Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング426. 小説:小樽の翆355. 春眠暁を覚えず

2021年04月08日 | Sensual novel

 

 やはりセックスは屋外ですると野生の感覚が蘇りそうだ。

昔は、こうするほかなかった。そこには猥雑さもないし、ただただ生物としての営みを感じるぐらいだ。人間は、一体いつから猥雑な気分を持ち込んだのか。多分都市が成立してからだろう。なんでといわれてもわからない。

それが男と女の駆け引きという、実に面倒くさいことをつくりだした。

なにしろ女の子を口説くところから始めなければならない。それも一発やりたいなんて正直に言おうモノなら肘鉄でも食らわされそうだ。

それって正直な気持ちを伝えたのに、それじゃアカンわけだ。

そうすると愛だの恋だのと、嘘八百の美辞麗句をならべて、祭り上げなきゃいけない。

そもそも、つきあって間もないカップルに愛だの恋だのが芽生えるというのは自然の世界ではありえない。長く一緒に暮らせば、次第に愛情もわくというのが人間だから、つきあい始めは、もう暴発しそうだから、愛してますだの、恋してますのだのと最初から嘘八百をならべて、虚構の世界を繰り広げるという実に面倒なことを人間は考え出した。

そんなカップルがゴールインしても、最初から虚構の世界で始めたのだから、長く暮らしても愛だの恋だのとは無関係な世界だ。それが男の女の関係によって納得するという実にインチキくさい世界を日本はつくりあげた。

どうも恋愛映画が、恋した頂点の高まりにセックスがあるという、とんでもない勘違いを社会的に引き起こしてしまったのだ。もちろんそれは世界の現実とは真逆の話だ。

出逢い、ああ、この女抱きたいなとアピールがあって、それからセックス、それが長く続けば愛だの恋だのが始まるのが男と女の関わり方の順序でしょう。そうした順序を虚構の世界である映画や小説は入れ替えてしまったのだ。入れ替えなきゃストーリーにならないからね。

そういう点では、日本の村社会は健全だったなあー。だって混浴なんかがあたりまえだったから、男も女も全てが了解済みの世界だったじゃないか。そんなフランクな男と女の関係は、どこへいったのだろうか・・・。

・・・

翆「アチキー・・・。寝ぼけて何ぶつぶついってんのーーー」

「うぁーーん、寝言だしたか・・・」

少なくとも翆とはセックスでつながり、その後一緒に暮らして、いとおしい女だと愛しているから昔のように健全な関係なんだ。

男と女の出逢いは、セックスが最初!。しなきゃその先の事はわからんよ。それから恋愛に発展してゆくわけだ。

翆「春眠暁を覚えずだねーーー、まだ寝てていいよ、これから仕事にゆくからね」

そういって翆は、病院へ出かけた。今日は日勤だったか・・・。

そしてまた二度寝してしまった。

二度寝って心地いいんだ・・・。

・・・・

最近小樽も新型肺炎の感染者がゼロだし、明るい陽射しが窓辺を照らしている。もう冬は終わっている。

コメント
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