「海童道」が「普化宗管長」を称していたというが、
「普化宗」というのは、かつて存在していなかった。
そのような寺も無い。だから「詐称」である。
「海童道」は「普化宗管長」ということで、政財界からも
一目おかれ、丁重な扱いを受けていたようである。
名古屋や大阪に出張した折は、それぞれの警察署長が
公用車で駅まで出迎えている。なぜそこまでVIP扱い
されるようになったのかも謎である。稀代の「詐欺師」で
ある。それだけに愛されているから不思議。
・中国には普化宗は存在しなかった。
・普化宗を日本に伝えたという法灯国師覚心は普化を知らなかった。
・江戸時代でも、虚無僧寺本寺の一月寺、鈴法寺は普化宗と名乗らなかった。
・京都明暗寺が、江戸の一月寺・鈴法寺と対抗するために「法燈国師
覚心」を担ぎだして「普化禅師」と結びつけ「普化宗」なるものを
創作したと考えられる。
・江戸幕府は当初、虚無僧を浪人対策として黙認していたが、横暴ぷりが
目にあまるようになると、取締まりを強化するようになった。
・明治政府は、法令で普化宗を廃止し、尺八を吹いて門付けすることを
禁じた。虚無僧最後の人といわれる谷狂竹は3回も逮捕されている。
・京都東福寺の塔頭善慧院内に寄宿するカタチで『宗教法人 普化正宗
明暗寺』として登記されたのは、戦後の昭和25年であった。
というわけで、普化宗が正式に国家、また宗教界に公認されたのは、
戦後のことなのである。
現在、東福寺の善慧院の門に、『明暗寺』の看板は掲げてあるが、
そこに普化宗の住職や虚無僧が常駐しているわけではない。
東福寺も善慧院も臨済宗の寺であり、ご住職も臨済宗の僧侶である。
ご住職のご理解と好意で、全国200名ほどの虚無僧尺八愛好家の
ために、『明暗教会会員証』と『行化証』を発行していただいている。
私としては不本意であるが、虚無僧で周っていると「許可証あるか」
と聞いてくる人もあるので、カタチに頼る人のために携帯している。
カタチを求めるのであば、一応『宗教法人普化正宗明暗寺』発行の
認可証を得ているのであるから、私は「天下御免の虚無僧」である。