世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
日本のこれから(NHK)
今日,NHKが「これからの日本」と題して日本・アメリカ・中国を繋いだ生放送の特別番組を3時間に渡って放送した。地球環境の異変の問題がベースだったので、経済や暮らし、価値観など根本に関わるような話が広範囲に聞け現実に根ざした数少ない良心的なとてもいい番組だった。日本のNHKのスタジオには50人ぐらいのの人だった。学生から会社員、農家、主婦、環境大臣大学教授など多種多様の顔ぶれだった。司会者は低炭素社会を実現するのに、①今までの経済発展が下がっても言い②今までの経済発展を維持しながら のどちら?と、①都市集中の技術社会 ②地方分散の自然社会 のどちら?の2つの問いかけがあった。意外だったのはアメリカや中国と比べ日本の参加者は答えが大方2分されていたことだった。(共感する人たちが半分ぐらいいたので心底ほっとした。)もう一つ、専門でない普通の主婦などの意見の方が大学教授や専門家より的を得ている感じがした。面白かったのは2つ目の質問で大臣が①も②も両方大事だとまとめてことだった。番組は全体としてよかったが、①カ②か?と2者択一・2項対立のような質問形式だから仕方ないが、経済発展や産業構造の話は出たが、産業構造の発展方向まで話が深まれば尚良かった。しかし、もう少し時間があれば必ずでてくると思う。案の定、専門家現実と言いながら、現実離れした話を平気でする頭の固さ。中身的に、直感の働く普通?の人にはかなわないようだった。
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昔々から変わらない
昔から人は、お日様や神仏に、家内安全、五穀豊穣、厄除けなどをお願いした。
昔話の「かさこじぞう」のご褒美はおもちや米俵だったし、かちかち山の狸は背中の薪に火をつけられた。
昔から天変地異や飢饉、疫病から身の安全を恐れ、食べ物やエネルギー確保に精を出したということだろう。
今世界が直面している問題は昔からの話と変わらない。
只、いつの間にか我々が欲張じーさんや欲張りばーさんになり、向こうの話だと、我々が「裸の大様」になっている。
子供の頃はよかったなー。我々は正直じいさんだったし、「大様は裸だ!」と叫んだ子供だった。
今の子供たちも変わらないだろうけどなー?
昔話の「かさこじぞう」のご褒美はおもちや米俵だったし、かちかち山の狸は背中の薪に火をつけられた。
昔から天変地異や飢饉、疫病から身の安全を恐れ、食べ物やエネルギー確保に精を出したということだろう。
今世界が直面している問題は昔からの話と変わらない。
只、いつの間にか我々が欲張じーさんや欲張りばーさんになり、向こうの話だと、我々が「裸の大様」になっている。
子供の頃はよかったなー。我々は正直じいさんだったし、「大様は裸だ!」と叫んだ子供だった。
今の子供たちも変わらないだろうけどなー?
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底抜け
「底抜けに面白い話」「底抜けのバカ」「底抜けに明るい子供」など、昔は馴染みの深い言葉だった。そんな話は安心して腹を抱えて笑えた。
最近、その言葉をあまり耳にしないが、実際、(自分を含め)そういう感じの大人も子供もなかなか見当たらない。世界のどんな大統領や総理大臣からお笑いのタレントさんまで、こちらの心を開き安心して話を聞かせてくれる人は、なかなかいない。何故か?
それは、どんな個人も以前より窮屈なシステムの中に組み込まれ、システム化された情報と価値観に内面の多くを占められているからではないかと考えた。
システム化された中にあっては「底抜け」の感覚は難しく、個人固有の感覚から出る。
システムに管理された結果が今日の世界の困難だからシステム化された人間がそれを解決するのは難しい。
ちょっとしたら、バカボンのお父さんのような人だったら、あっさり「それでいいのだ!」と解決してくれるかもしれない。この年になるまで、そこ(底)まで気が付かなかった。
遅ればせながらガンバロー! なのだ。
最近、その言葉をあまり耳にしないが、実際、(自分を含め)そういう感じの大人も子供もなかなか見当たらない。世界のどんな大統領や総理大臣からお笑いのタレントさんまで、こちらの心を開き安心して話を聞かせてくれる人は、なかなかいない。何故か?
それは、どんな個人も以前より窮屈なシステムの中に組み込まれ、システム化された情報と価値観に内面の多くを占められているからではないかと考えた。
システム化された中にあっては「底抜け」の感覚は難しく、個人固有の感覚から出る。
システムに管理された結果が今日の世界の困難だからシステム化された人間がそれを解決するのは難しい。
ちょっとしたら、バカボンのお父さんのような人だったら、あっさり「それでいいのだ!」と解決してくれるかもしれない。この年になるまで、そこ(底)まで気が付かなかった。
遅ればせながらガンバロー! なのだ。
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