Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編307. 雪の街

2018年02月13日 | field work

 日曜日の夕方から博多へ出かけていた。

 夜、宿を出がけに予報通り雪が降り出した。薬院から歩いて行ける天神界隈の裏通りの静かな居酒屋で熱燗に地場の魚で酒席であった。帰る頃には大いに雪が降り数センチほど積もっていた。夜の裏道は雪が積もり街が大変綺麗だ。

 月曜日の帰りの新幹線内のニュースでは、北陸線の列車がすべて終日運休、新聞では北陸道も積雪で通行止めと報じていた。山形県で4mの積雪を報じる位の豪雪なのだが、京都市内は雪が全く降らず、ただただ寒い日々が続いている。だから豪雪がにわかに信じがたく、そんなときに雪景色が見たいと思うのだから、こちらの意識も勝手なものだが、ただひたすらに寒いだけではかなわないという理由で、帰れる範囲内でほどほどに雪見。まさに博多の街はほどほどに雪が降り続いてくれた。

 月曜日は、九州国立博物館の王羲之の企画展にでかけ、終日雪が舞ってくれた。積もるほどではないが雪景色の太宰府は少し印象的だ。さすがに寒い中を歩いたので身体は冷え切り、二日市温泉の博多湯で暖まり京都に戻ってきた。

 雪が舞った博多の街歩きで不思議と頭がリフレッシュした。雪の街への旅効果ってあると思う。

 

福岡市天神

iPhone7S,ISO100,f/1.8,1/12

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EOSな日148. 中国は一つではない

2018年02月12日 | field work

 麗江は、世界文化遺産の街だから旧市街だが、かって雲南省の地震で倒れた建築も中国政府が一気に復興させた。それは我が国の役人達がチマチマとやる仕事の遅さに比べれば格段に早い。その旧市街地をあるくと、東京の竹下通りみたいな空気が漂うのはなぜだろうか。所詮ここは観光地なのだからというあきらめの気分で徘徊していた。

 観光地だから、見世物的な施設があり、ああっ、ここはナシ族の施設か。庭ではナシ族の衣装をきた叔母ハン達が踊っているし、なにやら民族音楽を紹介しているコーナーもあるのか。どうせ観光地なのだから撮るものはないという先入観念で歩いていた。

 民族音楽を紹介するコーナーに楽団がおり、まあ10元(1,300円)もあげておけばよいかと正面の箱に投げ込んだら、前にいた笛吹きが眼を白黒させて一気に音程が高くなり始めた。そんな楽団員を眺め回して驚いた。みんな年寄りが多いのだが個性的な顔立ちばかりなのだ。これはすごく面白くすごいと思い直してみていた。観客は私一人だったが、次!、というプレッシャーが聞こえてくるだろう、さて行かねば。

 そんなわけで早々に席をたったのだが、これも撮りそびれた風景である。それもでるときに雑に撮ったからphotoshopで修正しても限度がある。当然画像の写りは悪いし、楽団員の個性も撮れていない。そうした個性的な楽団員を一人ずつ撮っておけばよかったと後悔している風景だ。観光地だからという先入観念が邪魔をしたのだろう。

 私達が歩いたところは漢民族が支配する中国とは異なり、少数民族の土地であった。決して経済的には豊かではないこの土地を歩き、貧しいという空気は感じられなかった。それよりも人間が大変個性的なのである。もう一つの中国といってもよいだろう。中国は一つではないのである。

 さて昨日の平昌オリンピックでは、最大の関心であるアルペン滑降が天気が悪く延期となり、しょうがないから女子シングルショートプログラムをみていた。

 日本からは宮原知子が登場しているプログラムだけど、宮原は完璧な演技だったとアナウンサーは報じていた。うん!、オリンピックにでくるぐらいだからみんな完璧な演技をしてくるのはあたり前なのだけどと私は思った。宮原の演技をみていて、完璧な演技をしましたという堅苦しさがあるんだよね。それに音楽の中の祭りのメロディーが古くさい。30年前なら日本の独自性があったけど、いまはインパクトがない。

 そのあたりは審査員がよくみている。やはりなんといっても誰でもが知っている一般性のある音楽で優雅に舞ったロシアのE.メドヴェージョワが優勝候補。こりゃ主役はメドヴェージョワにさらわれたな。

 

中国雲南省麗江1999年9月

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

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EOSな日147. 山紫水明の高原の街

2018年02月11日 | field work

 大理の大きな公園の緑陰に年寄り達が100人以上集まり手作業をしている。それはペー族(白族)の正装をつくっているところだ。なるほどこうして民族衣装の技術が伝承されて行くのだろうと眺めていた。こうした仕組みがある限り、ペー族の正装が継承されて行くのだろう。

 もしあなたが、どこかの留学先でペー族の女の子と意気投合し(大理の女の子は社交的だと思うけど)、そして口説きおとし、そして彼女がこの民族衣装を着て現れたら(つまり正装で)、それはもう彼女としては最大の意思を伝えていると思ったほうがよいのだろうと考えていた。ましておばあちゃんがつくってくれたのと言われたら、あとには引けないですよねぇー。おおっ、こわ!、そんな想像をしながら、年寄り達の作業場の脇を通り過ぎた。

 WEBの記事で大理は日本人バックパッカーの沈没地という記事を読んだことがある。だからこの土地に住み着く日本人がいるとか、それ本当だろうか。確かに山紫水明の土地で、ペー族の若い女子は日本人のようでもあり、容易になじみやすいのだろう。こちらは沈没に遭遇する前に、沙坪(シャーピン)の市場へ出かけたが、地球の歩き方に記載された曜日には行われていなかった。多分大きな市場だったのだが残念。多分曜日が違うのだろう。

 大理は、それまでの中国のドロドロとした漢民族の風土から抜け出した山紫水明の高原の街だった。そこへおばあちゃんが手作りで刺繍をした正装でエキゾチックな若い女の子が登場し沈没させられる、どこか桃源郷のような話でもある。

 それは置いといて平昌オリンピックの開会式をみていたのだが、どうも毎回国は違えどいつも企画が同じで退屈なのである。国の歴史に始まり、世界の友好だとか交流だとかを賛辞しつつマスゲームで盛り上げ、ハイテクノロジーを駆使して演出するというおきまりのステレオタイプ化したワンパターンだ。次の2020東京オリンピックでは、もう少し画期的で新しい開会式を期待したいけど・・・。

 

中国雲南省大理,1999年8月

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

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EOSな日146. ペー族(白族)の衣装

2018年02月10日 | field work

 画像は、大理・周城に棲むはペー族(白族)の衣装である。大変綺麗で印象的な衣装であり、それ自体が中国を抜け出して日本の中華料理店のウェイトレスの衣装にもなったりもしている。それに刺繍が施されているのだから随分手間のかかった衣装だ。

 この衣装は正装であるから、これ以上の衣装はペー族には存在しない。大理の街自体が中国の観光地であり新婚旅行のメッカなので、常に正装でビジターをもてなすという心遣いがあるのだろうか、街の中でもしばしばみかけるし日常着のように彼女たちの正装の姿をみることができる。

 そういえば、ヨーロッパでも正装でカフェやレストランのウェイターがいたことを思い出していた。つまり正装でビジターをおもてなしするという、彼らなりの心遣いなのだろう。

 といって日本の和食料理のレストランなどで和服でウェイターがもてなすという風景は時々ある。時には精々作務衣という場合もある。作務衣はお坊さんの作業服である。当然お坊さんには正装がある。正装はやはりハレやケなどの催事の時に着るものだという習慣があるからだろう。日常では、そんな様式にこだわることなくファッションとして扱われている。それに和服は日本独特の形式かもしれないが、まあ着るのが面倒で動きにくいのだろう。

 京都だから、舞子・芸子さん達は当然和服である。それも西陣や友禅の綺麗で上品な文様の和服である。最近コスプレ屋が繁盛しており、当然中国人観光客がこぞって和服で京都の街を徘徊している。だかよくみると着物の大半は、インクジェットプリンターによって文様や柄が印刷されている。だから舞子さんたちの上品な和服姿と見比べると、やはり見劣りがする。それはどこかポスター的な感覚なのよね。つまりスマホの写真写りはいいけどさ・・・。

 正装で仕事をする、そんな感覚を日本人は忘れちゃったかもな。せいぜいこちらはユニクロだよ。

 さて最近の習慣として、朝起きるとまず最初に一保堂のほうじ茶を入れる。それで身体を温めるというよりも水分補給だ。そして3回ぐらいお湯を継ぎ足す。というのも冬は湿度が低いので身体の水分がたりないのではないかと思われる。水分補給は夏ばかりではない。

 珈琲は身体を冷やす効果と利尿作用があったはずだ。だから南米などの暑い国の飲み物であり、冬の日本の朝にはそぐわない。冬の寒いときはやはりお茶系になる。ロシアンティーというのはあるけど、ロシアン珈琲というのはないと思ったけど。

 そんなお茶を飲みつつ、平昌オリンピックをみようというわけだ。先ずはアルペンに注目。そこに撮される環境をたのしみたい。

 

中国雲南省大理・周城1999年8月

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

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EOSな日145. 少数民族の葬儀

2018年02月09日 | field work

 大理の農道を歩いていてみつけた葬儀に向かう少数民族の農民達の風景。

 悲しみに沈む農民達の列の前を、お供えを持って行くお手伝いの人たちの列だろう。子供達は屈託がなく元気な顔だ。きっと今日はご馳走がいただけるのかもしれない。子供達は未来の星だ。だから葬儀という場違いな場所でも笑顔が絶えない。それでよいのである。子供達まで陰々滅々としていたのでは、こちらの気分がさらにめげそうだ。

 私達は一歩下がって道をあけ葬儀の列を見送った。そのままついていけば少数民族の葬儀がみられた貴重な機会だったかもしれないが故人に礼を配しその場を離れた。

 少数民族の民族的なしきたりがわからないのだが、本当は撮っちゃいけないのかもしれない。

 というのも2007年11月6日のブログでは、顔を隠そうとしている農民達の姿をいち早くEOSが撮影していた。撮影は、みたら即迷わずに撮っておくという習慣が身についていたのかもしれない。フィールドサーベイをしている私達は、民族によっては悪しき来訪者とおもわれるときもある。

 だからしゃかりきに何でも撮ればよいというものではない。それは撮影マナー以前の人間に対するプリンシプルな意識があるかどうかといった、こちらの意識のありかが問われているのだろう。しゃかりきに撮り続ける意識のなかで時には引き下がる、現場で咄嗟にそういう臨機応変な判断ができる意識を持ち続けたいと思っている。

 さて北陸の豪雪騒ぎも収束しつつあるようだ。確かに米原から先は雪だということは予想できるが、京都市内は雪など皆無。たまには雪の恩恵にあずかりたいが、湿度と温度が低く、インフルエンザウィルスでも飛んでいそうで、つまり空気がまずい。週末は列車も動きそうなので雪の金沢あたりでフレッシュエアを吸いたいと思うが、さてどうしたものか。

 

中国雲南省大理・周城,1999年8月

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

 

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EOSな日144. 取捨選択の世界

2018年02月08日 | field work

 撮影機材のシャッターを押して、その音や感触に陶酔している人がいる。たしかにライツなどは心許なくボシュという感じだし、EOSは甲高い金属的な音や感触である。だがシャッターの感触云々というのは、あまり撮影しない人の話だ。

 フィールドに出向けば、大半は移動中、僅かの時間で数多くのシャッターを押していると、その音や感触に嫌気がさしてくるし、それ以前に撮影する意識的な行為そのものに飽きてくる。それでも撮影するというのは、まあ拷問かな。

 皮肉なことにそんな瞬間に魅力的な被写体が現れたりする。

 この日も大理周辺の集落を徘徊していた昼頃、突然正面の小学校から大量の小学生達の大きな歓声が聞こえ、走ってこちらに向かってくるではないか。そうお昼を食べに家へ帰るのである。そのとき私は気が抜けている状態だったので、その光景に見とれていた。当然撮影していれば、古民家の集落の道の正面に見える古い小学校から飛び出してくる、ものすごく元気な中国の小学生達のよいカットが撮れたのだが、こちらは建築と集落が主なのでという意識が撮ろうとする意欲を鈍らせた。

 そんな小学生達の姿には、もうタップリ勉強したという充実感と賢そうな顔をみて、この国はこの先もっと発展してゆくだろうという予感を感じたのである。他方で日本の小学生のモサッとした顔を思い出していた。やがて日本は中国に抜かされるんだろうなとそのときに感じたのである。そして現在は、GDPでみれば日本は中国に抜かされている。だからある国に投資しようとすれば、小学校へゆくとよいというのが、私の持論になった。

 ようやく我に返り、露天にたむろする小学生を捉えたわけだが、よいカットはのがしたな。

 撮影することが楽しいなんていうのは、撮影機会が少ないからいえる話である。

 次から次へと集落を回り、何を撮せばよいかと頭をフル回転させ、アングルを探し、などということを1日に何百回もして、それを10日間続けていると先ず頭が疲れてしまう。それにEOSのシャッター音は何百回も聞かされてくるとものすごく飽きる音質なんだよね。

 だから時折意識が抜けたように頭を休めているわけだし、そういうときに限って被写体は現れ、そして撮りそびれる。そんなときに、露出補正だのシャッター速度の選択だのは、いちいちやってられない。だからオート設定で機械的にシャッターを押すだけ。日本に帰ってphotoshopで補正すればいいじゃんというのがフィールドワークの撮影スタイルだ。画像は取捨選択の世界だと思っている。

 さて京都は朝晩零下の気温であり防火用のバケツの水も堅く凍っている。しかし青い空ばかりの景色だ。他方で北陸では豪雪で交通機関と物流が止まっていることが新聞で報じられていた。その雪を少しこちらにもにもわけて欲しいのだが、相変わらず山を越した乾燥した空気の晴天が続く。こうなるとインフルエンザの流行りそうな気候だ。やだなぁーと思いつつ、寒いだけの京都暮らしである。今日は久しぶりに早起きした。寝具でも取り替えて洗濯しようかと思わせるぐらいの晴天なのである。

 

中国雲南省大理・周城, 1999年8月

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

 

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EOSな日143. 機材論に脱線

2018年02月07日 | field work

 画像は、武定郊外の市場である。日本から昆明に飛び、翌日未舗装の砂利道を片道3時間以上走るとたどり着き、調度定期市が開催されている日に遭遇したのだった。未舗装の道は、今の日本では経験することも少ないが、タイヤの発する騒音と振動で何時間もゆさぶられるのは、とても快感とは呼べない。だから帰りに舗装路に出てきた時の静寂感にものすごく安らいだ。舗装路のありがたさを身にしみて感じた。

 日本で4輪駆動の車で林道などを走っても距離はたかがしれているから、それだけ日本は舗装路が充実しているわけだが。

 この頃からフィールド撮影機材を、ニコンF4からキャノンEOS3に乗り換えたのだった。なんといっても当時のニコンに比べればEOSはオートフォーカスが俄然早かったし、28-135mm手ぶれ補正付きなどというズームレンズがあったのはキャノンだけだったのである。時間も限られているなかで最大限記録しようと思えば、スピーディーな機材だった。当然レンズ交換なんかしている暇はない。そして大変コンパクトなオリンパスXA4が結構活躍したのである。

 それでも当時のEOS3は、雨に打たれ(防塵防滴構造ではなかった)動作不良となり、ホテルのスタンドの明かりの余熱で乾かして翌日から復帰したこともあった。この点では、ニコンの方が優れていたが、いかんせんこちらはオートフォーカスがとろかった。

 そんなわけでEOS3もポロポロになって大学へ置いてきた。もちろん今でも動くけど誰もつかわんでしょう。今でも巷で結構ボロボロのEOS1Dシリーズを見かける。多分フィールドとか戦場へいったんだろうなと私は見ている。それはEOSが活躍した勲章みたいなモノだ。

 今では、そうしたデジタル版であるEOS1DsMark3+EF28-300mm/F3.5-5.6というシステムとアタチュルク国際空港で調達したNikonAW130の水中カメラの組み合わせになるだろうか。フィールド機材のポイントは、バッテリーが長持ちすること、レンズ交換する必要がないこと、当然風雨に強く丈夫であることなどがあげられる。レンズ交換をしているほどフィールド調査は暇ではない。被写体が突然現れる場合もあるから、撮影機材は車の床にころがしっぱなし(14時間手で抱えるのは疲れるから不可能よ)である。それで騒音と振動の未舗装の道を何時間も走るわけだから丈夫で砂塵に強いことが必須になる。砂塵についてはEOSは湾岸戦争の時砂漠で経験済みである。逆にいらないのはカメラバック(当時のワーゲンサンタナに大人5人乗ればそんなスペースはない)とか三脚だろう。

 だからレンズの歪曲収差だのぬけがよいだのという話は、老人倶楽部の話題。ようはそんなことはどうでもよく、こわれなきゃよいのである。最近EOS5Dなんか随分使われているけど、知らんよあんなきゃしゃなので海外で動作不良になっても。今ではレンズの画質なんかどうでもよくPhotoshopで後補正できるので、先ずは写りゃあいい。

 ようは撮影機材ごときに神経を払っているほどフィールド調査は暇ではない。それがいやなら老人倶楽部御用達の紋切り型の風景がある観光地へ行けば、ということだ。そんな老人達が観光地に行くとよくいるよねぇー、あら機材が動かなくなったなんていって周りの人間達を巻き込んで慌てふためいているのが。そんなときの私のアドバイスは簡単だ。「そんなボロ機材はさっさと捨てて、地元で新しい機材買えよ、ヨーロッパならライカがあるぜ・・・」。

 オリンパスOM-Dのシステムが小さく軽くてよいのだが、海外へ持ち出すときに躊躇するのは、いつもそこなんだ。耐久性が未知数だからだ。

 ありゃ、市場の話を書こうとして機材論に脱線してしまった。

 

中国雲南省武定

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

 

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EOSな日142. 縁

2018年02月06日 | field work

 武定郊外の市場にゆけば、まだ馬車が活躍していた。なんともエコロジーな輸送手段だ。それが20世紀末の中国だった。だから当時はまだまだこんな風景が当たり前のようにあったわけである。それでも周囲の建築がRC化されるなど近代化の波がこの小さな集落にも押し寄せてきていた。だからもうこんな風景はないかもしれない。

 というのも中国人つまり漢民族と少数民族との間には、偏見と差別の社会的問題があり、チベット民族のように憲法や法律や自治が認められていないことがあり経済格差も大きかった。そこで政府は西部大開発をすすめ地域振興をしてゆくわけだ。

 雲南省だけでも少数民族は50種族あり、それらが文化も違うわけだからてとても統一なんて無理筋だと私は思うけど、中国政府のもとに近代化を推し進めるのだろうか。それに少数民族は残っていたとしても、生活様式は随分と変わってくるのではなかろうか。

 さて中央にカメラをさげた中国人は、私達を10日間にわたって案内してくれた広州華南建設院のチー先生である。筑波大学の大学院に留学生としてきていたから、その縁で。人間の縁というのはどんな場合でも大切にしておいた方がよいわけであり、それが大学の財産にもなる。大学に来る留学生は当然若い。だが年月が過ぎれば彼らも社会的な高い地位につくだろう。将来の大学間交流で大きな力となし、さらには旅のパイロットとしての友達にもなるだろう。

 さらにいえば、国の外交交渉で留学生達との友人関係が力を持つ場面も多々ある。だから外交官は、若いときに諸外国の留学生の友達をたくさんつくるのだろう。それが外交官の力にもなってくるわけだ。例え国家が対立していようと、私の友達は友達として交流を続けて行くことが、大学間そして個人コミュニケーションのよいところである。

 だから旅に出たければ、先ずは海外の信頼できる友達をつくれというのが最初の課題だ。友達の力はとても大きいのである。

 話題は変わるが、京都も立春を過ぎると光が明るくなったようでもある。だが風は相変わらず冷たく寒い日が続いている。もちろん天気予報に時折現れる雪マークがみられるが降ったためしがない。今年は雪のないまま春を迎えるのかもしれない。

 

中国雲南省武定郊外

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

 

 

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EOSな日141. 市場本来の姿

2018年02月05日 | field work

 このブログ2007年10月25日〜12月16日の間中国雲南省の建築や集落を紹介しています。そのとき紹介しきれなかった少数民族の姿を、リバーサルフィルムのデュープ画像を用いて少しだけ語ろうと思います。

 この画像は、昆明から車で3時間半のところにある武定郊外の集落で市場が行われていた時に撮影したもの。定期的な市場であり、一番綺麗な格好をして多様な少数民族が市場に集まってくる。そうした人々の表情がいかにも市場を楽しんでいる楽しそうな空気。ああっ、この雑踏こそまさしく市場の活気だと思っていた。

 やはり市場は、生活必需品を調達する場であり、あるいは農産物を交換するといった場でもあり、だから農産物やさまざまな商品が一堂に会するし、情報交換や交流の場でもあり、飲食娯楽の場にもなっているなど多機能であるが故に市場固有の活気も生まれてきます。こうした多機能性こそが市場の本来の姿でしょう。

 だからみるものすべて魅力的だったから、36枚撮りのリバーサルフィルムは10分もすれば撮り終わってしまうぐらいに、2台のフィルム撮影機材(EOS3とオリンパスXA4)でこれでもかというぐらいフルに撮りました。それでも随分撮りそびれたモノがあるぐらいです。これぐらいの被写体だと撮影しようという意欲が大いにわきます。最近のデジタル機材は、そうしたフィルム切れの心配は無くなったけど、被写体の方もなくなってしまったから、撮影機能ももてあまし気味。

 もちろん日本の函館市場や京都の錦市場なども活気はありますが、それらは観光という単機能の市場です。従って特に買い物をするわけでもなく通過して行くだけの物見遊山なビジターが多い。私は、そういうものを撮影したいという気分にはなれません。

 また日本には中央卸売市場がありますが、どこか物流センターのようでもあり業者オンリーですからビジネスライクなんですね。だからここは通例許可がなければ撮影できないし、これも私は特に撮りたいとは思いません。

 そんな中国の市場も、いまもあるかどうかはわからない。市場がなくなってスーパーになってしまう可能性だってある。それに少数民族の文化も世代が変わり、それをを引き継ぐかどうかはわかりません。だからなくなりつつある魅力ある文化や民族を画像にとどめておきたいとするモチベーションがわくのでしょう。そんな被写体に地球の上で遭遇したいけど、既に時遅しかもしれませんね。

 

中国雲南省武定郊外

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

 

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EOSな日140. リアルな風景

2018年02月04日 | field work

 このブログのカテゴリー欄は、住んでいる町、しばしば頻繁に訪れたり仕事で何回も訪れた町、それ以外のところは旅・フィールドとし、そのほかに3DCGや、デッサンなどのドローイングに区分し、任意のカテゴリーをクリックすれば該当するブログだけを抽出してくれる。

 個人的には撮影機材のカテゴリーを開きながら寝酒をのみつつ、どこに旅に出ようかと思うときが結構楽しい時間だ。それに次の旅にはどの機材を持って行こうかとか、新しい機材を調達するかとか、まあ方向違いのことを考えているわけだが・・・。

 機材はよいのだが、その旅というのが難問なのである。例えばアンダーグラウンド劇団天井桟敷を主宰した青森県出身の寺山修司の頃の昭和40年代といえば、そりゃーエスニックな被写体で日本はあふれていた。だが今は青森市も近代的な街並みとなりどこにでもある都市景観が広がる一方で民族的な風景は皆無だ。つまり機材はあっても被写体がないというわけだ。

 そこで海外となるが、地球上のエスニックな被写体も容易にあるのは観光目当ての擬似的な姿が目につく。まあそこで建築ぐらいは容易につぶさないからまだ残っているかとおもいきや、古民家の間にコンクリート造の建築が新しく建ってしまったりと珍奇な光景が多くなった。次第に意欲が失せてゆくだろう。

 伝統的建造物群保存地区とか世界文化遺産などに指定されたときから、それまでの人間の生活がスポッと抜けて、箱だけの建築群がのこるというリアリティを欠いた嘘くさい風景が多くなってくる。それが今の世界なのだろう。だから今の地球上は嘘風景ばかりだといいたくなる。

 ではどのような風景がリアルなのかの一例を示したのが今日の画像。ここは観光地ではなく後ろの農産物をいれた籠やまちまちの履き物をみればわかるように、れっきとした中国雲南省の少数民族の姿であり、この街の周辺に居住している農民達の姿だ。これが私がいうところのリアルな風景である。だが背後の建築が新しい。私達が最後の訪問者だったりするかもしれない。

 というのも今の近代化が急速に進んでいる中国でこのようなリアルな農村の風景は、もうみられないかもしれない。もちろん観光用コスチュームで同じ衣装をきた展示はあるが、そんなのを私が撮影する気分ではない。

 時代は動いているのだから、そんな昔の風景を追いかけてもしょうがないよと言われそうだ。私達は海外の山の中でアメリカ製のGパンをはいた地元民に出会うことになるのだろうか。

 だから海の中の世界を撮るわけだけど・・・。

 

中国雲南省大理-麗江の途中の町,1999年8月

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクローム2

 

 

 

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ドローイング158. 重たい機材をかつぐ老人達のように・・・

2018年02月03日 | drawing

 既に廃刊になった雑誌にカメラ毎日があった。高校の頃、立木義浩さんや森山大道さんをはじめとするフォトグラファー達が駆け出しの頃の気力ある刺激的な感性と被写体で誌面は埋め尽くされていた。そんな若い頃の記憶もあり先日ジュンク堂で、まだこんな雑誌があるんだと思ってアサヒカメラ2月号を買って夜更けに読んでいた。

 カメラ雑誌だから読者の画像投稿欄がある。カラープリントのセクションで20人の入選作品が掲載され、年齢が書いてあったから自然に指が動いたのだが、年齢を表記したのが15人、その平均年齢が67歳、過半の70歳代が8人もいて最高齢は79歳だったという数字に、間違ったゴメン、アート系の雑誌と勘違いして老人倶楽部の雑誌を買っちゃったよと思った。

 それにしても79歳でニコンD500とか、EOS5Dだとか、随分重たい撮影機材を使用している。年寄りの冷や水とからかいたくなるが不思議な現象だ。というのも重たければiPhoneにするとか方法はあるだろうに。えてして年寄りが身を寄せる世界というのは、いずれなくなる世界なのだろう。つまり重たい撮影機材も雑誌も・・・。

 この雑誌は特集記事が鉄道と風景となっており、1日に数本も来ない列車を終日待ち続けるなんて鉄道フォトグラファー達は随分辛抱強いと思われた。

 鉄道写真といえばその第一人者の一人広田尚敬さんの激しく動く流し撮りの蒸気機関車の画像がつとに有名だが、もう一人あげるとすれば堀越康夫さんの「石北本線生田原その1〜6」と題する一連の画像がWEBにアップされている。終日生田原駅をポジションに撮影した氷点下25°の雪の常紋峠をゆきかう蒸気機関車の画像だ。峠を越すために補機を後ろに付けるという作業が淡々と行われてゆく。そのなかで生田原駅から乗る朝の乗客が結構おり、それは人口が全国に分散していた時代の活気ある町の姿を写し撮ったものである。今、生田原も無人駅となり、Google mapでみても地場産業の林業も振るっていないのだろうか、閑散としかっての鉄道ヤードの姿は皆無だ。

 堀越さんの画像をみるにつけ、かっては地方もこんなに元気だったのに今は無人駅という現象をみていると、戦後日本の人口構造が地方から都市へと集中してきたことによって、それまで全国的に人口が平準化していた国土が大いに偏ってきた大きな変化を示している。人が流れても町は残っている。それもものすごく活気がない寂れた状態で。いずれは町も捨てられてゆくのだろうか。

 先日の人口動態調査結果では、東京への一極集中がさらに進んだことが発表されていた。それだけ地方の過疎化は加速し、今では地方都市の人口が減少している。それは地域活性化に励む努力も空しく陽落ちる国なのか?。今の日本に、未来が感じられなくなって随分時間が過ぎた。

 ジュンク堂で建築関係の書庫が1列減っていた。1列と言うことは11連の本棚が2列分である。幸い私の本は置いてあったが、もはや建築自体も生命力がなくなりつつあるのか?。先の重たい機材をかつぐ老人達のように・・・。

 

堀越康夫 蒸気機関車がいた時代

http://locomotivesteam.web.fc2.com/index.htm

 

クロッキー帳NO33.2017.05.24

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ドローイング157. 言葉の海を渡る舟

2018年02月02日 | drawing

 1月30日の夜、映画版「舟を編む」2013年、のビデオを2回みてしまった。広辞苑などの大きな国語辞書の編集を骨格としたストーリーだった。もちろんキャストがいいよなという映画の話もあるが、辞書づくり10年という話はアカデミックの人間なら誰でも知っているから余計に興味深かった。

 だから辞書は大切にしており、私もこれまでに本棚2連ぐらいの辞書はあったし、そのうちの半分は大学を退職するときに図書館に寄贈したが、いまでも主流な辞書は手元にある。一番大きいのは小学館:日本国語大辞典(縮小版)全10巻だろう。これって一体編集に何年かかったのだろう。現在はこれを簡略ベースとしてデジタル版も出されている。

 デジタル版で大変便利だったのが小学館:ランダムハウス英和大辞典であった。それは検索機能や例文がついており、また容易に検索できる類義語が表示された。これは図書版にはない使いやすさだったし、私の仕事であるコンセプトをつくるときには大いに力を発揮した。いまそれはgooの辞書にもなっているが、例文や類義語検索がない上に、広告が鬱陶しいので、アカデミストやコンセプトクリエイターにとっては使えない。だからこのデジタル版がなくなったときからコンセプトワークが停滞した。もう一度デジタル版、それもWEBダウンロードで欲しいのだが、そんなビジネスはしていないようだ。小学館も人類の知見を安くgooに売り飛ばしてくれた。

 私の仕事であるコンセプトワークは、ある種精神的な孕み(はらみ)なのである。そうした頭の中に隠れている知の孕みが表へ言葉として表れるから、それをコンセプトとしているわけだ。そういうことはランダムハウスデジタル版では容易にでてくるのだが、WEB辞書のweblioでは即物的な意味しかない。そこでconceptionを開くとようやく該当する意味が登場し妊娠、受胎と説明されている。それはまことに体系的画面構成なのだが、そんなのはconceptの画面で関係性を一覧したいのだがWEB辞書は面倒なのよね。

 それにしてもこんな広告の多い煩わしい辞書画面で高校生は勉強しているのか。同一画面にTOYOTA AQUAアップグレードなんていう広告の隣で。ならコンドームと入れたら製造企業の広告がでるのか。やったけどでなかった。まあ高校生達は、そうした攪乱要因ばかりの画面の中で興味ある広告が混ざっても無視して勉強に集中できる能力があるんだろうな。そりゃ新人類だわ。

 でつ、確かに辞書は、大きな言葉の海を渡る舟なんだということを再認識させられたわけです。あの指に吸い付く紙の感覚は捨てがたいものがある。

 映画の話になるけど、もちろんキャスティングがとてもよかったけど、細心な神経の地味な編集者と奥さんが気っぷのよい板前さんという性格の対照的なカップルの組み合わせっていいなと思っていた。事務系サラリーマン同士のカップルなんて実に事務的世界ばかりでつまらん組み合わせだと思っていたからなのだけど。もし一人もんですと相談されたら、将来自立できる板前さん見習いの彼女がお勧め!、って絶対いっちゃうけどな・・・。

追記:京都の2月4日の天気予報は、雪から曇りのち晴れに変わってしまいました。そのかわり今日が雪予報(都心は風花程度かな?)とか。寒いですが相変わらず雪の降らない京都です。

 

クロッキー帳NO33.2017/06/21

 

 

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Nikon Freak146.  京都節分のモデルコース

2018年02月01日 | Kyoto city

 今年は、2月3日の節分が土曜日にあたるから、東京を朝の新幹線で立てば節分行事がみられる。このブログでも随分前にモデルコースを書いた。節分行事は夏の祇園祭に匹敵する。というのも市内の多くの寺で節分行事をするので1日で回りきれないほど各社寺で盛大に行われているからだ。そこで市内の交通の足が混むことを加味し、私なりのモデルコースを再度アップしておこう。

 

(京都駅前から市バス205系統か4系統で約40分,下鴨神社前下車)

 ■午前10時〜,下鴨神社節分祭

節分の行事の多くは午後なので、午前中からみられる数少ない神社。世界遺産の糺すの杜からスタートするのがよかろう。何しろお祭り好きの神社だから午後までやっているのだが、適宜パスして次に行こう。

 

(出町柳駅から京阪電車が便利)

早起きが苦手なら、ここから・・・

午後1時〜,八坂神社節分祭,祇園甲部豆まき

節分だから豆まきをみたい、それも京都だから舞妓さんがええというなら、ここだろう。市内の節分祭でも舞妓さんは結構登場するが、やはり地元の神社だけあって、豆まきの後で舞妓さんの舞も奉納される。その後の海南島云々の劇はパスね。

 

(バスなら四条河原町から、あとはタクシー)

午後3時〜4時,節分会・追儺式鬼法楽,廬山寺

節分行事だから鬼がみたいというのであれば、やはりここを京都人はお勧めする。狭い境内は人であふれかえっているだろう。みえるかなとおもう。八坂神社を早々に引き上げて、たいした距離ではないのでタクシーでこよう。場所は京都御所の東側、市内の運転者さんはみんな知っているから「ロザンジ」といえばわかる。



(直で壬生寺へゆくバスはないので四条河原町などで乗り換え)
午後5時〜5時30分,壬生寺壬生狂言
昨日のブログ画像の狂言が無料でみられる。1時間毎に入れ替え制でやっているので、列に並んで5時頃のに入ればよいだろう。境内は露天が立ち並んでいる。ここで炮烙(ほうらく:素焼きの皿)を購入し家族の名前や祈願文など書いて預けておくと、5月の炮烙割のときに狂言者が盛大に割ってくれる。それで大願成就するというわけだ。


(吉田神社行きの臨時バスなど)
夕飯やチェックイン
 このあたりで夕飯だろうか。壬生寺は四条大宮なのでこれといった店は少ないが、駅の近くの横町にあるモリタ屋ですき焼きかしゃぶしゃぶで冷えた身体をあたためるのかな。あるいは王将の1号店(笑)。壬生寺から吉田神社にゆく臨時バスが節分の時だけ運行される。市内を縦断するのでこのバスは便利だ。時間は「京都市バス 節分 臨時」のキーワードでWEBを参考にされたい。他方吉田神社あたりのレストランだと隣が京都大学なので、それなりの店は探せばあるだろう。それにホテルにチェックインしておくのもこの時間帯だろう。あるいはここでお終いにすれば東京まで戻れます(市バス206系統京都駅行)。


午後11時,吉田神社・火炉際
吉田神社は麓から山の上まで露天が盛大に連なっていて人出も多く賑やかなところだ。火炉祭は、境内の大変大きな籠に入れた山のようなお札を燃やす行事である。大きな火が立ち上がり暖をとれる。近年の傾向なのだが注意したいのは境内が一方通行なので、そのまま歩いて行くと火炉祭の始まる前に追い出されてしまう。だから午後10時半以降にゆくのがよかろう。火は一晩中燃えているから。
(帰路はタクシーが吉田神社正面出口に並んでいます)
 節分行事は、そのほかにも市内の社寺で数多く行われている。京都観光NAVIのWEBサイトに節分行事の一覧リストがある。まあ各自で適宜組みあせてみるのもよかろう。市内の道路はそこそこ混むので足の時間も考慮して・・・。

催事情報は京都観光NAVI
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/eventdetail.php?event_tab=tradition&eventid=180203100&year=2018&month=2&date=

ちなみに2月4日日曜日は催事はゼロです。サッサと帰るか、あるいは今日の天気予報では雪なのだけど・・・。


吉田神社節分祭

NikonF4.AF Nikkor70-200mm/F2.8,PROVIA400

 

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