無駄使い

このところ、国の予算編成や、役人のお金の使い方などで、「徹底して無駄を省き‥‥」のフレーズが与野党を超え、よく聞く。私等の子供時代から、アメを買ってぺろぺろなめてると親から「無駄使い」「買い食い」と言われたしなめられた。無駄使いを省く事に誰も異論はない。それが「無駄使い」と言う言葉なんだから。ところで、国会や報道されている「無駄使い」はかなり怪しい。まず、無駄かどうかの基準を聞いた事がない。道路特別財源にしろ、役人のタクシー代にしろ、関わる内側のヒトにとっては無駄ではない。その外側のヒトにとって他の物と比較して、無駄だと言うだけである。後期高齢者の医療保険も、内側にいる老人にとっては無駄ではなく、その外にいて、予算をやり繰りする人には無駄であったに違いない。歳出するどの予算も、全体を見なければ優先順位も無駄も必要も割り出せないはずである。家庭ならどこもそれをやる。国はどうか?骨太の方針(予算の枠組み作り)でも、その後のシーリング(各歳出内容の上限設定)も秋以降の予算編成も、全体把握の作業や論議はない。その流れの中で、この秋には消費税や環境税など税の見直しが行われる。そのテーブルに着く前に昨日首相は「消費税」云々」と言われたようだ。手順を飛ばし、正直と言えば正直だが、政界の常識を裏付けた一言だった。

こんな常識の中で「無駄を徹底的に省く。」と言ってもそれほど意味はない。

誰でも通ると思われる「無駄使い」の言葉も、温暖化のせいか、

意味を成さなくなった。

 

 

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ドバイ

アラブ首長国連合は石油資源儲け、首都ドバイは海上に高級マンションのビルを林立させ、あたかもテーマパークのようにして、世界に売り出している。何時までも原油に頼らないという事なのだろうが、景観も含めどこかおかしい。あの辺りの周囲は砂漠だらけ。なぜ、砂漠に水を引き草木を植えないのか?石油で儲けた富豪はなぜ日ごろ暮らす自分の周囲を緑にし、憩わないのか?大金持ちだから、憩うのは、スイスやフランスに出かけホテルや別荘で過ごせばいいのかもしれないが、自分の庭先緑がなく、石がごろごろしていたのでは、疲れるだろうにと思う。しかし、考えて見るとドバイだけではない、この発想はどこもかしこもと言う感じで、現代文明と言えそうだ。あんなにお金があって、周囲を緑にするのは本当に難しいのか?石油は石油タンカーやパイプラインで国境をいくつも超えて運ばれる。技術的には海水の淡水化もそれほど難しくはない。要するに、採算が合わないからやらないだけではないのか。確かに、砂漠を緑化させ、産業を興しても、見返りどころかマイナスの投資かもしれない。マンション経営ならすぐ現金が入る。しかし、これは目の前の収支決算の理屈ではないだろうか。かつて砂漠が緑地だったり、現在、地球上で砂漠化が広がり、地球の危機が進行している時、何故目先のお金を求めるのか?現代文明の裏打ちとなる文化や価値観に因るのだろう。何故、そこから抜け出せないのか?ヒトの欲だと言っても、ヒトには快適に過ごす欲もあるはず。でなければ、観光旅行も、別荘も、玄関先のお花もないはず。資源のない日本とよく言われる。大雨だ洪水だと水は天から降ってくるのだから、水のない国へ送ってあげたらいい。パイプラインでも、石油タンカーの往路でもいい。技術の日本というなら、淡水化の技術でも、井戸堀だっていい。いくらでもあるはず。貧しい砂漠化した国々に、水を送ってもすぐさま見返りはないかもしれないが、災害で失う損害を考えると、損な投資とはいえない。
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低炭素社会革命

二酸化炭素の排出量の削減の対策を政府は低炭素社会革命と名付けた。二酸化炭素の削減は可能でも炭素(C)の削減は可能か?高校で習った化学では、確か元素と元素の化合や、分解は出来ても、元素そのものを変えることはは出来なかったのではなかったろうか?原子力などの事もあるが、炭素を燃やして(酸化させて)炭酸ガスを発生させる化学変化では炭素はなくならないはず。まあ政策のネーミングだからいいと言えばいいが、後につけた革命と言いどこか、怪しげ。

子供達は、社会から炭素を減らすことが出来ると勘違いしないか?  

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