古式床しい行事である。読み違いや、不作法があると、再度引き戻してやり直させるという故実もある。

午後1時頃〔於-ノ鳥居内影向松〕 松の下式(まつのしたしき)

 一の鳥居の内、南側の壇上に「影向の松(ようごうのまつ)」がある。この松は能舞台の鏡板に描かれている松といわれ、春日大明神が翁の姿で万歳楽を舞われたという由緒ある場所である。 ここを通過する陪従(べいじゅう)・細男(せいのお)・猿楽(さるがく)・田楽(でんがく)は各々芸能の一節や、所定の舞を演じてからでないと、お旅所へは参入できない事になっている。 松の下を通ってお旅所へ参入した十列児(とおつらのちご)は馬より降りて、装束の長い裾を曳きながら馬を曳かせて、芝舞台を三度廻り、馬長児(ばちょうのちご)は馬上のまま三度舞台を廻って退出の時、ひで笠に付けた小さな五色の紙垂を、大童子(だいどうじ)が神前へ投ずるという、珍らしい所作などがある。
 それにもう一つ有名であるのは「金春の埒(ちち)あけ」と言われるもので柴の垣に結びつけた白紙を金春太夫がお旅所前で解いてから祭場へ入るというもので「埒があく」という言葉もこれからおこったと伝えられている。 尚正午過から松の下において興福寺ゆかりの宝蔵院流槍術の型奉納が家元により行われる。
頭屋稚児の復興
 興福寺の学侶より選ぶ二人の稚児で、松の下の行事を検知する重要な役目がある。その際は神事のため、真赤な小袖に白い上衣を着し畏頭姿となった。明治初年の廃絶より現在は神職が検知しているが、平成15年をもって130年ぶりの復興となった。

午後2時頃〔-ノ鳥居内馬出橋よりお流所勝負榊まで〕 競馬(けいば)

午後2時30分頃〔-ノ鳥居より馬出橋辺まで〕 稚児流鏑馬(ちごやぶさめ)

午後2時30分頃 お旅所祭(おたびしょさい)●於 お旅所

行列は各々古来の仕来りを守りつつ進み、最終は江戸時代、大和国内の大名が出仕した大名行列です。
この行列も奈良独特の姿を伝零し、「ヒーヨイヤナ」 の掛声で有名なものです。以上総勢千余名が古式に則り都大路を練り歩きます。

午後11時 還幸の儀(かんこうのぎ)●お旅行より若宮へ若宮様に御殿へお帰りいただく神秘の行事。写真撮影は禁止です。
 遷幸の儀と還幸の儀の間は二十四時間以内でなければならない事になっている。つまり二日間に亘ってはならないのである。だから遷幸の儀は17日午前零時過であり還幸の儀は17日午後11時頃から開始され、18日午前零時にならぬうちに若宮神社へお還りになるのである。
 お旅所行宮において神秘の行事ののちご出発となる。遷幸の儀にくらべ、お還りになる還幸の儀の道楽(みちがく)(還城楽(けんじょうらく))、つまり旅情をお慰めする音楽は、テンポもやや早く軽やかなものとなる。
 遷幸の儀と同じく大松明が道を清め、沈香の香りが漂う中を警蹕の声と共にお還りになる様子は江戸時代の郷土史家村井古道が、正に神代の昔にかえったような感動を覚えると書き残しているとおり、荘厳かつ神秘なもので他に例を見ないものである。
 若宮紳社では、お還りを待ち受けている神人等によって待太鼓が打ち鳴らされ、その太鼓の音と微妙に溶け合った道楽のしらべにのって、若宮神は無事に元の本殿へとお鎮りになる。
 その後、神楽殿で社伝の神楽が奏せられ、華麗な祭りの幕が閉じられるのである。


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おにぎり

2011年12月16日 | 食べ物
自分が作る、炊きたてのごはんの、湯気が立っている熱々のおにぎりは、塩味がちょっとついているだけなのに、とてもおいしいものです。日本人でよかったなぁと思う瞬間です。

夕食の前、炊き上がったごはんでおにぎりを作って食べることが時折あります。



おにぎりを作るとき、無意識なら、私は俵型のおにぎりを作ります。

同じ大きさのものを作ろうとしても、サイズがいつもバラバラになってしまいます。


子どもの頃、母が作ってくれたのは俵型おにぎりでした。

三角おむすびと初めて出会ったのは大人になってからのように思います。



歳を重ねると、昔を思い出すことが多くなるような…。


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卒乳証書

2011年12月14日 | 雑文
友人宅で、「卒乳証書」なるものを見せてもらいました。

用紙は近くの文房具屋さんで買い求めたそうです。
そこに、印刷ではなく、友人のご主人の筆で、卒乳証書が書かれていました。

「あなたは平成23年11月4日をもって授乳養育課程を修了しました。乳離れの苦しみを乗り越えたのでその努力をたたえるとともに今後の健康を願ってここに卒乳証書を授与します。」

文言もお二人で考えたとのこと。なんと幸せなご家庭でしょう。

娘の成長をしっかり見ているお二人の目の温かさに、娘へ寄せる愛情の大きさを感じました。



十分な量の母乳が出ず、最初からミルクとの混合で息子を育てた私は、母乳を止めようと思った日から母乳を止めましたので、卒乳がドラマティックなことなのだということを知りませんでした。

母乳を止めた日が10月10日であることは覚えていますが、それが特に大きな出来事だという認識もなく…。

息子がいつミルクを飲むのを止めたのかは覚えていません。ミルクを止めることが卒乳なのでしょうが…、それを意識化するようなことは何もなく…。
卒乳証書を準備するなどということは思いもよらず…。

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皆既月食

2011年12月12日 | 自然
今回の月食は、全過程が空の高い位置で進行するので、建物がじゃまになるなどの影響もないとのこと。時間帯もよいし、これは是非見なきゃ!!と数日前から思っていました。


10日の夜は、雲もなく、最高によい月夜で、寒さに震えながら、ベランダから仰ぎ見ました。











 ※私のデジカメではこの程度にしか撮れません。三脚が欲しくなりました。

皓々と光る氷輪も美しいですが、皆既月食の暗い赤っぽい色は神秘的でした。久しぶりによいものを見たわ!と思いました。


次に国内で皆既月食が見られるのは2014年10月8日だそうです。
(来年6月4日には最大4割ほどが欠ける部分月食があるそうです。)


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セロシアキャンドルケーキ

2011年12月09日 | 雑文
友人宅で、ケーキみたいなお花のケーキを初めて見ました。




「セロシアキャンドルケーキ」というものだそうです。

小さなカラフルなお花がたくさん咲いていて、ケーキのように見立てたお花です。テーブルの上でも簡単にガーデニングが楽しめ、部屋が幸せ色になりそうで、いい物だなぁと思いました。

根が付いている鉢植えなので、長持ちするようですが、友人のケーキはかなり前に届いたらしく、今ではちょっと茶色いお花も混じっていました。




「セロシアキャンドルケーキ」で検索すると、朝野家スタッフのblogに記事がありました。

 
※朝野家スタッフのblog[ 2007-12-01 00:11 ]


朝野家スタッフのblog ★今年のクリスマスはこれ!「セロシア・キャンドルケーキ」★は、2007年の12月1日のブログですから、4年も前から売られているのですね。

セロシアキャンドルケーキ直径15センチ高さ10センチのものがジャスコでは1,280円で売られていたとありました。



ちなみに楽天市場を見ると、このサイズが1,800円~2,980円。直径21センチ高さ約10センチは3,980円。





 
フラワープランツオオイシ


  左の写真はhttp://oif.jp/items/item-gift/cat156/cat197/cat198/より引用

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新聞折り込みチラシで作る「ごみばこ」

2011年12月04日 | 遊び・おもちゃ


友人宅で作り方を教えてもらった「ごみばこ」です。


  

二つ折りになっている、新聞折り込みの大きなチラシで、一辺が10cmの立方体のごみばこができます。


気に入って、毎日テーブルの上に置いて使っています。

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和の心 仏像コレクション2

2011年12月03日 | 遊び・おもちゃ
奈良で、またまた仏像のフィギュアのガチャガチャ「和の心 仏像コレクション2」に300円を投資しました。

5個目です。

今まで出てきたのは、広目天と観音さまと阿修羅と弥勒菩薩さま。

さて、今回は何が出てくるかなぁ…と回してみると、「迦楼羅(カルラ)像」でした。

  



伽流羅(かるら)像は、興福寺のものではなく、京都の三十三間堂のもののようでした。


 「三十三間堂の迦楼羅像」blueasuraさんのブログより

 迦楼羅(カルラ)。迦楼羅天、迦楼羅王、とも呼ばれます。奈良・興福寺の八部衆のうちの一人です。阿修羅の仲間です。身体は人間で頭は鳥の顔をしています。鎧を着て肩にスカーフのような布を巻いています。インド神話の巨鳥ガルーダが仏法守護の八部衆の一尊となりました。迦楼羅王は煩悩や悪を食べる霊鳥として信仰されています。
 京都・蓮華王院(三十三間堂)の千体千手観音を守る二十八部衆の中にも迦楼羅や阿修羅がいます。三十三間堂の迦楼羅王は背中に羽を持ち、横笛を吹いています。迦楼羅王は鳥頭人身で、二臂〈手)でなく四臂〈手)の姿もあるらしいです。
 人間はなぜ仏像に、このような異形の姿かたちを求めて来たのでしょうか。十一面や千手の変化観音といい、明王や天の仏たちとなると、さらに異様さを増してきます。空間的に、そして楽器を持たせて、時間的にも表現されようとしています。さらに変化するとなると、どのような仏像になるのでしょうか。この迦楼羅のような姿が信仰の対象として美的な仏像としての、人間の想像した仏像の究極の姿だと思われてしまいます。これ以上変化してしまいますと、怪物、化け物になってしまうと思います。


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二十年前の物が活躍する

2011年12月01日 | 雑文
息子が昔使っていたものを部屋の奥から出してきました。

★積み木  

これは、もともと姪が使っていたものです。「て」の「てれび」が昭和っぽくて、いい感じです。

積み木を積んでみたくなりました  


★デュプロ、レゴ  

これらは息子のために買ったものです。


★イス  

このイスは、ブルーチップ(スーパーでもらったシールを集めて冊子に貼って商品と交換してもらうシステム)で手に入れたものです。

(テーブルももらったのですが、壊れたので手放しました。)

息子がこれに座っていたのが昨日のことのようにも思います。
そういえば、ブルーチップやグリーンスタンプを集めて、この他にもいろんなものをもらったなぁ。
お絵かきの「せんせい」とか、鉄アレーとか…。




1歳や3歳の子たちがやって来たとき、このイスやおもちゃが活躍してくれます。

捨てずに取っておくものですねぇ。


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