孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ベトナム  映画「季節の中で」 “太陽に祝福された人達”

2010-01-27 14:54:08 | 身辺雑記・その他

(映画「季節の中で」より)

【蓮の花と火焔樹】
映画の話。ベトナム映画、正確にはベトナム出身のアメリカ人監督がオール・ベトナム・ロケで撮ったベトナム人俳優によるアメリカ映画「季節の中で」。
1999年サンダンス映画祭審査員グランプリ、観客賞、撮影賞受賞ということなので、そこそこの評価は得た映画のようです。

ベトナム戦争中にベトナム女性との間に産まれた娘を探す元米兵、ガムや煙草を売りながら都会を生きるストリートチルドレン、ハンセン氏病に冒され世捨て人となった詩人と聡明な蓮摘みの少女、泥沼の現実から這い上がることを夢見る娼婦と彼女に心ひかれるシクロ運転手、という4つのエピソードが交錯しながら平行に描かれていく映画です。

監督のトニー・ブイは、1975年、サイゴン陥落のおり、2歳でボートピープルとして一家がアメリカに渡り、ベトナムを初めて訪れたのは19歳のときとか。

ストーリーについては、センチメンタルな純愛映画的な展開は陳腐にも思え、娼婦につきまとうシクロ乗りに至っては、「タクシー・ドライバー」を彷彿とさせる変態・ストカー的なところもあって、嫌いな人も多いでしょう。
ただ、池を埋める白い蓮の花、真っ赤な火焔樹の並木、大都会ホーチミン・シティーの暗闇・・・などの映像はとてもきれいです。大きな事件もないまま、淡々と流れる映像が心に残ります。

【「あそこはまるで別世界よ」】
そんな映画で、一番印象的だったのは娼婦とシクロ乗りの切ないラブ・ストーリー。
見染めた彼女の仕事が終わるのをホテル前で待つシクロ乗り。
娼婦「この仕事をずっと続けていく気はないわ。将来の夢があるの」
シクロ乗り「じゃ、ほかの仕事を?」
「どんな仕事を?母は家族のために必死に働いて死んだわ。二の舞はごめんよ・・・ホテルに泊まったことある?」
「いや」
「あそこはまるで別世界よ。住む人種が違うの。話し方も歩き方も違う。太陽に祝福された人達よ。私達は影の住人。ホテルが建つたびに影が大きくなるわ・・・よく見るといいわ、ホテルに出入りする人達を。別の人種よ。いつか私もあの世界に住むわ。お金持と結婚して夢を実現するの」
「それで幸せか?」
「シクロ乗りと結婚しろと言うの?」

ホーチミン・シティー(旧サイゴン)には行ったことがあります。映画の中にでてくるマジェスティックホテルは泊まったことがありませんが、リバーサイドホテルなら8年ほど前に泊まりました。
普段はもっと安宿を利用しますが、それでも大金を使って外国で遊ぶ“太陽に祝福された人達”のひとりでしょう。
娼婦やシクロ乗りから見た視線にヒリヒリするものを感じて、映像から目が離せなくなります。

夢を追う娼婦は、ある夜、客と口論となりタクシーから叩き出されます。彼女を助けるシクロ乗り。
シクロ乗りはシクロ・レースで得た賞金で、一晩50ドルの彼女を買います。
しかし、服をプレゼントし、彼女の寝姿を眺めるだけ・・・彼女は「エアコンの効いたホテルの部屋で朝を迎えたいの」といつか言っていた、そんな朝を迎えます。

再び彼女の自宅を訪れるシクロ乗りに、娼婦は心を閉ざします。
「返すわ、あなたにもらったお金よ。寝てないのにもらえないわ。これで貸し借りなしよ」
「いや、受け取ってくれ。金以上のことをしてくれた」
「なぜ、そんなに私にこだわるの?私は今までに大勢の男と寝たのよ」
「僕は彼らとは違う」
「目をよく開いて。目の前に立っている女は娼婦よ。あなたはただのシクロ乗りよ。でしょ?それだけの関係よ。お願いだから、私に理想を求めないで」

この後の展開は、興味ある方は映画をご覧ください。
日本の古い映画にも、貧困の中で生きる人々を扱ったものはありますが、それらを観るとき登場人物側の世界に身を置くことができます。
しかし、この映画では“別世界”の“別の人種”として観ることになります。

正月はスリランカで過ごしましたが、今月末、たまたま時間がとれてタイ北部、チェンライを旅行する予定です。
“太陽に祝福された人達”のひとりとして。


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