迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

宙で舞ふ菊五郎(おとはや)。

2021-03-20 18:46:00 | 浮世見聞記

國立劇場と國立演藝場の資料室で、演藝資料の企画展を観る。


江戸時代には両國や淺草界隈で盛んだった“見世物”も、現在では上方落語の「輕業」や、サーカス興行がその名殘りとして耳目に出来るくらゐで、あとは今回の企画展で示されてゐる如く紙の資料で、往時の賑はひを察するしかない。


機を見るに敏な大衆娯樂の評判を、同じ大衆藝能だった歌舞伎もいち早く取り入れたことはもちろんだ。

その一例として展示された五代目尾上菊五郎扮するスペンサー氏が、氣球にぶら下がり宙に浮いてゐる様子の錦繪は、歌舞伎にまだ當意即妙さが生きてゐた時代を傅へる一幅として、私は興味深く見る。

これは明治23年(1890年)11月に上野公園で興行された、パーシバル•G•スペンサーの“氣球乗り”が大評判なのを知った五代目尾上菊五郎が、


(※案内チラシより)

弟子を連れて熱心に見物した末に翌24年1月の歌舞伎座興行で、「風船乗評判高閣(ふうせんのりうはさのたかどの)」として舞台に乗せたもので、作者は河竹黙阿彌。

かうした輕業ならぬ早業は、今や限られた持ちネタを一握りの主演役者が興行主に宥めすかされながら持ち回ることでお茶を濁してゐる現今の歌舞伎業界では、到底考へられぬことだ。



奇しくも國立劇場では、五代目尾上菊五郎の系図上の子孫が、「馬盥」を上演してゐるらしい。



狂言の主役は、明智光秀であるところの“武智光秀”。

しかしポスターの冩真に見る、惡い意味でお坊っチャンお坊っチャンした容貌からはおよそ主君を弑逆する凄味など感じられず、“三日天下”どころか半日で竹槍にやられさうだ。


この御時世におカネと命をかけて観るしろものでもないわさ──


和服の裾もバサバサと、劇場へ向かふ何人かの若い女性の姿を見送って、私は身震ひする。






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