現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

落語「地獄八景亡者の戯(たわむれ)」

2016-03-21 17:39:16 | 虚無僧日記

今日は「彼岸の中日」であったか。お彼岸にちなんで「あの世の話」。

 

あのよォ。あの世ォォォよ。あの世にも歓楽街があり、芝居小屋も

あれば 寄席もあるんだってよォ。歌舞伎の忠臣蔵をやれば、

初代から歴代の団十郎が勢ぞろいして、比較して見れるってもんだ。

寄席では、三遊亭円朝に文楽、志ん生、円生。上方落語なら春団治。

「桂米朝」はまだ来ませんか。よう見なはれ「近日来演」と書いて

ありますがな。

上方落語の『地獄八景亡者の戯(たわむれ)』で、そう云って

観客を笑わせていたのは桂米朝さん。

上方落語は滅びるといわれた時代に噺家となり、多くの噺を

掘り起こし、つくり直して、命を吹き込んだ。

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落語界の浮き沈みも激しい。もう40年前だったか、私が

上野の本牧亭で前座に出たことかあった。お客は二人。

真打登場となっても観客は数名。本牧亭も末広亭も無くなった。

名古屋の大須演芸場もつぶれたが、今新装なって、盛り返して

いるらしい。

つぶれるには理由があった。旧態依然、時代に合わせて

改革する努力がないと、賞味期限切れで廃れる。

「桂米朝」は起死回生の立役者だったようだ。

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ところで、ケータイが出始めたころ。落語界の〇〇師匠。

当時は羽振りも良くて、あちらの方も お盛ん。いつも

どこに行ったか、居場所がわからない。それでケータイを

持たせた。ある晩、彼女と よろしくやっている最中に

ケータイが鳴った。師匠  「誰だ、こんな夜更けに」。

「ワタシよ」と山の神。師匠あわてて「おお、お前、よく

ここが判ったな!」。 (このオチおわかり?)

もうこんなネタも通用しなくなったか。

 

ケータイ自体が「ガラけー」なんていわれて、スマホにとって

変わられた。ようやくそのガラケーを持つことになった私。

人に見せるのも気恥ずかしい。遅れてるぅ。片足半分、あの世に

突っ込んでるのだ。


「新老人革命」 五木寛之

2016-03-21 17:27:22 | 五木寛之

五木寛之の『老人こそがすべての主役・新老人の思想』


「日本は今、とんでもない超・老人大国に突入しようと
している。かつての老人像と全く違う「新老人」の
思想が必要。それは未来に不安と絶望を抱きながらも、
体力・気力・能力は衰えず、アナーキーな思想を
もった新老人階級の出現である」と。

そして「新老人の五つのタイプ」とは

1.肩書き志向
2.モノ志向
3.若年志向
4.先端技術志向
5.放浪志向

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まさに、その通り。
今の世の中、65歳以上が25%。4人に1人。
10代、20代の若者を上回る。ならば「市場」は
“プアー(貧乏)な 若者”より “リッチな老人”を
ターゲットにした方がよい。

“若々しい老人” “アナーキーな老人” “自分の
面倒は自分でみる、自立した老人” “放浪志向の老人”
まさに“わが虚無僧の生き方”じゃ。

これを読んでわが輩は、ますます“体力・気力・能力”
充実したでござる。


大河の一滴

2016-03-21 17:23:33 | 五木寛之

大須の古本屋で五木寛之の『大河の一滴』が目に
止まった。50円。すぐ買い求めた。

五木寛之という人、私とそっくりだ。冒頭いきなり
「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある」で
始まる。その当時は真剣だったが、今思い返して
みるとどうしてあれほどまでに自分を追いつめて
いたのか不思議な気がしないでもない。しかしあの
経験をばかげたことだなどとは考えてはいない」

から、生と死、「釈迦は究極のマイナス思考から
出発した」とか、「反常識の進め」。

「腹いっぱい食べるのは10代20代、60歳過ぎたら、
腹五分、1日一食半でいい。医者にはいかない。
検査も受けない。薬もむやみに飲まない。悪い
ところを探そうとするのが理解できない。すぐ医者
や薬に頼ろうとする安易さが気に食わない」とまで
言い切っている。

私の好きな「屈原」の話も出てくる。「濁った河の
水で冠を洗おうとするから苦しむのだ。濁った水では
沓(くつ)を洗えばいい。河の水が清くなったら冠を
洗えばいい」という漁夫の忠言にうなづきながらも、
べきらの淵に身を投じたという屈原の話だ。

五木氏は「屈原に共感しながらも、漁夫の言葉に
なにか大きなものを受け取る気がする」と。