団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★ルーマニアは米国の強い味方なのか?

2019年10月07日 | 中国

  宮崎さんが世界を取材して歩いてくれるお陰で、寝ながらChinaの世界進出の様相を知ることが出来ます。その上、世界の新聞も多く目を通しているようで、そこからの珍しい情報も一杯です。日本のマスメディアだけ見ていると絶対に知ることのない情報でしょう。

  今回は、ルーマニアの現状を書いてくれています。ルーマニアが親米だとは全く知りませんでした。と言うか、Chinaの進出振りに驚くばかりです。
  トランプさんが出てこなかったら今頃は世界はChinaの手に落ちていたかもしれないですね。もし、あのヒラリーが勝っていたらと思うとゾッとしますね。それにしても、あのバカなアメリカが良くトランプさんを選んでくれたものです。正に、奇跡でしょうか。

 宮崎正弘の国際ニュー ス・ 早読みより  令和元年(2019)10月3日(木曜日)弐 通算第6215号  

 ルーマニアと 言えば、体操のコマネチか、チャウシェスクか?
  「16+1」(旧東欧と中国)でスタンスが最強に米国よりのNATOメンバー

 冷戦時代のルーマニアは忘れられた国だった。
黒海に面し、地政学的には軍隊の通り道、ハンガリー、ブルガリアと国境を接するが、旧ソ連のモルドバはかつての合邦国家だった。 いまでもモルドバへ行くとルーマニアとの再合併を望む声が聞こえる。

 「そうはさせじ」とプーチンはモルドバの南、ドニエステル川西岸にロシア人を住まわせ、ウクライナとのアクセスさえ不便なままに している。

 チャウシェスク独裁は国民を地獄の底に突き落とし、知識人は弾圧され、人々は監視され、人権は踏みにじられた。ソ連崩壊前、 チャウシェスク夫妻は民主革命によって銃殺され、ソ連離れが早かった。
産油国でエネルギーの自足自給体制が整っていたからだ。

 五輪の体操で金メダルを何回も獲得した妖精コマネチは、冷戦終結直後、米国へ亡命した。日本の五輪ハンマー投げの室伏広治の母 親はルーマニア人である。
 ルーマニアは旧東欧諸国のなかで、ポーランドにつぐ親日国家である。2018年には安部首相が日本の首相としては初の訪問を果 たした。

 2004年にNATO加盟、07年にはEU加盟が認められた。
西側の一員として、米国のミサイル基地設置もいち早く認め、対岸はロシアが併呑したクリミア半島、すぐ北はウクライナのオデッ サ。黒海の安全保障においても、ルーマニアは枢要な位置にある。
 
 前置きが長くなった。
 八月にヨハネス大統領が訪米し、トランプ大統領と首脳会談を行った。旧東欧では最も熱心なNATOの親米国家として安全保障面 での協調強化が確認された。NATOのなかでも、米国離れの激しいトルコと対照的である。

 じつは記者会見では明らかにならなかったが、トランプにとっての関心事は、5G革命時代に、ルーマニアがファーウェイの通信基 地局、技術などを受け入れたことへの疑義であり、中国との関係の程度問題にあった。

 旧東欧はソ連崩壊以後、西側の投資が期待したほどではなく、他方で中国の投資が著しいため、5Gに関しては、ノキア、エリクソ ンを蹴飛ばしてでもファーウェイの進出に積極的なのである。とくにハンガリーやスロバキアがそうである。

 ▲ルーマニアは米国の強い味方なのか?

 ヨハネス大統領は明確に「枢要な通信技術に中国の技術は導入しないし、中国が買収合併した石油会社の関連会社がルーマニアにあ るが、安全保障面で警戒をしており、他の国々のようにBRI関連の中国投資には慎重に対応する」とした。

 中国国有企業のCIFC(中国華信能源)がカザフ子会社を通じてルーマニアの石油精製企業の株主に突出したうえ、ルーマニアの 原発建設に協力した。だが、例によって約束はしたが、実行の展望は拓けず、同時に中国企業CEFCが米国商務省のELリストに 入っているため、ルーマニア政府は以前より警戒的である。

 ルーマニアは中国主導の16+1のメンバーだが、なかでは飛び抜けての親米国家であり、ハンガリー、チェコなどの対中国投資に 無警戒な状況と比べると、一帯一路にもっとも慎重な態度を崩していない。ネックは国会では野党が多数派というねじれ現象。人口が 二千万に満たず、若者達が西側へ出稼ぎにでて帰国しないことも社会不安を搔きたてる。

 以下は雑談。個人的には旧東欧でポーランド、チェコとならんでルーマニアには親しみを覚える。首都ブカレストでは下町のホテル に滞在したが裏道はずらりとワインバアが拡がり、オープンカフェはパリの雰囲気、物価はパリの四分の一ほど。コンチネンタルホテ ルには鉄板焼きの「紅花」もあった。詳しくは拙著『日本が全体主義に陥る日――旧ソ連圏30ヵ国の真実』(ビジネス社)を参照さ れたい。

  宮崎さんは若い時から世界を飛び回っていたんですね。それにしても、Chinaの浸透には驚かされます。もし、習皇帝じゃなくもっと狡猾な皇帝だったら今も目立たぬように世界に手を広げていたことでしょう。
   Chineseも良く習を選んでくれたものです。これも世界の必然だったのでしょうか。

この好機を活かさぬ手はない!

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