迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

遠い日本。

2018-04-13 20:00:00 | 浮世見聞記
東京都写真美術館の「写真発祥地の原風景 長崎」展を見る。


幕末の慶応年間から明治半ばにかけて撮影された“異域”長崎の景色から、日本が次第に日本らしさを喪っていく様を、目の当たりにする。


丘には洋館が、

海には洋鑑が、

町には紅毛人の紛れ込んだその光景はまさに“異域”であり、

異国情緒(エキゾチック)などと、そんな呑気なものではないなにか「違ふ」と感じさせるものが、そこには写ってゐる。


これこそが、日本が喪ったものではないだらうか──?



さりながら、いまさら慶應以前に帰れなどと、そんな時代錯誤なことは言はな
い。


仮に戻らうにも、

『明治150年』

の日本は、



あまりにも多くを喪ひ過ぎた……。
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