孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ  不敬罪改正を掲げ若者に支持される第1党「前進党」,解党の危機 背景に上院改革も

2024-03-16 22:31:37 | 東南アジア

(バンコクで、選挙公約が違憲との判決が出た後に記者会見する前進党のピター氏(中央左、1月31日)=ロイター。中央右はチャイタワット氏【3月16日 読売】)

【「タクシン氏は保守層側の人間になった」 タクシン派は親軍勢力との協力で長期政権を目指す】
タイでは、タクシン元首相支持政党のタイ貢献党(総選挙では、王室改革を掲げる前進党に次いで第2党 タクシン氏の次女が党首)が仇敵であった親軍勢力との大連立によって政権に復権、それに合わせて(というか、おそらく大連立の条件として事前の調整が行われていたと推測されますが)軍部によって政権を追われて海外亡命中だったタクシン元首相が帰国。

タクシン元首相は形式的には服役するものの、国王恩赦で刑期は1年に短縮され、しかも病気を理由に刑務所ではなく病院で療養、結局今年2月には仮釈放となりました。(このあたりは貢献党と親軍勢力の「合意」が背景にあってのことでしょう)

****タイのタクシン元首相、高齢と病気理由に刑期の半分で仮釈放…野党「不透明な点が多い」****
首相在任中の汚職で実刑を言い渡され、警察病院に入院していたタイのタクシン・シナワット元首相(74)が18日、仮釈放された。

タクシン氏は同日午前6時頃、次女でタクシン派政党「タイ貢献党」党首のペートンタン・シナワット氏に付き添われ、バンコク市内の病院から車で自宅に戻った。首にはコルセットが巻かれ、腕は三角巾でつられていた。

タイ法務省はタクシン氏が高齢で病気を抱え、刑期の半分を経過したことから仮釈放の条件を満たしたと判断した。

タクシン氏は、連立政権を主導する貢献党の実質的なオーナーを務め、今後の政治関与に関心が集まる。貢献党のセター首相は18日、仮釈放を「喜ばしいこと」と歓迎し、近くタクシン氏と面会する意向を示した。

最大野党「前進党」は「仮釈放決定には不透明な点が多く、現政権下で平等に法が執行されているか疑問だ」と反発している。

タクシン氏は2001年に首相に就任したが、06年の軍事クーデターで失脚し、国外に逃れていた。昨年8月、貢献党主導の連立政権発足が確定すると、15年ぶりに帰国した。裁判所で8年の刑期を言い渡され、刑務所に移送されたが、胸の痛みなどを訴え警察病院に移された。その後、ワチラロンコン国王の恩赦で刑期が1年に減刑した。【2月18日 読売】
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14日には地元チェンマイを訪問して支持者の歓迎をうけています。

****タクシン元首相、17年ぶり帰郷 北部チェンマイ、支援者の前に*****
タイ政界の実力者、タクシン元首相(74)が14日、出身地の北部チェンマイを訪問した。汚職罪などで実刑となった後、高齢や健康状態悪化を理由に約1カ月前に仮釈放されたばかりで、支援者を前に健在ぶりを見せた。

昨年8月に約15年ぶりに帰国後、地元入りは初めて。現地メディアによると、首相の座を追われるクーデターが起きた2006年以来。

タクシン氏はサングラス姿で首にサポーターを装着。仮釈放直後に使っていた車椅子や腕のサポーターはなく、支援者に徒歩で近づいた。

タクシン氏は08年から国外逃亡を続け、自派の「タイ貢献党」主導の連立政権発足が固まった昨年8月に帰国した。【3月14日 共同】
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タイ貢献党と親軍勢力の「大連立」、それに伴うタクシン元首相への「寛大」な扱いは、かつて激しく対立してタイ政治の不安定要素となっていた「選挙に強いタクシン派」と「国王を頂点とする秩序維持を目指す軍部・王室支持勢力」という二大勢力の蜜月ぶりを示しています。

タクシン派は軍部と協力して長期政権を目指しているとの指摘も。

****保守層と和解で早期仮釈放=タクシン派政権長期化狙う―タイ****
タイのタクシン元首相が帰国後に実刑判決を受けながら半年で自由の身となった背景には、長年対立してきた保守層との和解がある。今後は自身が実質的なオーナーのタイ貢献党が主導する政権の長期化を狙う。
タクシン氏は、自身の政党が農村の住民や都市の貧困層からの支持を得て2001年と05年の総選挙で勝利し、首相を務めた。しかし、利益誘導型の政策や強権的な政治手法が批判を招き、反タクシン派との対立が深刻化して06年のクーデターに発展した。

タクシン派は選挙に強く、11年にはタクシン氏の妹インラック氏が率いる政権が発足した。ただ王室や軍を支持する保守層が中心の反タクシン派との対立は続き、14年にも再びクーデターが起きた。

こうした対立の構図は、昨年5月の総選挙で変化する。王室や軍改革を公約に掲げた前進党が第1党となり、貢献党は第2党となった。

選挙直前には、海外逃亡中のタクシン氏が帰国して早期に自由の身となる見返りに、保守層が支持する親軍政党と手を組み連立政権を発足させるという「密約説」が流れた。

密約説通り、昨年9月に貢献党のセター氏が首相の連立政権が発足し、タクシン氏は恩赦を経て今回仮釈放された。外交筋は「タクシン氏は保守層側の人間になった」と指摘している。【2月18日 時事エクイティ】 
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【タクシン政権を「国会独裁」と批判していたエリート層の独特の民主主義観】
従前の政治では枠外にあった地方農民や都市貧困層を対象に(バラマキとも批判される)施策を行って選挙のたびに圧勝したタクシン氏の政治には、国王を頂点とする秩序維持を目指す軍部・王室支持勢力が激しく反発していました。

その背景には、農民・貧困層の圧倒的支持で政権を握るタクシン政治を「国会独裁」と批判するタイ知識人・エリート層の「タイ民主主義」に関する独自の考え方があるように見えます。

****タイ知識人たちの言い分と抵抗***** 
(中略)現在の選挙、政党、憲法裁判所などをはじめとする司法機関などの政治制度は、1997年憲法により登場しました。そのもとになった1990年代の政治改革運動を主導した公法学者アモーン・チャンタラソムブーンは、「国会独裁」という用語を使用して議会制民主主義を批判しました。

「国会独裁」とは、執政権(内閣)と立法権(国会)の両方を多数派政党が掌握することを批判した言葉です。

議会制民主主義においては当然のことですが、タイでは軍部や知識人たちが、多数派政党による「独裁」を批判してきました。

アモーンは、初期の議院内閣制は二元的統治であり、国王が任命した内閣と、国民が選んだ国会の2つの権力により構成されていたと述べています。

相互の間で一種のチェック&バランスが存在していましたが、国王の権限が制限されたことにより、国会の多数派が政府を樹立する一元統治となったと指摘しています。これをアモーンは「独裁」として批判したのです。
 
(中略)民主主義を基礎固めしようという1990年代に、タイ知識人が問題にしたのは「多数派による独裁」です。また憲法起草の議論では、数では「マイノリティ」であるエリート層の声も政治に反映されるべきであるとの議論もなされました。

通常は「マイノリティ」とは弱者を指しますが、タイにおける民主主義をめぐる議論では、エリート層をマイノリティと位置付けて、いかに公平にエリートの声を政治に反映させるかという点が真剣に論じられてきました。

2014年クーデタ前には、反タックシン派グループからは、下院にも任命制議員を導入するように提案がなされます。タイのエリート層の間では、数に基づく民主主義は「独裁」として解釈されたのです。【2月21日 シノドス 外山文子氏「民主主義がうまくいかない理由――タイ政治では何が起きているのか?」】
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【既存秩序を揺るがしかねないアウトサイダー「前進党」への警戒感 「前進党」は解党命令の危機】
しかし、不敬罪改正など王室改革を掲げ、既存秩序を揺るがしかねない「前進党」の登場に危機感を持った軍部・王室支持勢力・エリート層は仇敵タクシン派と手を組んで秩序維持を目指している・・・といったところでしょうか。

ちなみに、在任中の職務怠慢で2022年に国家汚職防止委員会から告発されていたタクシン氏の妹インラック元首相についても、タイの最高裁判所は3月4日、国家汚職防止委員会の訴えを退けています。

一方で、改革を掲げる「前進党」(若者らの支持を背景に総選挙では第1党)への圧力が強まり、政権獲得を阻まれただけでなく、解党命令の瀬戸際に立たされています。

****タイ第1党「前進党」が解党危機、抗議デモ広がる可能性…「不敬罪」巡り親軍派が圧力か****
タイで昨年行われた下院選で第1党に躍進した「前進党」が解党の危機に直面している。野党排除の動きには王室に近い親軍派の意向が働いているとみられており、若者を中心とした前進党支持者に反発が広がるのは確実だ。

選挙管理委員会は12日、憲法裁判所に前進党の解党命令を出すよう求めることを決めた。数か月以内に解党を命じられる公算が大きい。選管は「前進党が国王を元首とする国家を転覆させる行為を進めていた証拠がある」としている。

前進党は下院選の選挙公約で、王室への侮辱を罰する「不敬罪」を定めた刑法改正を掲げた。憲法裁は1月、公約を掲げたことを違憲とする判決を出した。これを受け、親軍派の元上院議員らが2月に選管に同党の解党請求を申し立てた。憲法裁の判事は軍政下で選出され、軍の強い影響下にある。

解党が命じられれば、所属議員は失職し、幹部の公民権が10年間停止される。同党のチャイタワット・トゥラソン党首は13日、「政党を解党しても政治的不一致が解決することはなく、対立を激化させるだけだ」と述べた。

昨年のタイ下院選(定数500)で、前進党は151議席を得た。野党陣営は前進党のピター・リムジャラーンラット党首(当時)を首相候補としたが、軍政が全議員を事実上任命している上院の支持を得られなかった。その後、親軍政党などが第2党と連携し、セター・タウィシン氏が首相に就任した。

親軍派が前進党への圧力を強めているのは、制度改正で夏以降に選出される上院議員が首相指名に参加出来なくなり、下院議員の投票だけで首相が選出されるようになるためだ。外交筋は「前進党が選挙で再び躍進する芽を摘みたいという親軍派の考えが働いている」と分析している。

2020年に前進党の前身の新未来党が解党された際には、反発した大学生らが各地でデモを行った。今後、同様の動きが広がる可能性がある。【3月16日 読売】
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前進党の報道官は「国王を国家元首とする民主主義体制を転覆させるつもりはない。憲法裁で潔白を証明する」と主張していますが、認められず解党へ・・・という事態が懸念されます。

【「前進党解党」の動きの背景にある上院改革】
注目されるのは、こうした動きの背景にある“制度改正で夏以降に選出される上院議員が首相指名に参加出来なくなり、下院議員の投票だけで首相が選出されるようになる”という上院の制度改革です。

****上院議員の選出規則を制定****
タイの上院議員(定数250)の選出規則が2月15日の官報に掲載された。

現在の上院議員は国家平和秩序協議会(NCPO)によって任命されており、2024年5月11日までが任期となっている。

新たに選挙管理委員会(EC)が制定した上院議員選出規則によると、今後の定数は200となる。また、多様性を重んじて、行政や教育、公衆衛生などの従事者や女性のほか、少数民族などの代表者も含む20の分野(注)からそれぞれ10人が選出される。

選挙は郡、県、国の3段階で実施され、各段階で候補者が互いに投票する形式を採用する。

まず、各郡で候補者を募り、候補者の中で互いに投票して、各分野の上位3人を選出する(候補者以外の一般人は投票できない。県、国段階でも同様)。各県では、各郡から選出された候補者が互いに投票し、各分野の上位2人を選出する。最後に、各県で選出された候補者が互いに投票し、各分野の上位10人を選出することで定数の200人を選出することになる。(後略)

(注)20の分野は(1)行政(国家公務員)、(2)司法・公安(裁判官・警察官など)、(3)教育(教師・研究者など)、(4)公衆衛生(医師・看護師など)、(5)農業従事者、(6)林業、漁業、畜産業従事者、(7)民間企業の従業員、(8)環境、都市計画の専門家、(9)中小企業の従事者、(10)(9)に分類されない企業の従事者、(11)観光・ホスピタリティー分野の起業家、(12)工業の専門家、(13)科学、技術、ITの専門家、(14)女性、(15)高齢者、障害者、少数民族などの代表者、(16)芸術、文化、スポーツ、(17)市民団体、慈善団体、(18)マスコミ、(19)フリーランス、(20)その他(上記以外の分野で専門性のある者)【2月29日 JETRO】
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これまでの上院は実質的に軍部によって任命されており、先の組閣にあたっても軍部の意向を受ける上院の存在が、総選挙の結果がストレートには政権獲得には結びつかない「壁」となっていました。軍部にとっては体制維持のための防護壁ともなっていました。

その重要な「体制維持の防護壁」をどのような経緯・背景で軍部が手放すことになったのかは知りません。情報があれば、また別機会に。

この上院改革によって、選出方法の改正だけでなく、“下院議員の投票だけで首相が選出されるようになる”ということにもなるようです。

そういう改正を見据えて、アウトサイダーの前進党の芽を今のうちに摘んでおこう・・・という「前進党解党」へ向けた動きです。可能性だけで言えば、「前進党」が存続すれば、下院第2党「タイ貢献党」は下院第1党「前進党」と連立することで親軍勢力を排除した政権を樹立することも可能になりますので、そのあたりを警戒した動きでしょうか。
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