今日は「彼岸の中日」であったか。お彼岸にちなんで「あの世の話」。
あのよォ。あの世ォォォよ。あの世にも歓楽街があり、芝居小屋も
あれば 寄席もあるんだってよォ。歌舞伎の忠臣蔵をやれば、
初代から歴代の団十郎が勢ぞろいして、比較して見れるってもんだ。
寄席では、三遊亭円朝に文楽、志ん生、円生。上方落語なら春団治。
「桂米朝」はまだ来ませんか。よう見なはれ「近日来演」と書いて
ありますがな。
上方落語の『地獄八景亡者の戯(たわむれ)』で、そう云って
観客を笑わせていたのは桂米朝さん。
上方落語は滅びるといわれた時代に噺家となり、多くの噺を
掘り起こし、つくり直して、命を吹き込んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
落語界の浮き沈みも激しい。もう40年前だったか、私が
上野の本牧亭で前座に出たことかあった。お客は二人。
真打登場となっても観客は数名。本牧亭も末広亭も無くなった。
名古屋の大須演芸場もつぶれたが、今新装なって、盛り返して
いるらしい。
つぶれるには理由があった。旧態依然、時代に合わせて
改革する努力がないと、賞味期限切れで廃れる。
「桂米朝」は起死回生の立役者だったようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで、ケータイが出始めたころ。落語界の〇〇師匠。
当時は羽振りも良くて、あちらの方も お盛ん。いつも
どこに行ったか、居場所がわからない。それでケータイを
持たせた。ある晩、彼女と よろしくやっている最中に
ケータイが鳴った。師匠 「誰だ、こんな夜更けに」。
「ワタシよ」と山の神。師匠あわてて「おお、お前、よく
ここが判ったな!」。 (このオチおわかり?)
もうこんなネタも通用しなくなったか。
ケータイ自体が「ガラけー」なんていわれて、スマホにとって
変わられた。ようやくそのガラケーを持つことになった私。
人に見せるのも気恥ずかしい。遅れてるぅ。片足半分、あの世に
突っ込んでるのだ。