団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★巴御前(ともえごぜん)

2023年01月19日 | 日本の女性

 日本で一番人気がある女性は静御前だとねずさんが教えてくれました。そのねずさんが巴御前にも素晴らしい評価をされているようです。
  今の男女とも劣化した日本人を見ていると本当に悲しくなります。果たして日本女性は静・巴御前の素晴らしさを取り戻す日が来るのでしょうか。なんてr書くと男はどうだと言われるのは間違い無いでしょう。
  ところで、男の一番人気は誰なんでしょう。もしかしたら義経でしょうか。

  ねずさんが教えてくれた巴御前もやはり素晴らしい。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2023/01/13
  
  巴御前(ともえごぜん)

  ・・・略

 愛する夫も去っていった。
おそらく、数刻の後には、その夫も死ぬことであろう。
巴御前は、ひとしずくの涙を袖で拭うと、鎧を脱ぎ捨てました。
そして、ひとり、どこかへと去って行きました。

 その後の巴御前の行方は、諸説あってわかりません。
滋賀の大津の義仲寺は、巴御前が義仲の菩提を弔って庵を結んだことがはじまりとの伝承があり、
また長野県の木曽、富山県の南砺市、富山県小矢部市、新潟県上越市、神奈川県小田原市や横須賀市にも、巴御前の終焉の地とされるところがあります。

 古来、女性の「好き」と、男性の「好き」は意味が異なるといいます。
男性の「好き」は、「手に入れる」、「手に入れたものを護る」という行動に結びつきます。
けれども女性の「好き」は、自分にあるすべてで対象を抱きしめる。
このことは、父性と母性の違いと考えるとわかりやすいかもしれません。

 そのように考えると、もしかすると甲冑を脱いだ巴御前は、平服のまま木曽義仲の後を追ったのかもしれません。
巴御前と別れたあとの木曽義仲は、麾下の今井兼平と二名で粟津の松原まで駆けます。
そして自害する場所を求めてあたりを徘徊したところ、馬の足が深田に取られて身動きがつかなくなってしまう。
そこに追いついた敵方が、義仲に矢を射る。
矢は木曽義仲の顔面に命中し、義仲はここで絶命します。
そしてこれを見た兼平も、その場で自害しました。

 義仲の首は追手に刎ねられて持ち去られました。
巴御前がその現場に到着したときには、おそらく木曽義仲が首のない遺体となってからのことであったろうと思います。
変わり果てた夫の姿を見て、巴御前は、その遺体の埋葬をしたのか、それとも遺体から形見をとって、いずこへと立ち去ったのか。

 その後の巴御前の消息について、『平家物語』は不明としているのですが、『源平盛衰記』は、このあと源頼朝によって鎌倉に招かれ、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を生んだとしています。
鎌倉内部の政権争いによって起きた和田合戦によって和田義盛が討ち死にした後は、越中国の福光の石黒氏の元に身を寄せ、その後、出家して尼僧となり、91歳で生涯を終えた記述しています。
ただこの説は、年代が合わないという指摘もあり、事実は遥としてわかりません。

 お能の演目の「巴」では、巴御前の御霊(みたま)が、愛する木曽義仲と最期をともにできなかったことから、この世をさまよう様子が描かれ、そんな巴御前の御霊と出会った旅の僧の読経によって成仏するという筋書きになっています。

 いまを去ること840年前、戦乱の世に生まれ、愛に生きた美しい女武者がいました。
巴御前のみやびで艶やかで一途な姿は、いまなお多くの人々によって語り継がれています。



  やはり、日本の女性は素晴らしい。何と言っても、天照大神の国です。

  この劣化した日本を立ち直すのはやはり女性かもしれません。間違っても優柔不断総理じゃないでしょう。
 
  どうしても、高市さんに期待してしまいます。


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