最近、托鉢僧を見なくなった。「あれは偽者」との
噂が、だいぶ定着してきたからか。
“偽”托鉢僧を糾弾する専用の2チャンネルまである。
「名古屋は虚無僧多いよな。錫杖持って立ってた。
あの鉄鉢に石でも入れたろか」との書き込み。
おいおい、それは托鉢僧だ。虚無僧は天蓋に偈箱、
それに尺八を吹いているのだ。
もともと坊さんではないのだから、“偽”坊主ではない。
くだんのお巡りさんに職務質問された時も「あなたは、
坊さんですか」と聞いてきたので「いや虚無僧です」と
答えた。「資格はあるのですか」「はい虚無僧の資格を
持ってます」。それでかってに「坊さん」と納得した
ようだ。私って、人を騙してますか?
「有漏路(ウロジ)より無漏路(ムロジ)に帰る一休み
風吹かば吹け、雨降らば降れ」
一休の悟りだ。「有漏路」は煩悩のある此岸、
「無漏路」は悟りの境地=彼岸。
悟りと煩悩の間を行きつ戻りつ、「煩悩を捨てれるか、
そんなことにこだわり悩むことも止めて一休み」
というのだ。こだわりを捨て、悩むこともやめ、
“気にしない気にしない”の心になったら、風も
雨も平気平気。
私が一休にこだわるのは、この悟りの奥深さだ。
と、格好よく言ってみても、雨と風には弱い虚無僧。
雨が降れば休業。春は風が強く、特に高層ビル下の
名古屋駅はビル風がすごい。天蓋が飛びそうになる。
風が尺八の音を吹き消す。負けじと息に力を入れる。
尺八は吹くものに非ず。息を吹き出せば、風に吹き
消される。息を殺して音を出すのだ。極意。
ある新興宗教の教団で、「車椅子で通ってこられた人が、
教祖にお会いしたら、帰りは歩いて帰れるようになった」 という話を聞いた。
さて信ずる人はどのくらいか。私は信ずる方だ。
キリストも釈迦も聖徳太子もそうした超能力をもって
人々を引き付けた。新興宗教の教祖も大なり小なり
そのような力を持っていた。科学では解明できない
摩訶不思議があることは確かだ。
最近、躰の不調を訴える人から「手当」を依頼されるようになった。 手をかざしてあげると、相手の方の手にみるみる汗がにじみ出て、 「躰が熱くなった」と云われ、元気になられる。 私の母の「気功」パワーはすごい。パーキンソン氏病の父を 手当だけで11年も家で看護した。私の五十肩も10分で治った。 私にもパワーがあるかもしれない。
先日、不幸続きだという人から、家のお祓いを依頼された。 日本の仏教は加持祈祷を業としてきた一面もある。 虚無僧の私でもいいかもしれない。その家に伺うと、 たしかに辛気臭い冷気を感じた。仏壇で一字金輪の呪 「のうまくさんまんだ、ぼたなんぼろん」の真言を唱え、 「手向」を吹く。ついで神棚の前で「禊の祓い」を声高らかに。 僧侶と神主の一人二役。すると室内のよどんでいた空気が 浄化された気がしてきた。 家主さんも喜んでくれ、顔に輝きがもどった。
「男? 女?」 中年紳士が財布の中をまさぐりながら聞いてくる。
「男と思われれば男、女と思えば女」とつぶやくと、
「そうか女か」チャリンと10円。
「??!」
男か女か、よく聞かれる。ひそひそ話し声も聞こえてくる。 白い着物に、錦の尺八袋と白房を下げ、白足袋を履いて
いるからか。天蓋から長い髪の毛が出ているからか、
よく女と思われる。
女虚無僧はいたのか?
江戸の錦絵には、派手な女物の着物を
まとった虚無僧の絵が多い。
女が虚無僧となって旅をする話。女が虚無僧姿になって
わざと斬られるという話もある。女虚無僧が本当に居たのか、
芝居の中だけの話なのかは謎だ。
しかし、観音様が「男か女か」わからないように
性を超越する姿が虚無僧にはあると、私は思っている。