団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★家康の新刊から

2022年12月28日 | 誇れる日本

 それにしても、家康の凄さには驚くしかないですね。吉宗の時代に20年間牢屋が空だったということです。
  こんな想像も出来ない国を作り上げたのも家康の忍耐力でしょう。これを家康は妻子を信長の命を取ったことの反省にあるそうです。

  ねずさんがそれを教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。 

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/12/21

  家康の新刊から

  ・・・略

 武田信玄の家督を継いだのが息子の武田勝頼です。
その勝頼との間に人脈を持っていたのが、家康の正妻の築山御前でした。
そして家康は築山殿を息子の信康を殺害しています。

 長男の信康は、このときまだ二十一歳でした。
この事件がもたらした衝撃は、家康のその後の人生に大きな影響を与えました。
家康がなぜ妻と子を殺さなければならなくなったのか。
それは家康自身の「読みの甘さ」と、「公正さの追求」にありました。

 妻の築山御前の 気持ちを事前に察してやることができず、妻の両親の死という現実から家康自身が逃げて しまっていたこと、そして尾張織田家との同盟関係の前に、あまりにも家康自身が公正であろうとしたことが、結果としてこの悲劇を招いたのです。

 だからこの事件のあと、家康は深謀遠慮の人となることを心がけました。
今入手できるあらゆる情報を入手し、先の先まで読んで、次の一手を構築する。そして極端な公正を求めない。

 後年の家康は「狸爺い」と呼ばれるようになりました。
目先のことで動くので はない。
いま正しいことをするのでもない。
あらゆる手を用いて事態を事前に動かし、公 正よりも被害を最小限に留めることを重視する。
正しいということと、善ことは違います。

 その時点で筋道が通っていても長い眼でみれば、それが最善とは言い難いということもあります。
それは江戸時代を通じて我が国の治世の肝になったことです。
事態が起きてからでは遅いのです。
起きる前に手を打つ。
そして安全を重視する。

 こうした江戸時代の思考は、江戸時代の武家政権の時代にあって、明治以降の近現代の日本に失われたことです。
そして現代日本がもっとも再構築しなければならない政治理論であろうと思います。



  山岡荘八さんの徳川家康を読んでいたので、このねずさんの説も納得出来ますが、本当にこんな凄い人が日本に生まれてくれたことに感謝しかないですね。
  それも、シラス国だからのことでしょう。やはり、日本は凄い。


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