横浜のみなとみらいギャラリーで、「後世に遺したい写真 」展を見る。
時代の世相を捉へた様々な写真の原版を、文化庁の委嘱を受けて収集や調査、保存などの活動を行ってゐる日本写真保存センターが開ひた写真展で、大正から現代に至るさまざまな“その時”が、白黒写真に切り取られてゐる。
そこに遺されてゐるのは、
いつの時代もなにも知らない、
いや、
なにも知らされることなく権力者に踊らされる、
庶民の姿だ。
その事実を端的に示してゐるのが、大束元といふ写真家が撮影した、昭和20年8月15日の玉音放送に涙を流す少女の写真。
そのままを見ると、戦争の終結を全身で受け止める健気な少女と映り、涙が頬を伝ふその表情には、強く胸を打たれる。
ところがこの涙は、撮影者があとから鉛筆などで、描き加へたものなのである!
つまり事実の歪曲、
捏造、
とんだ虚像なのである。
当時の新聞ではよくあることだった、と作品の解説書きにはあったが、それも事実でないことは、報道写真の実態を暴ひた松本清張の小説「十万分の一の偶然」に明らかだ。
さう考へると、この写真展の作品そのものも、果たしてどの程度その時代の事実を伝へてゐるのか、疑わしく思へてきてしまふ。
むしろ、さうした“嘘つき”の事実をこそ、後世へ遺しておくに相応しいと言へるだらう。
報道屋の報道はあらゆる事実を覆ひ隠し、
“何者か”の都合のいい事柄のみを選別して流してゐるのだといふことを──
この写真展に触発されて、私も「後世に遺したい写真」といふものを、自分なりに撮ってみた。
ただし以下の作品はすべて、無修正である。
嵐悳江 「貴男貴女(あなた)たちの御先祖」(平成三十年)
嵐悳江 「遺伝」(平成三十年)
時代の世相を捉へた様々な写真の原版を、文化庁の委嘱を受けて収集や調査、保存などの活動を行ってゐる日本写真保存センターが開ひた写真展で、大正から現代に至るさまざまな“その時”が、白黒写真に切り取られてゐる。
そこに遺されてゐるのは、
いつの時代もなにも知らない、
いや、
なにも知らされることなく権力者に踊らされる、
庶民の姿だ。
その事実を端的に示してゐるのが、大束元といふ写真家が撮影した、昭和20年8月15日の玉音放送に涙を流す少女の写真。
そのままを見ると、戦争の終結を全身で受け止める健気な少女と映り、涙が頬を伝ふその表情には、強く胸を打たれる。
ところがこの涙は、撮影者があとから鉛筆などで、描き加へたものなのである!
つまり事実の歪曲、
捏造、
とんだ虚像なのである。
当時の新聞ではよくあることだった、と作品の解説書きにはあったが、それも事実でないことは、報道写真の実態を暴ひた松本清張の小説「十万分の一の偶然」に明らかだ。
さう考へると、この写真展の作品そのものも、果たしてどの程度その時代の事実を伝へてゐるのか、疑わしく思へてきてしまふ。
むしろ、さうした“嘘つき”の事実をこそ、後世へ遺しておくに相応しいと言へるだらう。
報道屋の報道はあらゆる事実を覆ひ隠し、
“何者か”の都合のいい事柄のみを選別して流してゐるのだといふことを──
この写真展に触発されて、私も「後世に遺したい写真」といふものを、自分なりに撮ってみた。
ただし以下の作品はすべて、無修正である。
嵐悳江 「貴男貴女(あなた)たちの御先祖」(平成三十年)
嵐悳江 「遺伝」(平成三十年)