☆ニュー・シネマ・パラダイス・完全オリジナル版(1988年 イタリア、フランス 170分)
原題 Nuovo Cinema Paradiso
staff 監督・脚本/ジュゼッペ・トルナトーレ 撮影/ブラスコ・ジュラート
美術/アンドレア・クリザンティ 音楽/エンニオ・モリコーネ
cast フィリップ・ノワレ ジャック・ペラン サルヴァトーレ・カシオ アニェーゼ・ナーノ
☆シチリア島
パラッツォ・アドリアーノ村が撮影現場だというけど、残念なことに、土地勘のないぼくには想像もできない。ただ、なんとなく、この微笑ましく心優しい映画の舞台が今もあるんだろうなとおもってる。ま、この映画がいかに感動的かってことは、もういまさら書く必要もない。中には異なった意見もあるだろうけど、やっぱ、好い映画です。
で、話はフィルムのこと。大学時代、映画監督をめざしていた後輩がいた。風に揺れる柳のようなほっそりした後輩で、映画に詳しく、才能もあった。
「いつか、フィルムって無くなるんですよね。だったら、おれ、最後のフィルムを手に入れて、それで映画が作りたいんすよね」
また、同級生に恐ろしく才能のある男がいて、こんな8ミリ映画を撮った。とある夢の中で、おのおの自己を認識してしまった連中が、たがいを殺すという消去法で誰の夢かを判断しようとするんだけど、結局、それは映写機の観ている夢で、かれらはフィルムの中でしか自己を肯定することができない存在だったって話で、最初と最後は、がしゃん、かたかた、かたかた…と、リールに巻きとられてゆくフィルムと、映写機のランプの映像だった。
ぼくたちの大学時代は、ほぼ、フィルムと共にあった。けど、誰もがトトになれるわけじゃない。
さて、この映画の話だ。たしかにトトは、たぐいまれな才能を持った頭の好い少年だったんだろうけど、それだけで、映画の世界に進み、高名な監督にまで上り詰められるわけでもない。そこには、心優しいシチリアの人々がいなくちゃだめなんだ。トトという少年の無限の才能を信じて、将来のために、ときには心を鬼にして、接し、愛し、突き放し、送り出し、祈らないといけない。そんな理解のある、哀しいほどに優しい人々がいるからこそ、トトは成功できた。
同時に、自分の才能が枯渇しかけ、ひどいスランプに落ち込んだ今、廃棄フィルムをつなぎあわせたキス・シーンの嵐を観たとき、まるで自分が祝福され、かつ励まされている心優しさに触れ、また人生をやりなおせる気になっていったのかもしれない。
ともあれ、トトは、たぐいまれなほど幸運な少年だった。この映画に多くの観客が感動の涙を流すのは、そうした底なしの心優しさに出会うからだけど、人間、心優しく生きていこうとしても、なかなか、そうはできないんだよね。
ところで、フィリップ・ノワレがとある兵士の話をする。好きになった王女の窓の下で百日待てるかといわれ待ち、やがて99日目にいきなり去る。なぜかは知らない、わかったら教えてくれと、恋をしたトトに言う。小野小町じゃん、とおもったが、あっちは99日目に死ぬか。ま、日本にもイタリアにも似たような話があるんだなとおもったわ。で、このトトの100日後はどうなのかって話なんだけど、このあたりの挿話は予定調和だね。でもその兵士の行動の意味は語られない。観客が考えろってことなんだよな~。