東京都写真美術館の「写真発祥地の原風景 長崎」展を見る。
幕末の慶応年間から明治半ばにかけて撮影された“異域”長崎の景色から、日本が次第に日本らしさを喪っていく様を、目の当たりにする。
丘には洋館が、
海には洋鑑が、
町には紅毛人の紛れ込んだその光景はまさに“異域”であり、
異国情緒(エキゾチック)などと、そんな呑気なものではないなにか「違ふ」と感じさせるものが、そこには写ってゐる。
これこそが、日本が喪ったものではないだらうか──?
さりながら、いまさら慶應以前に帰れなどと、そんな時代錯誤なことは言はな
幕末の慶応年間から明治半ばにかけて撮影された“異域”長崎の景色から、日本が次第に日本らしさを喪っていく様を、目の当たりにする。
丘には洋館が、
海には洋鑑が、
町には紅毛人の紛れ込んだその光景はまさに“異域”であり、
異国情緒(エキゾチック)などと、そんな呑気なものではないなにか「違ふ」と感じさせるものが、そこには写ってゐる。
これこそが、日本が喪ったものではないだらうか──?
さりながら、いまさら慶應以前に帰れなどと、そんな時代錯誤なことは言はな
い。
仮に戻らうにも、
『明治150年』
の日本は、
あまりにも多くを喪ひ過ぎた……。
仮に戻らうにも、
『明治150年』
の日本は、
あまりにも多くを喪ひ過ぎた……。