10月10日から衆院選(22日投開票)が始まった。
今朝の京都新聞や昨日のあやべ市民新聞でも報道されているが、自民党綾部支部は10月2日の役員会で、前京丹後市長の「中山やすし」候補(無所属)を支援することを決めた。
そうなれば、綾部で誰が本田候補のポスターを貼るのか?と10月3日の夜に、本田選対の多賀久雄選対本部長から私に電話があった。
私は「今回の綾部支部の決定について、府連が処分とか、どうとか言わないなら、両候補のポスターを貼るよう綾部支部にお願いしてみるが、これは多賀先生では判断できないと思うので、府連会長から私に電話をもらえるよう言っていただけませんか?」と話した。
翌日、二之湯智府連会長から電話があり、今日、会えないか?と言われたので、夜に二人で出会うことにした。
その場で「今回の綾部支部の決定は大きなガス抜きだと考えて理解してもらえないか?綾部支部を締め付けるという声も聞こえてくるが、そういうことをしたら自民党が市民の理解を失うだけであり、今回は大局に立って考えてほしい。他の人はいろいろ言うかもしれないが、府連会長がそれを理解してもらえるなら、掲示板ポスターだけは二枚貼ってもらえるよう私からお願いする」と約束し、話の最後に二之湯会長は「あとは選対で相談してくれ」とおっしゃった。
それで私はその内容を井上府議、池田府議に伝え、選対会議ではそれでいいから綾部のポスターは綾部支部で貼って欲しいということになったと聞いたので、二枚貼ることを綾部支部および後援会の皆さんにお願いした。ポスターを二枚貼るということは本来あり得ないが、それを皆さん了承していただいた。
ところが、10月10日の公示日にポスターを貼らせるだけ貼らせておいて、同日付で下記の文書が府連会長と幹事長名で郵送されてきたという。
私の立場はあったものではない。約束は約束である。
府連の約束破りといえば、今回の公募の応募条件にある「合格者以外の応募者のプライバシー保護の観点から、氏名や特定できるような情報は公開いたしません」という約束も、選考決定直後の記者会見で簡単に破られた。
記者会見で私の名前が突然出て、「2人の間には明確な差がついた」との府連会長の発言に仰天した。公募の経緯についてまず綾部支部の役員さんに説明するより前に新聞に名前が載ってしまって困ったことになった。
「これは四方源太郎潰しのための公募だったのではないか」という綾部支部長らの不信感が、今回の決断の底辺にある。
それに、これまで安藤和明支部長がどれほど自民党の党員拡大や党勢拡大に貢献してこられたか?それが府連役員に分かるのか?
10年前に私が自民党公認候補として立候補したものの落選し、その後、自民党が下野した当時、誰も引き受けない自民党綾部支部の幹事長を引き受けていただいたのは安藤さんであり、4年後には私を当選させ、自民党の議席を取り返していただいたのは安藤さんはじめ自民党役員や後援会役員の皆さんのおかげだ。
落選直後の西田昌司参議院議員の最初の選挙では、ほとんど動いていただける方もなく、安藤さんと二人でカンカン照りの神宮寺の坂道を上り下りしながら、チラシのポスティングをしたこともよく覚えている。「先のことは心配せんと、頑張れ!4年後には、わしらがちゃんと押し上げてやるから」と言って励ましていただきながら、あの自民党にとって苦しい時代を共に戦ってきた。
当時の森永功支部長、次の高倉武夫支部長も同じように、自らの立場を苦しくしながらも私のために、自民党のために戦っていただいた方々だ。今の綾部支部の役員さんも同じだ。
自民党への風当たりが強かったあの時代はたった10年前のことだ。それをみんな忘れてしまったのかと思う。
こんなことをしていたら、これから誰が自民党のために協力しようと思うだろうか?理や利ばかりでなく、義と情を大切にするのが日本人の美徳であって、それを守るのが保守、自民党ではないのだろうか?
人の考えはいろいろあり、状況状況によって、それは変化する。
自民党にはそれを包む込む懐の深さがあるのが良いところであって、共産党的な上から下へという組織と違うところだ。私は自民党は下から上に意見が通る党であると信じている。
今回の府連からの文書には大きな憤りを感じるし、私自身も経緯の説明をしなければならないことになった。残念なことだ。