日本の女性が如何に尊重されていたかは、ねずさんが何度も取り上げてくれているこの話を見れば良く分かります。
女性差別を騒ぐ左翼の人達はこういう事実をどうとらえているのでしょうか。こんな国は現代でも少ないのじゃないでしょうか。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本 2023/01/12
愛と青春の旅だちー松崎慊堂物語
・・・略
ここで大事なことが二つあります。
ひとつは、掛川藩にお抱えになったばかりの松五郎が、売春婦であるおすみを妻に迎えているという点です。
もし日本人が、売春婦を卑しい職業と考えていたのなら、松五郎がおすみを妻にすることはありえません。
これから藩の若侍たちに学問を教える人物が、卑しい職業の女性を嫁にするなど、許されることではないからです。
ところが掛川藩は、松五郎の妻のことを全く問題にしていません。
それどころか藩の重要な任務となった朝鮮通信使の通訳兼交渉役にさえ、松五郎を抜擢しています。
もうひとつの大事なことは、おすみが宿屋の売春婦でありながら、松五郎に仕送りしたり、ならず者にからまれてカツアゲされたときに、そのお金を代払いしている点です。
戦後の時代劇などで、売春婦たちは子供の頃に女衒(ぜげん)によって連れてこられ、売春宿の主人に借金漬けにされ、年季があけるまで無理やり働かされたという設定がなされています。
要するに、そういうのは全部噓っぱちだ、ということです。
女衒に買われてきたのは事実です。
仕事ですから、つらいこともあったでしょう。
けれど経済的には、彼女たちは実に豊かでした。
当時の売春婦というのは、十七歳から二十七歳くらいまでしか働かせてもらえません。
それ以降は、それまでに貯めたお金で、自分で小さなお店を開いたりしました。
売春婦たちには、それくらいの稼ぎと経済的余裕が、実はあったのです
お店に買われてきたのは六〜七歳のときです。
店に出るまでの10年は、お店がその娘に徹底した教育を施しました。
和裁、着付け、三味線に小唄に長唄、読み書きそろばん、日本舞踊、太鼓、琴、小料理など、女性が生きるのに必要なあらゆる分野の教育が行われました。
幼い頃から雇い入れ、申し訳ないけれど商売に使わせていただく。
その代わりに、彼女たちが一生食うに困らないだけの貯えと、教養と技能を、しっかりと身につけさせようというのが日本の風俗の伝統であったのです。
そのために、店に出るまでの10年間、店のお金で徹底した教育が施されたのです。
商売以上に、人を大事にする。
それが、私たちの日本です。
これを可能にしたのは、権力者の上位に、天皇というありがたい存在です。
権力者は天皇の民である私たち民衆を私物化することができない。
これが日本古来の国のカタチ(構造)なのです。
その後、松五郎は、松崎慊堂(まつざきこうどう)と改名して、日本を代表する学者になりました。
その弟子が、渡辺崋山や、高野長英など、江戸後期の名だたる学者たちです。
その学者たちが、まだ学生だった頃、その子達の生活の面倒の一切をみたのが、おすみでした。
おすみは、育った学者たちから、一生を通じてまるで母のように慕われ、この世を去りました。
日本人は、どのような社会的立場にあっても、あるいはどのような職業に就いていても変わらない「人としての矜持(きょうじ)」を大切にします。
職業には貴賤があっても、その職業を行う人の魂に貴賤はない、というのが日本人の古来の思考です。
日本人はどのような職業であれ、どのような社会的立場であれ、魂を高貴なものに保つことを大切にしてきたのです。
なぜならそれが日本人にとっての矜持(きょうじ)だからです。
今や、この矜持が失われている日本のように思えてなりません。日本はどんどん退化していると言っても間違いなさそうです。
何としても、この矜持を取り戻さなければ日本の再生は有り得ないでしょう。
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