何事かを成す人と言うのはやはりその意志の強さが並大抵のものじゃないようです。
それをねずさんは神様が与える試練であり、それを克服したした人こそが成し遂げることが出来ると教えてくれています。
道理で、何の期待もされなかった我が人生は何の試練もなく平々凡々だったのでしょう。残念です。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/09/29
黒沢登幾に学ぶ日本人の生き様
・・・略
この寺子屋ですが、寺子屋の先生は「お師匠さん」と呼ばれました。
生徒は「寺子(てらこ)」です。
お師匠さんは、だいたい6割が男性、4割が女性でした。
意外と女性のお師匠さんが多かったのです。
ですから、そういう意味では、明治に入ってからの学制に基づく小学校教師でも、黒沢登幾に限らずもっとたくさんの女性教師がいてもいいように思うのですが、明治初期の一時期は、教師には、男性を多く登用しました。
これには理由があって、武士が失業して仕事にあぶれたたため、雇用創出という意味で、男性教師を積極採用したことによります。
つまり明治政府は、一家の大黒柱とならなければならない人に、まず仕事を与えようとしたわけです。
ですからこれは男尊女卑などという思想的理由とはまったく異なります。
あくまで経済的社会的な合理性のうえから、そのようにしただけのことです。・・・中略
さて、未成年の頃の登幾は、家運もよく、頭もよく、学問もよくできる素晴らしい才女でした。
しかし大人になった登幾を待っていたのは、夫に先立たれ、女手一つで二人の子を育てるというたいへんな苦労でした。
そしてさらには、登幾から教育者としての地位も奪い、20年の長きにわたって、過剰な肉体労働を強い、体力を使い果たさせ、貧乏な暮らしの中で、餓えに苦しませ、その身を極貧暮らしにまで追い落すというものでした。
そして、意を決した京都行きでは、登幾の身柄は拘束され、拷問を受けたのみならず、籐丸篭で護送され、ようやく放免されても、家に帰らせてもらえない。老いた母の顔も見れない、娘たちにも会えないという暮らしでした。
ところが、実に不思議なものです。
天は、最後には、登幾に、本来の教育者としての地位を与え、しかも天子様(天皇陛下)から、直接御米をいただけるという処遇を受けるようにしています。
なぜでしょうか。
孟子の言葉に、「天の将に大任を是の人に降さんとするや」というものがあります。
天の将に大任を是の人に降さんとするや
必ず先づその心志(しんし)を苦しめ
その筋骨を労し
その体膚(たいひ)を餓やし
その身を空乏し
行ひその為すところに払乱せしむ。
というのです。
なぜそんなことを天がするかといえば、それは、大任を得た人が、
心を動かし、性を忍び
その能はざる所を曾益せしむる所以なり
と書かれています。
要するに、黒沢登幾は20年という長きにわたり、天から薫陶を受け続けたわけです。
そしれそれだけの長い期間、行商人に身をやつしながらも、登幾は本来の教育者としての自覚と誇りと矜持を保ち続けたわけです。
そして最後に天は、登幾に、我が国初の女性小学校教師という役割を、与えました。
見えない世界のことは、私にもよくわかりません。
ただ、ひとついえることは、天はその人に、「絶対無理!乗り越えられない!」としか思えないような厳しい試練を与えるということです。
いまの日本には、悩んだり、苦しんだりしている人はたくさんおいでだと思います。
黒沢登幾も、極限まで追いつめられた人でした。
けれど、あきらめない。くじけない。
スーパーマンや、バットマンなど、アメリカン・ヒーローは、はじめから全てを持っています。
三国志の関羽や張飛ははじめから強く、あるいは諸葛孔明は最初から天才です。
けれど日本のヒーローは、オオクニヌシにせよ、スサノオにせよ、アマテラスにせよ、神様自体が、最初は不完全で、いじめを受けたりしながら、様々な試練を経て、成長していきます。
牛若丸だって、カラス天狗に訓練を受けて、そこではじめて強くなっています。
どんなに苦しくても、笑顔でがんばる。ただしい道を行く。
途中に、どんなに辛い艱難辛苦が待ち受けていても、くじけずに生きる。
そこに日本人の生き方があるように思います。
それにしても、日本の女性に対する考えは世界とは全く違っていたようです。それが分らない人達がポリコレで騒ぐのでしょう。何とも恥ずかしい。
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