先に上げた「夕凪橋の謎」ですが、その中の平成30年3月号「宮っ子」に書いたわたしの記事「街角小景・夕凪橋」に間違いがあることに気づきました。

新聞のこの写真(昭和30年代)をじっと眺めていて「あ、そうだったのか!でした。
国道43号線の東川と六湛寺川に架かる橋は今は見かけ上一体化してますが、飯田寿作さんが橋の命名を委嘱された時は、このような時だったのではないかと。
まだ工事中、というより、本格的工事に入る前なのです。この橋は仮橋というべきもの。
この後に完成して今のような一体化したような橋になったのでしょう。
だから飯田さんは、まだきれいに二つに分かれた橋の時に、西側の六湛寺川の橋を「西夕凪橋」、東の東川の橋を「東夕凪橋」と名付けられたのでしょう。
わたしは、今の見かけ上、一体化した橋で考えたものだから、南にある歩道を「西夕凪橋」、北を「東夕凪橋」と推断したのです。現在の橋は東西には分かれてませんので。
だから、完成した時点で、東でもなく西でもなく単に「夕凪橋」とすればその後の混乱が起きなかったのでしょう。
これで謎が解けたような気がします。
ところで上の写真、どこから撮ったものか分かりますでしょうか?
わたしも「はて?」と思ったのですが、「消防・用海分団」の火の見やぐらからですね。今はもうありませんが。
『コーヒーカップの耳』

新聞のこの写真(昭和30年代)をじっと眺めていて「あ、そうだったのか!でした。
国道43号線の東川と六湛寺川に架かる橋は今は見かけ上一体化してますが、飯田寿作さんが橋の命名を委嘱された時は、このような時だったのではないかと。
まだ工事中、というより、本格的工事に入る前なのです。この橋は仮橋というべきもの。
この後に完成して今のような一体化したような橋になったのでしょう。
だから飯田さんは、まだきれいに二つに分かれた橋の時に、西側の六湛寺川の橋を「西夕凪橋」、東の東川の橋を「東夕凪橋」と名付けられたのでしょう。
わたしは、今の見かけ上、一体化した橋で考えたものだから、南にある歩道を「西夕凪橋」、北を「東夕凪橋」と推断したのです。現在の橋は東西には分かれてませんので。
だから、完成した時点で、東でもなく西でもなく単に「夕凪橋」とすればその後の混乱が起きなかったのでしょう。
これで謎が解けたような気がします。
ところで上の写真、どこから撮ったものか分かりますでしょうか?
わたしも「はて?」と思ったのですが、「消防・用海分団」の火の見やぐらからですね。今はもうありませんが。
『コーヒーカップの耳』