更なる観光ボランティア活動の向上を目指して、40分ぐらい、係長と担当の方とお話をする機会をとっていただきました。活動を始め、1年経過したが、私の思うPDCAを軸に、楽しく、評価される活動をしたいと思っている。ちょうど1年前に提案した内容をまた、お話しました。市としては、ガイドの考えで取り組んだらよいとの姿勢を崩さない。公的な人はチャレンジすることが苦手なのか?今ひとつ、刺激的な活動に取り組む話は出てこない。残念であるが、その顔を見せずに、我が町の多々羅プロジェクトに取り組む木津川町の方を紹介してくれるという事に、期待をしたい。内容は知らないが、新たなやる気のある若者に出会うかもしれない。
かぐや姫について調べだしている。
1.目的 観光ボランティアガイドの新規ウォーキング&ガイドコースの開拓
2.完成 2011年秋
3.場所 山本駅、山本集落と鶴沢の池、商店街、佐牙神社、山崎神社、飯岡トヅカ古墳、大住隼人、甘南備山
4.挑戦 新たなメンバーによる新鮮味あるストーリーつくり、明るさ、楽しい、元気、そして、「街つくりにつなげていくこと」、講演会の実施
京都eラーニング塾の「かぐや姫は京田辺の里」を再度、見てみる。非常によく調べ、まとめている。パワーポイント資料がよくできている。10年前も、郷土史会が中心に、随分盛り上がりを見せたようだが、それ以降沈んでしまう。何かが不足していたのだ。市への働きかけ、複数の団体との共同推進である。これから色々なアイディアを出していきたい。
「京都eラーニング塾のスクリーング案内」のブログを見られ、当日参加されるリリーさんからメッセージをいただきました。こちらこそ、こういう言葉に励まされ大変嬉しく思います。このような小さな素直なコミュニケーションこそ、今の社会生活の中で、忘れられたこころ温まるものです。小さな親切を、大きくさせていきたいものです。ありがとうございます。
京田辺市は、かぐや姫の里、ということで、十年ぐらい前に盛りあがった時があります。でも、その後、そのような話はいつも間にやら、フェイドアウトしてしまったようです。
際だったものがない市を全国に知らしめすのには、絶好のチャンス、非常に良いテーマであったと思いますが、・・・。
そこで、ボランティアガイドとして、かぐや姫を今一度、紐解き、関心が持たれるまとめを行い、市の活性化に役立てたいと思っています。
まずは、素直に、該当資料を読みだしました。
つぶやき・・・京田辺市のPR不足は、他を学び、改革しないといけませんです。
5/16(月) 「継体天皇eラーニングスクーリング」(5/21(土) 10時~15時)の下見にガイド連中と行ってきました。曇り空で、少し暑いなかでの12km(ドアツードア)は、顔はほてり、足腰にこたえました。
10:11 新田辺駅 ~
10:37 一休寺道と府道山手幹線交差点 2187 歩
10:55 花見山公園 1249 歩
11:30 中央公民館 902 歩 田辺中央公園 昼食
12:36 酒屋神社 867歩
13:05 筒城宮跡 (同志社大学校内) 1262 歩
13:34 下司古墳 1160 歩
14:06 観音寺 1387 歩
多々羅、都谷
15:58 山本駅 4677 歩 合計 13691 歩
多々羅、越前について、説明させていただきました。
たたらは、砂鉄と木炭を交互に入れて、還元作用で鉄を取り出す製造技術。
6C後半に伝わる。
こしまえが筒城宮の候補地といわれるのは、近辺にある南山城跡が、浅井光政の住居では
あるが、住む前からあったといわれ、それがみやこの跡といわれている。
多々羅(たたら)の響きがこころを癒してくれる。
弥生時代のころに、朝鮮の渡来人、百済がやってきた。というよりも、弱小国の百済は、高句離や新羅に追われ、倭国に来たのではないか。
その時に大陸の生活文化を二つもたらし、この地域の発展に大きな影響を及ぼす。
一つは、蚕。中国から朝鮮半島に渡り、西暦100年前後に、日本に伝わった。その最初の養蚕地が、多々羅という。「日本最初外国蚕飼育旧跡」が府道65号線沿いに建っている。仁徳天皇のお后の磐之姫が天皇の浮気の為に、多々羅に来て、死ぬまで帰らなかった。歌人でもある、磐之姫が三度も姿を変遷する蚕を不可思議な気持ちでうたっている。蚕繭から、生糸、絹織物となり、需要が高まると同時に大化の改新以降、税として、絹製品を納めることが見られる。
もうひとつは、鉄の製造法。砂鉄と木炭を交互に炉に入れて溶かし加工するために、必要な高温の熱をつくりだす風を起こし、還元作用で鉄を取り出す。これを「たたら製鉄」という。百済人のにりくむ王が鉄工業を伝えたために、朝廷より、多々良の姓を与えられた。この近くの新宮社には、かつては、この子孫が祖神を祭神として、祀っていた。
継体天皇は百済と、越前時代に盛んに交流があり、その関係で多くの朝鮮人が住む京田辺を都としたのであろう。普賢寺川の水域が今よりも広範囲で水上交通が発達し、都にちなむところが方々に残る普賢寺や多々羅一帯は、筒城宮があったのではないかとまた思ってしまう。
京都eラーニング塾 「京田辺における継体天皇ゆかりの伝承地を訪ねて」
スクーリング の ご案内
5/21(土) 10時 近鉄新田辺駅前 西側に集合
参加者 108名 (5/9 現在の申込み)
【 ウォーキングルート 】
新田辺駅 ==> 一休寺道と府道山手幹線交差点 ==> 花見山公園 ==> 中央公民館
==> 酒屋神社 ==> 筒城宮跡 ==> 下司古墳 ==> 観音寺 ==> 多々羅
==> 日本最初外国蚕飼育旧跡 ==> 三山木・山本駅 (15時頃到着)
【 ガイド案内 】
薪堂の後、堀切古墳、 京田辺市の歴史・地理的背景、筒城宮候補地、酒屋神社、継体天皇、
筒城宮跡、下司古墳、観音寺、多々羅、日本最初養蚕石碑、都谷、越前、三山木・山本駅 等
について、京田辺市観光ボランティアガイドがご案内いたします。
4月から新年度で、新たな取組みを行うべき大筋と役割担当が決まり、本日が第2回目の定例会。
1.「軒下」の勉強会を1時間。次から次へと、聞きなれない言葉が出てくる。いつも思うのは、その価値が自分にとっては、わからないことだ。だから、知識として、増えていかない。出来うるならば、その説明・解説を求め学びたい。写真資料や定義付けをより明確にしないと、やはり記憶として残らない。
2.議題であるeラーニングのスクーリングの担当・下見・本番について決定。案内資料の多々羅については、我が提供の資料をもとに書かれている。その他の秋の行事の方針等も決定。
3.当面の予定も順調に調整決定。
4.報告事項は、幾つかの報告後、JRふれあいハイク、また、始まったベテランの丁寧過ぎる説明・報告。これで、かなりの時間をとる。イライラしてしまう。司会は、適切に仕切らないといけない。
この後も、別途担当別に打ち合わせもあり。3時間を超す、会議には企業時代と同じく閉口だ。時間をかけなければならないテーマもあると思うが、もっと成果ある内容検討を行いたいものだ。
昨年も何回か適切な会議運営について、提案したが、また今年も同じ状態か?同様に、パソコンやインターネット・メールは使うことによる効率化、内容検討のレベルアップを図っていかないといけない。でもメンバーにはそのような事への関心は少なく、従来のやり方で推進しようと考える方がほとんどで残念である。
何とかしたいが・・・。