◇新選組始末記(1963年 日本)
市川雷蔵の新撰組物となれば、これはもう沖田総司かとおもえば、あにはからんや、山崎蒸だった。
この頃では「蒸」という漢字は「丞」が正しかったというのが定説で、漢字の読みからしてもそりゃそうだろとおもってたんだけど、この映画が撮られたときはまだ「蒸」だった。
それはともかく、どうも雷蔵と印象が合わなくて苦労した。
そのあたり、三隅研次はどうおもってたんだろう?
若山富三郎の近藤勇はなんだかお人好しな感じがして、もうすこし激越な感じがあってもいいんだろうけど、いつもこういう雰囲気の近藤像だ。
それは土方歳三についてもそうで、怜悧かつ非情なムードを漂わせてなくちゃいけない。
で、大映とくれば、これはもう非情のライセンス男、天知茂しかいないんだけど、ぼくはどうしても栗塚旭命な人間なんで、誰がどれだけ上手に演じようと認められない。
でもって、松本錦四郎が沖田総司なんだが、これが雷蔵とかぶっちゃうんだよね~。
まあ、池田屋事件だし、子母沢寛の原作もあるしで、これはもうどうしようもなかったんだろうし、これはこれでうまくまとまった筋立てになってたりするんで、ま、仕方ないかなと。
ただ、この頃、ぼくは池田屋事件に興味があって、ちょうど150年前の祇園祭の夜だったりして、今年は大船鉾も150年ぶりに復活したりするものだから、ここらで池田屋事件の真実を見つめなくちゃいけないとも、こころひそかにおもってたりするのだ。
真実はなにかって?
ここでは書けないな~笑