邪馬台国がどこにあったかなんてそれほど興味は無いのですが、今回の纒向遺跡の話題は別な意味で興味が沸きました。それは昔の大和川の位置でした。
大和川と言えば日本で二番目に汚いなんて話題ばかりでしたが見直さないといけないですね。
大阪湾から朝どれ魚 卑弥呼の時代「想像超すグルメ」…纒向まで半日
(2011年1月22日読売新聞)
タイやアジ、シカなど豊かな海の幸、山の幸を、神々にささげて食したのは、邪馬台国の女王・卑弥呼だったのか。21日、奈良県桜井市教委が発表した纒向(まきむく)遺跡の土壌の分析結果は、邪馬台国が存在した3世紀中頃、内陸の奈良盆地に様々な食材が集まっていたことを示し、豪勢な〈卑弥呼の食卓〉への想像をかき立ててくれる。
タイやアジなどは大阪湾で取れたものとみられる。タイは今でも、80センチもあるような雄を先頭に群れをつくり、紀伊半島沖から大阪湾に入ってくるという。
現在の大阪港から纒向遺跡までは直線距離で約40キロ。3世紀頃は、大阪平野に「河内湖」と呼ばれる潟湖が広がり、海岸線は今より10~15キロも内陸に入っていた。朝どれの魚は、大和川を使えば、半日ほどで纒向に届いたと考えられる。
…以下略
地元の人や考古学をやってる人にとってはこの大和川の付け替えや海岸線などは常識なのでしょうが、私にとっては驚きでした。
今の大和川しか頭に無い私にとって今までの纒向(まきむく)遺跡に殆ど関心が無かったのですが、この昔の大和川の図を見て一気に興味が沸いてきました。成る程、これなら大阪からの輸送も便利でしょう。川下から川に沿って上流に移動して行って定着するのも納得が行きます。
それにしても、相変わらずの無知に情けなくなります。歴史なんて地理の移り変わりを考えるのは当たり前なんでしょうね。現在の状態でしか想像しない自分の頭につくづく想像力の無さを思い知らされました。
頭悪い!