喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「文學圏」

2013-03-05 19:24:57 | 本・雑誌

ある人から頂きました。
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「文學圏」という短歌の雑誌。
昭和30年発行の孔版刷りです。要するにガリ版刷りということ。
中の「三艸庵雑記」というコラム。愁陰山居士という人が書いておられる。

 神戸新聞社の宮崎修二朗氏が、文学の旅・兵庫懸、を同社から刊行した。「兵庫県下の文学の跡をたずね、日本文学の血脈を通わせた好著」といわれるだけあって、これは大変な仕事だったに違いない。
 同著をひもといてみると、よくまあこれだけと思わず声に出して讃嘆する程、氏独特の美しい文章で、県下における昔から現代迄の文学の跡を掘りあてているのである。文学に志のある者には是非一読をすすめたい好著である。
 去る十一月五日、躬々会の旅行で、丹波の篭坊温泉に行った時、宿に眼覚めた翌朝、宮崎氏から贈られた同著を、枕元に投げ出しているのを見つけた阪本知事は、
「木村君、これは大事にしろよ、神戸ぢゃもう絶対に手に入らない程、貴重になっているんだから」
聞けば、何部かの限定版だそうだ。成程と思って恐縮した。欲しくても手に入らない人が出来て、同著は必ず一層評価を高めるに違いない。
    〇
 昨年の九月であった。村では村長選挙戦の真最中であった。訪ねて来た宮崎氏と自転車を踏んで、まだ暑い陽ざしの下を瀬加の奥河内高原にある桧本兼夫の生家へ、前田夕暮先生の遺跡を訪ねて行った。ようやく穂になったすすきの間をかけ巡って、兼夫の家にカメラを向ける宮崎氏の額に汗が滲み出た。私はその時から、この努力は必ず美しい素晴らしい実を結ぶに違いないと思った。

 
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昭和30年というと宮崎先生、33歳である。
スゴイですね。信じられません。今こんな人、決してありません。
と、こんなことを考えている時に、偶然宮崎先生からお電話がありました。
この話、しましたら、これを書いた木村眞康という人のこと詳しくお話し下さいました。この人の運転で田辺聖子さんと旅行した話など。ああ…と思ってしまいます。

この雑誌の裏表紙はこれです。
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これもガリ版刷り。もう58年も昔です。
この本のこと『KOBECCO』の「触媒のうた」の第一、二回に「本の背中」と題して書いた。
宮崎先生、いつまでもお元気でいて下さい。



『コーヒーカップの耳』
コメント
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