1月1日㈬、令和7年(2025年)元旦。あけましておめでとうございます!
朝4時に起き、5時からの実践倫理宏正会「元朝式」に出席するために、熊野新宮神社裏の熊野会館へ。
この会場での記念朝起き会はこれが最後で、以後は福知山会場に統合されることになるらしい。市町村合併と同じで管理する側の都合は良いが、参加する人数は1+1が2にはならないだろう。
以前は市長、市議などの来賓も招かれていたが、コロナ禍から招かれなくなり、今日は私以外には政治家の出席者はなく、一人、閉会前に挨拶させていただいた。
7時からは寺山山頂でのボーイスカウト綾部第二団主催の「元旦国旗掲揚式」に出席。寺山の登り口で小林治教育長と一緒になったので話しながら登った。約15分の登山だが、話しながらだと短く感じる。
6時半過ぎ、山頂からは周りは何も見えない。天気予報は「くもり」だったので、今日はご来光は拝めないかなと思っていた。
そのうち人が集まり、綾部青年会議所の一瀬健太理事長による綾部市市民憲章唱和から式が始まった。
晴れてくると寺山山頂からの風景は、これまでに見たことがない素晴らしい「雲海」に覆われていた。
初日の出が顔を出し、まさに天国のような美しい風景が広がった。
今年は良いことがありそうだ。
ご来光を拝んだ後は下山して、麓の若宮神社(四方義規宮司)で元旦祭に参列した。ここの御祭神は仁徳天皇で、仁徳天皇の父、応神天皇を祀る綾部八幡宮からすると「息子」にあたるため、「若宮」神社となっている。
その後は子ども達と一緒に、氏神である熊野新宮神社(出口孝樹宮司)の元旦祭へ。鳥居の前で記念撮影すると温二郎の身長が涼子とほぼ同じになり、小源太さえも射程に捉えかけていた。
出口宮司に挨拶し、御神酒とジャコ、みかんをもらって家に帰り、雑煮とおせち料理を食べた。
「正月はやっぱり日本酒かな」と綾小町を持って来て小源太にも「飲むか?」と聞いたら「飲む」と言う。湯呑みに注いでやると美味しそうにクイクイ飲んでいた。
「若いのに日本酒が飲めるんやな?」と言うと「バイト先で飲ませてもらっているから」とのこと。
小源太は赤坂の蕎麦割烹で配膳のバイトをしているが、お客さんから「君の好みはどれ?」とか「一番辛口の酒は?」と日本酒について質問されることもあり、店長は一升瓶の残りが少なくなると「あとは飲んでもいいよ」とバイトに飲ませてくれるそうだ。そういえば、自分でもそういう質問をアルバイトの子にすることがある。
「試飲」のおかげで小源太は「田酒」「十四代」「黒龍」など、社会人でもそう簡単には飲めない高級な日本酒を飲んで、知識と舌を肥やしているようだ。私がよく知らない「新政」「而今」「鳳凰美田」「日高見」という銘柄も知っていた。それらは店でよく出るそうだ。
若者が日本酒を飲まないというのは、日本酒は「悪酔いして二日酔いで頭が痛くなる」という初期イメージが影響しているように思う。私も大学生の頃、寮に住んでいた同級生が、先輩から「鬼ころし」のパック酒をさんざん飲まされて吐きまくったとよく聞いて、何となく日本酒に悪いイメージがついていた。
若者にこそ良い酒を飲んでもらうことで、年を重ねてもさらに日本酒をたくさん飲んでもらえるのではないか。それが日本酒の消費拡大につながるのではないだろうか?
日本酒を飲み過ぎて眠くなって昼寝して、夜は妻の実家に年始の挨拶に。実家では甥っ子らと麻雀。
2日㈭、昨日は朝早かったからか、久しぶりに8時まで目が覚めずによく眠れた。
箱根駅伝やラグビー、サッカーなど観ながら、いただいた年賀状への返信や整理などをボチボチと始める。正月はNHKとBS以外に観たいと思えるテレビ番組がほとんどない。冬山を登山する番組は迫力があった。
アマゾンプライムでは「焼肉ドラゴン」(鄭義信監督、2018年)という映画を観た。スッキリとした終わり方の映画ではなかったが、「もう片方から観た三丁目の夕日」という感じの映画で、日本の発展って何だったのだろうか?と考えさせられた。
夜は父と小源太と「三人麻雀」をした。「三人麻雀」は初めてやったが、小源太がルールを知っていた。展開が早いが勝手が分からず、最後まで感覚がうまくいかなかった。
3日㈮、昼前から事務所で年賀状整理やブログ書きなど。
明日、小源太がいったん東京に戻るので、夜は両親含めて、家族でうどん屋得兵衛にて食事。