連日こんなに暑いと、何もできません。お出かけもできません。
フリーな時間がたっぷりあるので、またomoidoriを使って、iPhoneに保存する、アルバムのスキャンを再開しました。
取り組んだアルバムは、私が小学生・中学生の頃のもの。
ここ、行ったなぁ、こんな子どもだったなぁと思い出します。
毎年夏には家族旅行をしました。
写真の中の自分、父、母、姉は、あの頃何を考えていたんだろうという思いが巡ります。
写真の中の両親の年齢を大きく追い抜いている私、若い両親はどんな思いであの頃を生きていたのだろうといろいろ想像します。
写真の母はあまり微笑んでいません。
もしかしたら、母にとって、家族旅行は楽しいものではなかったのかなぁ。
やはり写真は笑顔がいいですね。
2年連続で母が一緒に行かない旅行がありました。
どうして母は行かなかったのだろう。謎です。
姉がいたから、3人旅行だから成立したのかもしれないとも思います。
もし私が一人っ子だったら、父と二人きりの旅行が楽しめたかどうか疑問です。
いつも姉がいるから、わいわいと楽しめた。
写っている人の中には、既に亡くなっておられる方が多くて、切なくなってきました。
年月の長さを思います。
いろんな思いを持ちながら、写真を一枚一枚見る私という存在があるから、このアルバム群に価値があります。
私がアルバムを開くことができなくなったら、すべて無用のものとなります。
旅行のアルバムは処分しますが、日常の写真を貼ったアルバムはもうしばらく捨てないでおこうと思っています。
日常の中に真実があると思いますので、その一コマ一コマが愛おしくて。
アルバムは、どれだけ愛されて育ってきたかが、目に見えてわかるものだと思います。
私が作った、息子の成長アルバムを、息子はいつかしみじみと見てくれのでしょうか。
その可能性があるかもと思うと、息子のアルバムは捨てるわけにはいきません。