世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
考えてることが逆だ
アキバの事件でも、温暖化や物価暴騰でも、直面している問題に対し、政治やメディアの考えてることが、基本的に逆でないかと思う。
どんな問題も、解決しようと思えば、具体的な案件やケースから学ぶ姿勢を基本として持っていなくては無理だろう。
それはマニュアルもなければ誰も解決策は持っていないからである。問題は固有。
それがないから、対策と言ってやることが反対の結果を生む。
行財政改革、政治改革、経済改革といって何年になるだろう。結局、赤字は増え続け、年金は消え、政治は劣化し、経済格差は広がり貧困が広がる。
教育だって、いじめだ不登校だと問題にしながら、学力テスト等で競争を煽り、子供を塾へ走らせる。不登校や学校不適応児が減るはずがない。
アキバの問題も、ワイドショーで、「受容」を熟知し、安易な解釈が危険である事を知ってるはず専門家が、それをどこかにおいて、平気で解説する。最低、あの事件を視聴者や局へ問い直す(フィードバック)のが仕事ではなかったのか。
他の多く問題も、日本も世界も大方似たような傾向だが、心配しすぎる事はない。
物事には必ず自然の回復力がある。異常・危機・崩壊も見方一つで、学ぶ姿勢さえあれば、解決の謎を一杯秘めている。またその近くには小さいが必ず新しい芽がでてきているものだ。それを探ろうとする感覚も芽生えるものだ。
以前、「私の中の宮崎」と言う本が出版されたと言う、
今回も、どれだけ多くの人が「私の中の加藤」を見ていたかと思う。人々ははそれを見落としているだけ。人間はそこまでバカではない。
メディアは事件には、アリが群がるように土足で踏み込んで「情報」として流すが、そこは節度以ってし、いじめでも何でも何時だってどこにでも転がっているのだから、原因や背景や対策を丹念に探り、丁寧に先見的に報道するのが本来の社会的な役割ではないのだろうか。
行政も政治も、その感覚を取り戻してほしい。
ブッシュ氏もオバマ氏も福田首相も、早くその感覚を取り戻してほしい。
どんな人も、どんな問題も困ったら学べだ。
話を聞く姿勢さえあれば何とかなるものだ。
その一点に尽きる。
( ようやく気が付いたところ。)