目まぐるしいが緩慢な動き

世の中どこもくるくる変わり、そして忙しそう。とりわけ、テレビのワイドショーの語り口調や、次々出る新製品のコマーシャルはせっつかれる感じだ。
 ところで私はまだ読んだ事はないが、今、小林多喜二の書かれた「蟹工船」がブームのように読まれているという。ワーキングプアと言われる若い人たちに読まれているらしい。
 この人たちのニーズにあった作品がこの60年近く書かれてこなかった事を意味していないか?との評論を読み、尤もだと思った。
 そして、小説だけでなく、文化として見た場合、他の多くの領域や分野でも似たところはないかと考えさせられた。技術は進歩し、ある意味で文化の多様化は、昔とは比較にならないが、果たして本当に必要で求めているものが溢れているのだろうか?逆に、本当に欲しい物は、さかのぼって探さなければならないような感じすらする。
 教育関係でも、世に出てくる言説は人の知恵がますます立ち枯れしているようでむしろ、我々の親達が普通に言っていた言葉や諺に教育の生命力を感じ、用いることが増えた。
 だから、状況を基準にすると実際は我々が感じているのとは違って、緩慢或いは方向違いの動きや変化になっているかもしれない。
 そうしないと、これだけ文明文化が発達したといいながら、人類が水や食う物に困る状況の説明は出来ない。人類の6分の1が飢餓に苦しむ時代が、かつてあっただろうか?
 子供の頃の感覚だが、敗戦後の日本でも6人に一人が飢餓状態ではなかった。まして温暖化なんて。

テレビや街の風景にある、忙しさや、豊かさ、楽しさを、今一度

振り返らないと、とんでもないところへ行きそうだ。 

 

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