東京都知事の今回の太陽光発電問題には本当に怒りしかない。と言うか、日本の首長の酷さには呆れるばかりです。
それも、有権者の劣化が齎すものでしょう。やはり、首長は中央からの派遣に戻すべきでしょう。
戦前は首長は内務省からの派遣だったと教えてくれのはねずさんでした。沖縄の県民撤退を邪魔した知事の派遣先が香川県だったという衝撃の事実には本当に驚いたものです。
そのねずさんが今回もその派遣の意味を取り上げてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/12/14
山上憶良の貧窮問答歌
・・・略
江戸時代においては、地方の総責任者である大名は、参勤交代で年替わりで江戸詰めでしたし、大名同士で、血縁関係を結ぶなどしていましたから、全国のお殿様たちは互いによく知る間柄でした。
どうしてこのような、県知事同士が互いに顔見知りの親しい関係であることが求められたかというと、そこに大きな理由があります。
日本が「災害大国」だからです。
万一、自国全域が何らかの災害や凶作で食糧不足に陥った場合、豊作となった他国から、お米を融通してもらわなければならないし、またその逆もあるわけです。
畿内が凶作でも、関東が豊作なら、関東からお米をまわす。
関東が凶作で、畿内が豊作なら、畿内からお米を融通してもらう。
日本全国がひとつ屋根の下に暮らす家族のように、そうやって互いに助け合うことができる体制を、社会的な仕組みとして保持しておかなければ、我が国では人が生き残ることができないのです。
そしてこのことは「日本全国天下万民がひとつ屋根の下で暮らす家族のようになって」と述べられた神武天皇の日本建国の詔に記されたことでもあります。
♪トントントンガラリっと隣組〜〜
という発想は、何も隣近所のことだけでなく、大名同士、国司同士で、国を越え地域を越えて助け合いを行なう。
それこそ、災害列島で生き抜く、生活の知恵であり、日本の知恵であったわけです。
国司は、税を取りますが、払う側からしてみれば、凶作などのいざというときには、自分たちが払った何倍ものお米を支給してもらえることになるのです。
その意味では、国司というのは、災害対策保険事務所の所長さんみたいなものといえるかもしれません。
国司たちは、青年期までを中央で過ごします。
そして成人すると、国司の助手として地方勤務になり、長じて国司を拝任します。
つまり、全国の国司同士は、互いによく知る間柄であるわけです。
こうした人間関係が、いざというときに、どれだけ多くの人の命を救うことになるか。
災害は、凶作だけでなく、地震や津波、水害、土砂災害、大火災など、多岐にわたります。
そして被災すれば、復興に莫大な費用と人手がかかるし、復興するまでの民衆の食の確保は、本当に大切な課題といえるのです。
「そうしなければ、日本列島では生きていくことができない」
このことは、我が国の歴史を考える上において、とても大切なことです。・・・中略
日本は大家族制で、長男が家を継ぎますので、次男以下が防人として徴用されます。
この歌に詠まれているのは、どうみてもその大家族を崩壊させられた家の様子です。
しかも兵の服装が「韓衣(からころも)」だというのです。
ということは、どうみても、これは以前は倭国の一部であった半島南部の様子とわかります。
しかも母のことを「オモ」と詠んでいます。
これは韓国語の「オモニ(母)」と同音です。
要するに、もともとは大家族制だった半島南部の元倭国の住民たちが、いまでは新羅の支配下となり、家族を皆殺しにされ、ようやく生き残った男性と幼子の小さな家族さえも、男性が無理やり子から引き離されて徴兵される。
このような非道がまかり通っていることを俺たちは許すことはできないし、また日本がそのような国に汚鮮されることも決して許すことはできないという、これは防人たちの決意の歌であると読むことができます。
それを初句の「からころも」を「枕詞だから意味がない」、「オモ」とあるのは日本語の母のことであると強弁し、あくまで中央朝廷が非道な存在であったかのように歌の意味を歪めて子どもたちに教育する。
とんでもないことです。
現状のとんでもない首長を考えると官僚の劣化を考えてもすこしはましなのじゃないでしょうか。
本来は官僚がまともになってからにしたいところですがどうでしょう。