現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

付き合ってはいけない人間

2015-07-11 08:42:23 | 心の問題

「脳天気なプチナショ」さんのブログから転載させていただきました。

「絶対に、付き合ってはいけない性格・気質を持った人間20項目」

(1)何かあれば、すぐにカネをねだる人間
(2)強い者に弱く、弱い者に強く当たる人間
(3)嘘でも何でも言って 真実をねじ曲げる人間
(4)自分を棚に上げ、他人を執拗に責める人間
(5)自分よりも状況が悪い人を見くだす人間

(6)自分の快楽のために他人を犠牲にする人間
(7)負けそうになると急に友情を強調する人間
(8)人のものを何でも自分が考えたと主張する人間
(9)悪いことは何でも他人のせいにする人間
(10)裏で他人の悪口・中傷を言っている人間

(11)法律や決まり事などまったく守らない人間
(12)自分が一番になった部分だけ宣伝する人間
(13)大声で叫び、自分の都合だけを押し付ける人間
(14)相手が弱ったところで 叩きつける人間
(15)徒党を組んで 弱者をいじめる人間

(16)勝手に他人の物を使う、盗む人間
(17)身近な人に感謝を見せることもない人間
(18)外見ばかりを気にして 外見だけを飾る人間
(19)すぐに怒り、いつまでも怒りが消えない人間
(20)本質とはズレたところで相手を大批判する人間


うーん、心当たりある。私のことだ! 反省自戒。


「ろくでなし」の「ろく」とは?

2015-07-11 08:40:27 | 虚無僧日記

「ろくでなし」で「うたまっぷ」検索したら 87件。

その名もずばり「越路吹雪」の『ろくでなし』

「私は恋人に 捨てられてしまった 人はこの私を
ふだつきと云うから ろくでなし ろくでなし」

原曲は「サルヴァトーレ・アダモS」の「不良少年 Le mauvais gar�・on」。
少年を女性に変えたので「ろくでなし」と訳したそうな。


★「堀内孝雄」の『ろくでなし』は

「ろくでなし 強がるけれど
 本当は 可愛い 可愛い坊や
 ろくでなし 朝方までに
 帰っておいでよ ここへ」


さて「ろく(六)でなければ五ですか?」とちゃちを入れたくなる私。
「ろくでなし」の語源を調べてみました。

「碌でなし」と書くが「碌」は「陸」と同じとか。
古文では「六」を「陸」と書きました。「陸」には「六」の意味があります。 
「陸」とは、大工仕事で「水平」を示すこと。「墨壷」から糸を引いて
壁に水平の線をつけることを「陸墨(ろくずみ)」というそうです。


そのことから、「平坦な地面を“陸”」と指すようになり、水平、
真っ直ぐでないものは「“陸”でなし」。

また「 6 」 と言う数字は、約数の「1・2・3」を足すと「6」に
なることから、「 完全数 の最少数字」=「完全な物」と思われて
いたので、「六じゃないものは不完全」と言う意味で 「 ろくでもない 」
と言う言葉が生まれたとか。


ちなみに、古文書で漢数字はこのように書かれている場合があります
「壹、弐、参、肆、伍、陸、漆、捌、玖、拾、拾陸(16)、廿(20)、
 卅、丗(30)」


ことば遊び 1 「木阿弥」

2015-07-11 08:38:03 | 「八重の桜」

「しまったしまった 島倉千代子」
「困った困った こまどり姉妹」
これは吉本の「島木譲二」のギャグとか。

「ゆかいゆかい湯川秀樹」は私の新作。ついでに
「秀樹かんげき」

「あ、異常児(アイジョージ)に 最上(さいじょう=西条)秀樹」

「アッと驚く為五郎」これはハナ肇でした。
ところで「為五郎」って誰?「森の石松」に出てくる悪党だそうです。

「遅かりし由良之助」は、私の父母がよく使ってました。私も
使いますが、もう誰も通じません。

「仮名手本忠臣蔵」四段目。塩冶判官(浅野内匠頭)が切腹する際、
「大星由良之助(大石内蔵助)はまだか」と、時間をかせぐが、
「もはやこれまで」と、腹を切ったところへ、「由良之助」登場。
舞台では「遅かりし由良之助」というセリフはありません。
どうやら客席から掛ける言葉のようですが、You-tubeを見ても
かかりませんな。今の人も、掛けるのをご存知ないのか、


「とんだ所へ北村大膳」は「北村大善が来た」と掛けている。
これも歌舞伎を知らないとダメ。

「とんだ目に太田道灌」

「元の木阿弥」という言葉も調べてみました。

戦国時代、大和郡山の城主「筒井順昭」が亡くなった時、
喪を秘すために「木阿弥」という盲目の老人が影武者に
仕立てられました。「木阿弥」は、突然の環境の変化に
浮かれてしまって、溺れるような暮らしを送っていました。

ところが、順昭の息子(順応)が成長し、もはや順昭の死を
隠す必要がなくなったため、木阿弥は再び 身ひとつで
放り出されたのだそうです。

黒澤明監督の『影武者』と同じですな。