世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
子供達の問題も
環境問題同様、子どもの発達障害も大人が関係していないかと思う。
私の知っている限りでは、学校現場や医学心理学も原因は棚上げし、対策ばかり論じている。
障害児は増える一方。
地球に異変をもたらした大人が子供の異変を引き起こしても少しもおかしくない。
この問題も大人は「子供達の変化」として捉え、自分達との関係を曖昧にしている。
温暖化同様、人間が引き起こしていると、経験を通して99パーセントで考えている。
ヒトってそうゆう者かもしれないなー。
「環境」か「状況」か
温暖化を始め地球環境に関することは毎日どこかで目にする。今朝方、例の如く考えた。「地球環境」ではなく「地球の状況」ではないだろうか。環境と言うとどこか「我々を取り巻く周囲の様子」の感じだが、現在温暖化始め地球の危機は「周囲」ではなく、我々人間が引き起こしてきた「状況」ではないか。どこか他人事で無責任な感じがする。月から、地球を見ればすぐ分る事で、地上の人間中心の言葉遣いに見える。妻に話すと、うなずきながら「地球にやさしい」の言い方に引っかかっていたと言う。地球と人は一体なのに「優しい」ってあるのかな?と言う。なるほどと思った。私は私で、世界中で寄ってたかって、地球から奪っておきながら、「やさしい」と言う無神経で偽善的なヒトの図々しさが思い浮かんだ。「環境サミット」にしろ、「環境省」にしろ、今は、「環境」が世界の常識。環境問題解決の「産業構造の転換」がモラルでも政治課題としてでも良いから、人々が口にし、動きがでるのはどのぐらい先かな?と考えた。個人がシステムに組み込まれ、社会が機能不全になっていようとも何時までも自分勝手な人間中心の言葉使いは通用するはずがない。
なぜなら、それは人間社会の内側の問題ではなく、地球と人間の間に生じた問題だからである。