現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

『15歳の志願兵』を見て

2010-08-16 09:35:27 | 太平洋戦争
8月15日、終戦記念日に、NHK名古屋が制作、全国放映
された『15歳の志願兵』。地元名古屋の名門「旭丘高校」の
前身「愛知一中」の事件であり、関係者も身近にいるとなって、
期待して見た、のだが・・・・。

1943年(昭和18年)7月。愛知一中は、軍部の要請を受けて、
生徒を予科練に送り込むために、校長や教師らが国の危機を
強調し、生徒の愛国心を盛り上げた。これに呼応した三年生
以上の生徒全員 700名が、生徒会で「甲種飛行予科練習生」
への志願を決めた。

しかし、当時も 東京帝大進学率トップのエリート高であり、
「なにも下士官にならずとも、大学に進学して他の分野で活躍
するか、軍隊に入るなら将校を目指して欲しい」と望む父兄の
反対もあり、苦悩した。結果、志願を取りやめる者、身体検査に
落ちる者もあって、結果的には、700名あまりの生徒のうち、
入隊者は56名だった。

番組では、その56名の“その後”も描かれるのかと思ったら、
いきなり戦後で、何人が戦死したのか、送り出した教師や軍人、
父兄がどう責任をとったのか、反省の言葉も無しに終わって
しまった。教師や父兄がよよと泣きくずれるのもアホらしい。

役者は涙を見せずに、観客の涙を誘わなければならない。
制作にかかわった現代人は こうも堕してしまったかと、
かえって嘆かわしい。

せいぜい「学問が無かったから、戦争に送ってしまった」
「いや学問が無かったのはこの国です」が 結論のようだ。

これでは、全国一のエリート校生に対して、失礼ではないか。
彼らは学科は優秀だった。優秀だったからこそ、軍国少年に
祭り上げられてしまったのだ。

おバカキャラの子だったら、予科練には 入れなかったろう。


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『15歳の志願兵』を見て つづき 1

2010-08-16 09:34:56 | 太平洋戦争
『15歳の志願兵』について、NHKの掲示板に寄せられた
感想は、おそろしくまじめな意見ばかり。

まさに当時の愛知一中生だった人から、旭丘高校の卒業生。
現在 同い年の中学、高校生まで、幅広い年齢層の人が
感想を寄せている。2チャンネルとはえらい違い、文章も
立派だ。まだまだ、こんなにレベルの高い人がいることに、
“日本は安泰”と安心もする。

その中に「白虎隊の姿に重なる」という声があった。

「純粋な少年は一途に国家の存亡の危機に対して殉じよう
との想いは白虎隊の姿に重なる。鬼畜米英と教わり、負け
れば日本の国体は亡くなる。男は殺され、女は陵辱される。
『生きると言うことは死ぬことと見つけたり』の「葉隠」
精神をたたき込まれた」と、81歳の元予科練生。

そうなのだ。「会津白虎隊」は、正に太平洋戦争時、忠臣
愛国、殉国の象徴として 軍部の宣伝に利用されたのだ。
私はそれを にがにがしく、汚らわしくも思うのだ。


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『15歳の志願兵』を見て つづき 2

2010-08-16 08:42:06 | 太平洋戦争
8/16 今朝も「朝起会」の後、ラジオ体操のメンバーが
集まる喫茶店に行った。大○さんに、『15歳の志願兵』に
ついての感想を聞きたかったのだ。

大○さんは当時「愛知一中の4年生」だった。志願の決議を
したのは1年先輩の5年生たちだった。先輩たちが騒いで
いたのを記憶しているという。

「昨日見ましたよ」と話を向けると「ありがとう」と。
感想を求めると「ちょっと描き方が暗いな」と。

「当時は、みな真剣だったし、父兄の決起集会もあった。
反対意見もあり、親たちも騒いでいた。結果的に、行った
のは13名、4人くらい亡くなったんじゃないかな」と、
あっけらかんとしている。

大○さんは、その後 昭和20年3月の名古屋空襲で、家を
焼かれ、5月に大阪の幼年学校にはいり、そこで終戦を
迎えた。
幼年学校に入るのも、全国の中学校からトップクラスの
学業優秀者ばかり。7月に和歌山空襲があり、和歌山市街が
燃えるのが学校から見えた。「和歌山中から来ている友に、
『や~い、お前のウチも燃えてるぞ』とはやし立てたりした。
自分の家も先に燃えているから、戦争ってこんなもんだと
慣れっこになっていた。怖いものなんかなかった」等など
いろいろ話を聞いた。「当時その場にいた人でなきゃ、わか
らんわな」とも。

あの大変な時代でも、子供たちは くったくなく、明るく、
たくましく 生きていたのだ。

TBSの『帰國』でも「今の世の中は、平和でいいじやないか。
人が1人死んでもマスコミが大騒ぎするんだから。それが何万人
となると、一人の一人の死は忘れられる」というセリフがあった。

あの時代は、死ぬことには、淡々としていたのではないか。

やはりドラマとなると、現代的な“史観”が入り込む。もっと
リアルに当時を描いて、見る人に是非を問うた方が私は好きだ。
その点で、注目されているのが、「こうの史代」の漫画「この
世界の片隅で」だ。

先日NHK「ラジオ深夜便」で、「こうの史代」さんの話を
聞いた。「戦争ものというとワンパターンな気がする。そうで
ないものを描きたかった。あの大変な時代でも、人々は精一杯
真剣に、明るく、正しく生きる“知恵”を働かせていた」と。

そうなのだ。制作者の意図が丸見えで、押し付けられる描き方
には、かえって気持ちが引いてしまうのは 私だけか。


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アクセス 408件

2010-08-16 08:09:44 | ブログ
このところ、ずっとパソコンに とりつかれ、引籠もり状態。

8月15日(日)、アクセスいただいた方が 408件で、
145万ブログ中 1,417 位にランクインしました。久々の
快挙??。

日曜日はいつも下がるのに、お盆休みで暇な方が多かった
のでしょうか。とにかく、見ていただいた方に感謝です。

ある方のブログに「虚無僧一路のブログはおもしろい」と
書かれているのも発見しました。

過去の最高は、2009年3月の582件で 657位。

何が関心を引くのか、見えない相手の心を手さぐりで
捜し求めています。今後ともよろしく。

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