(4月28日の続き)聖林寺を後にして、天理の街へ向かいました。
天理の商店街を歩くのは何十年ぶりのことでしょう。
(昔、よろず病院に入院していた祖母のお見舞いに行ったことが何度かありました。)
「詰所」と書いてあります
中を見てみると、立派な建物がありました
天理の商店街の金物屋さんで、ミカンを剥くハサミを買い求めました(母の友人がそのハサミを持っていて、便利なものだと思った母が、機会があったら買いたいと言っていましたので)。
焼き鳥屋さんで、テイクアウトの焼き鳥を注文(夕食のメインディッシュにしようと思いました)して、天理教教会本部へ向かって歩きました。
天理教のはっぴも売られていました
商店街を抜けて少し歩くと、天理教教会本部があります
広い空間です
スケールの大きさと、熱心な信者さんの姿と、ピカピカの廊下と窓ガラスが印象的でした。限りなく清浄なところです。
これが正面の入り口だと思います
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若者が熱心に唱えていた「悪しきを払うて 助けたまへ 天理王命(あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと)」が、家に帰ってからも聞こえてくる感じでした。
この御神楽歌は、昔から知っていました。黒いオタマジャクシのメロディの方が私の耳には馴染んでいます。
※御神楽歌の譜面
※御神楽歌
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※天理教HP
【ぢば・かんろだい】
元初まりに、人間を宿し込まれた地点を「ぢば」といいます。
すなわち、全人類の故郷であることから、ぢばを中心とする一帯を親里と呼びならわしています。
ぢばには、親神様のお鎮まりくださる所として、天理王命の神名が授けられ、ぢばを囲んで陽気ぐらしへの世の立て替えを祈念する「かぐらづとめ」が勤められます。
人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠として「かんろだい」が据えられ、礼拝の目標となっています。
人々の心が澄み切って、親神様の思召通りの「ようきづとめ」を勤める時、この台に、天から甘露(天の与え)が授けられます。
これを頂くと、人は皆、病まず、死なず、弱らずに、百十五歳の定命を保ち、この世は陽気ぐらしの世界となると教えられています。
また、かんろだいは、人間の創造と成人の理を表して形造られています。
※道友社刊『ようぼくハンドブック』より
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99より引用
天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つ。中山みきを教祖(おやさま)とする宗教団体である。
「宗教法人天理教」及びその被包括法人である「宗教法人天理教教会本部(略して教会本部)」は奈良県天理市にあり、またその傘下にある一般教会は各地に点在する。
主神は天理王命(てんりおうのみこと)。教会本部、各地の一般教会では、天理王命とともに教祖と御霊の社を置き礼拝しているが、一神教(一つの神のみを信仰する宗教)である。「陽気ぐらし」という世界の実現を目指している。教祖は中山みき。教会本部では「教祖」と書いて「おやさま」と呼称している。教祖は90歳で死去、天理教では目に見える存在は隠されたというが、その魂は今でも現世に生きており、人々の暮らしを見守っているとしている。現在の統理者は真柱(しんばしら)・中山善司。
天理教では、人間の命の発祥地の中心を「ぢば」(地場)と称し、教祖の「ぢばさだめ」という啓示でその場所を定めている。現在の天理教教会本部は、この「ぢば」を中心に建られている。通常は、丁寧語の「お」をつけて「おぢば」と呼び、人がこの地を訪れることは、故郷に帰ることであるから、「おぢばがえり」と呼んでいる。そのため天理駅や天理市内の信者詰所等には「お帰りなさい」や「ようこそおかえり」などという看板が見られる。
「ぢば」の中心には、六角形をした「かんろだい」(甘露台)[1]が置かれた「神殿」が建てられ、四方から囲むように信者等が礼拝する四つの「礼拝場」がある。そのほか教会本部には、教祖が存命のまま暮らしているとされる「教祖殿」(きょうそでん)、御霊を祀る「祖霊殿」(それいでん)等があり、信者・非信者に関係なく誰もが自由に出入りすることができ、南礼拝場は24時間開かれている。「神殿」では、毎日朝晩に「おつとめ」という定例の礼拝が行われており、また毎月26日は、「月次祭」(つきなみさい)という礼拝が行われる。傘下にある一般教会等においても、その例に倣い、「親神」「教祖」「御霊」を祀る御社を設置し、「おつとめ」や「月次祭」の礼拝が行われている。
礼拝する際、信者は「あしきをはろうてたすけたまえてんりおうのみこと」と唱え、そこに定まった手振りを加え、親神天理王命に祈りをささげる[2]。
かつて教派神道の一派として公認され活動していた(詳細は後述)ため、葬儀式等に見られるように神道の影響を大きく受けており、現在も「神道系宗教」とみなされることが多いが、教団側では新宗教諸派と称しており、宗教法人としての届けは「諸教」としてなされている。
天理教は「かなの教え」とも説かれる。教祖である中山みきが、民衆にも分かりやすく説きたいとの意思から、『おふでさき』『みかぐらうた』が仮名で書かれている。教義等に使われる言葉の多くが「かな表記」にされている[3]。
基本的に信者達は、その信心実践の証明としてハッピを平服の上から着用する。主に黒でできており、その背には「天理教」「TENRIKYO」等が、襟表には所属団体名などが白字で記載されている[4]。元々はおつとめ着や教服の略装であったが、現在はひのきしんやにをいがけ等、教団行事の際の着用服という意味合いもある。