国宝の『古事記』は、なんと名古屋の大須観音に
あります。でも、1300年も昔の原典ではなく、
南北朝時代に書き写されたものとのことです。
大須観音は名古屋市中区大須にある真言宗・智山派
の別格本山で、本尊は聖観音。“名古屋の浅草”と
いった賑わいをみせています。
正式名称は「真福寺宝生院」で、創建は、鎌倉幕府が
滅びた1333年。現在地に移ったのは、江戸時代の
初めの慶長17年(1612年)。明治25年(1892年)の
大火と太平洋戦争の名古屋大空襲の2度、焼失を
被ったが、なお1万5千点もの貴重な古書を保管
しているとはすごいことです。
でも、それを公開することはなく、所持している
ことをことさらPRするわけでもないので、知る人は
意外に少ないのです。入手経路も不明。
そもそも『古事記』は謎だらけです。奈良・平安時代
には、『古事記』に関する記述は全くなく、鎌倉の末
に突然 世に現れ、書写本だけで、原典が無いので、
『偽書』ではとの疑いもあるようです。
『日本書紀』とともに歴史の教科書に載っている
『古事記』が、皇室にも保管されていないとは、
たしかに“変”?
あります。でも、1300年も昔の原典ではなく、
南北朝時代に書き写されたものとのことです。
大須観音は名古屋市中区大須にある真言宗・智山派
の別格本山で、本尊は聖観音。“名古屋の浅草”と
いった賑わいをみせています。
正式名称は「真福寺宝生院」で、創建は、鎌倉幕府が
滅びた1333年。現在地に移ったのは、江戸時代の
初めの慶長17年(1612年)。明治25年(1892年)の
大火と太平洋戦争の名古屋大空襲の2度、焼失を
被ったが、なお1万5千点もの貴重な古書を保管
しているとはすごいことです。
でも、それを公開することはなく、所持している
ことをことさらPRするわけでもないので、知る人は
意外に少ないのです。入手経路も不明。
そもそも『古事記』は謎だらけです。奈良・平安時代
には、『古事記』に関する記述は全くなく、鎌倉の末
に突然 世に現れ、書写本だけで、原典が無いので、
『偽書』ではとの疑いもあるようです。
『日本書紀』とともに歴史の教科書に載っている
『古事記』が、皇室にも保管されていないとは、
たしかに“変”?